2020年11月29日

恐怖感が転じて楽観論に飛びつく

ときどき原発事故と新型コロナを比べてみたりする。反原発の運動をやっている人に聞かれたのはかなり前のことだ。「(福島へ行くの)怖くないですか?」と。ブログ主は基本的に現場主義だ。原発事故で福島はどうなっているのか、調べないでは自分の立ち位置に納得できる根拠を見つけられないので、たびたび出かけて人々が日常的に暮らしている場所を、個人的に計測してきた。そして今の立場がある。また別の人に、「頭で考えていることでしょ。私は現地へ行って、いま彼が彼女がどう考えているのか、直接お話を伺いました」と。違和感はあったけれど、反論はしなかった。だが、農山村地帯の農家を訪れ、除染が済んだばかりの家の測定をやらせていただいたことがある。農民らしい寡黙な、しかし放射能というわけのわからないものに侵略され、どこへ怒りをぶつけていいかもわからない満腔の苦渋をかかえた表情と向き合った。除染後の庭で1μSv。室内で0・4μSvを計測した。彼らの苦渋の表情に、なにも言うことができなかった。「怖くないか」「頭で考えている」という言葉をどう受け止めるべきか。どう答えるべきか。どちらの問いにも正解を持っていない。それから何回も測定行を続けたが、すこしでも線量が低くなっていることを願っていた。そこに住まざるを得ない人々と自分の感覚にズレがないか。あるなら、どう埋めることができるか。いつも考えていた。いまも考えは必要な一点へ集中していかない。そして思う。「怖くないか」と聞いてくれた人。「頭で考えている」と批判してくれた人。いま、コロナ禍で同じ次元の言葉を用いているか。「コロナなんて怖くない」「頭で考えているから怖いのだ」に転じていないか。だから「聞こえないからマスクを取れ」と言う。遠くにあるから「怖い」と遠ざけていられるが、いま「怖くない」のはコロナが身近にあり過ぎて逃げられないからではないのか。ブログ主的対応は、できるだけよく知って、覚悟を決めて向き合うということに尽きる。それは原発事故でも新型コロナでも変わりはない。
続けて言えば、スマートメーターの電磁波についても同様だし、この電磁波への向き合い方は、放射線の初歩知識を持っていればそれほど難しくはない。環境放射線を測定するとき、なぜ地上10pと1mを計測するのか。10pでの計測と1mの計測を比較すると、基本原理では100:1の違いがある。地上10pで1000を示したら、1mでは10を示す。環境放射線でこの差が縮まるのは、放射能汚染がスポットではなく、面で広がっていることを示す。10pと1mを計測することで、面的汚染を確認できる。その違いがわかれば、スマートメーターの場合がどうなるかは推して知るべしということなのだ。新型コロナに広げて考えると、「新型コロナウイルスなど存在しない」「ただのウイルス性風邪だ」などの言説がまかり通るのは、「存在」したり、「ウイルス性風邪」でなかったりしたら恐ろしすぎる、という意識があるからではないか。「免疫力を高めればいいだけ」というが、「免疫力」が低下しているものはどうすればいい。重症患者を救うには免疫抑制剤を使う。免疫抑制剤を使って治療している患者はどうすればいい。考えると、「新型コロナウイルスなど存在しない」「ただのウイルス性風邪だ」「免疫力を高めればいい」などという言説を弄して安心を振りまくことより、いくらかでも注意を喚起し、逼迫する医療現場の苦難を理解し、公助の責任から逃げようとする国や自治体の無策と向き合う方が適策ではないか。PCR検査は増やしても無駄か。そもそもいまは増やしすぎなのか。日本は1000人あたり29人。世界で80位前後の少なさという。これでも多すぎるというか。いや、PCR検査なんぞインチキというか。コロナの時代は不安の時代。不安が人々の心に淀んでくると、抵抗とは違う否定を選ぶようになるか。意図する言説は罪作りという他ない。そのあいだに政治の無策が進み、犠牲者が積み上がっていく。
☆「第3波急拡大 コロナ最新知見とこの冬を乗り切る戦略【児玉龍彦X金子勝 新型コロナと闘う】」デモクラタイムス11月18日
https://www.youtube.com/watch?v=if7MQJPjUv0&fbclid=IwAR2ivwFsa33B_9ukRIb-4eh3Rb54BDZfaW-pD3epdbvzsoQx_gCdu_9YezE
posted by ガンコジージ at 10:38| Comment(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする