2020年11月01日

「分断」についてちょっと考えてみた

1面トップ「トランプ氏支持 でも『匿名』で 『分断で政治語れぬ国に』」の記事を読んで、「アメリカもどこかの国と似てきた」と思った。「分断」のやり方が違うだけで、中身は同じ。やり方が違うから表れ方が違ってくるだけで、政治をあからさまに語らないことが良識というこちら側特有のとらえ方を思うと、やっぱりいっしょだな。「今回の取材からは匿名にしてもらいたい。もうこの国では公の場で政治の話はできないんだよ」「誰もが政治について話さなかった」「話さないことで友人関係を維持」(本文引用以下同様)という言葉は、2面「2020米大統領選 4年前のトランプ支持者に聞いてみた 今年も彼を支持しますか」でも底流をなす。「トランプはオバマと反対で下品だね。でもね、この地域のためにできることなんて、誰が大統領になってもほとんどない。だったらトランプみたいな男にやらせてもいいんじゃないか」「トランプは権威ある相手にもひるまずやり返すカウボーイだ。本音むき出し。エリート支配のワシントンを壊すには、そのくらいの大バカ野郎が必要だ」とある一方、ラストベルトの労働者層は少し違う。従来の政治家たちが基幹産業の衰退を嘆きながら「雇用を生み出す」と言い続けたが中西部は衰え、ラストベルトは変わらなかった。その不信感がトランプ支持を強固にする。「トランプには官僚やロビイストに言いくるめられない強さがある。環境保護派が気持ちよくなるために、なぜ我々の雇用を犠牲にする」「規制緩和が企業の投資を刺激し、パイプライン工事が増えた。重機の操縦者が不足し、他の地域からもかき集め、新人の訓練まで必要になった。高齢の私にまで連日仕事が回ってきたんだ」「トランプが登場し、ロビイストが牛耳る『ワシントン政治』を1期目で変えてしまった」。今日の新聞にはトランプ支持者の言葉しか載っていなくて比較できないが、できればバイデン支持者の言葉を知りたかった。さらにサンダースのも・・・。
ともあれ底流にあるのは、従来の政治家が聞こえのいい言葉を口にしながらいっこうに効果的な対策を立てず、ラストベルトの惨状を放置してきたという政治不信。その感覚は全方位に広がり、「環境保護派が気持ちよくなるために、なぜ我々の雇用を犠牲にする」という言葉で胸の奥に刻まれ、綺麗な言葉で語りかける者への不信感に結晶していく。「環境保護派」が地元の窮状に目を向けないことへの不信は、「環境保護派」を目の敵にする経営者たちの甘言に容易に取り込まれ、対立感情を強化する。生活が成り立たなくなる危機感に食い込み、細くなる利益をとことんむしゃぶりつくそうと意を凝らす者たちの手管は巧妙を極める。問題は、従来の政治家が無策だったのと同じくらいかそれ以上に、「環境保護派」が有効な地域対策を持てないことにあると思うのだが、呻吟する労働者に向けた有効な戦術・戦略を編み出せないまま理想論だけが先行する。そんな悪循環から抜け出す方策を掲げて支持を拡大してきたのがサンダース氏だったが、アメリカ社会に染み付いた「社会主義」的な政策に対する本能的忌避感が社会改革の試みを封じ込める。
某国の高邁な精神論「自助・共助・公助」にも同じ意図が見える。労働者、環境保護派、政治家、市民の総体を「公助」から遠ざけ、「自助」の自縄自縛へ絡め取ろうとする動きが執拗に試みられる。8面「社説余滴」には「助けなしには生きていけぬ」との記事があり、「おれは助けてもらわねえと生きていけねえ自信がある」と、漫画「ワンピース」の名ぜりふが冒頭で語られる。「むしろ人間の本質は『できないこと』にあり、一人では何もできないのが人間なんだと捉え直してはどうだろう」との指摘はたしかにすばらしい。だが、「公助」というものがあってこそ成り立つ「助け合い」の関係が、「自助」と「共助」優先で、「公助」はどこかへ消し飛んでいく。「社会主義」的とされた改革は否定され、「公助」は庶民から遠ざけられ、トリクルダウンでなんとかしろと促すばかり。そのトリクルダウンは「規制緩和」で儲けたものたちの胸先三寸にかかる。ほんらい当たり前の前提だったものを「社会主義的として遠ざける心理操作」を超えないまま、分断はいっそう深まる。いまそんな時期。
posted by ガンコジージ at 11:28| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする