2021年01月10日

コロナがあぶり出す民主主義の成熟度

20面にコロナ死者が4000人を超えたとの記事がある。すぐ隣には「4部屋の全力士65人休場へ」がある。両方まとめて思う。2類から5類に引き下げたら、死者の数は減るだろうか。減るわけないだろうなと思う。さらに冬でもそれほど厚着をしない、免疫力のカタマリみたいな力士たちが感染拡大するという。これも2類から5類にしたらただの風邪としてあつかえるようになり、角界のコロナ禍は静まるのかな。力士の感染は一部の人たちが否定するPCR検査によって判明したものだが、PCRなんか信用できないから気にしないで盛大に観客を呼んで、全員出場すればいいのかな。などといろいろ考える。国内での感染者数は、もうじき30万人を超える。東アジアでいまダントツはインドネシアとフィリピンで、少し離れて日本が続き、堂々の3位確保。去年の第1波のときは、韓国より感染者も死者も少なく、隣国の苦闘を尻目に「日本モデル」などと、前首相が胸を張っていた。それがいまや韓国を追い抜き、年末に至って日韓両国の間に40カ国がひしめくほど差が開いている。東アジアの他の諸国は韓国よりさらに上手に危機を乗り越えている。台湾は奇跡とも思える安定を誇る。日本モデルはどこへ行ったのか。2回目の緊急事態宣言を実施して、第3波はどのように推移するか。そして第4波は!
1面トップ「関西3府県 緊急事態要請 大阪・京都・兵庫 担当相『認識を共有』 要請を視野 発言相次ぐ」では、4都県に続いて大阪・京都・兵庫3府県が緊急事態宣言を要請、さらに愛知県、岐阜県も続くようで、栃木県は宣言発令の要請に向け調整中。福岡県も緊急事態宣言を視野に入れる用意があるとか。下からの突き上げに揺れる政府というのが構図である。今回の宣言の実態をよく見れば、できるだけ経済活動に影響が出ないよう配慮する姿勢が丸見えだ。これで緊急事態宣言と言えるのか、という程度の制限に見えてしかたない。しかも、宣言の及ぶ範囲を極力抑えたい意向が目立ち、かえって極大の網目から命がしたたり落ちる状況になっている可能性が高い。経済だってとても守れないのではないか。国民が納得する判断をし、果断に困難に立ち向かっていくという姿勢は、政府のどこにも見当たらない。若者たちは気づいてしまったのかもしれない。「コロナは風邪」「PCRなんて嘘」「2類から5類へ変更すればすべて解決」「おれたち若者は死なない」「死ぬのは年寄り」なんぞの俗説がまかり通り、特別過酷な運命を若者に背負わせている現代社会への彼らの反発心に、コロナは制御不能の武器となっているのかもしれない。やけっぱち気分が罪の意識を喪失させ周囲に感染を広げる役割を担ってしまうのか。変な言説はそれに免罪符を与える、とても罪作りなものだと知る。比較的高齢者がそんなことを主張したら、おぞましいホラー劇を演じるに等しいと思うばかり。年寄りはかつて戦争で若者をもっとも過酷な運命のただ中に追いやったのと似た責任を問われている。またたとえば、変異種が若者を襲い始めたりしたらどうなるか、考えるだに恐ろしい。
3面「休業従わない飲食店に・・・『罰金』33%『判断尊重』62%」の記事では、罰金そのものの意味については問わず、すでにそれが前提となる状況下でどう判断するかのアンケートが行われている。つまり、休業や生活補償の荒っぽさを問題とせず、「罰則の是非」その他で、私権の制限についての考えを問う。それでも、政府が本来やるべきことの答えがここに潜んでいるような気がする。私権を制限されれば当然反発はあるし、それは不当ではない。政府が強い政治と強い民主主義を矛盾しないものと考えるなら、私権制限を先に実行するのではなく、政府みずから私権の侵害にならない万全の対策に気を配りつつ、厳しい状況を訴え、従ってもらうようにするべきなのだと思う。そのとき国民は「お上」の施しを頂くのではなく、政府が過不足のない綿密さで国民を支えるよう、自らの権利として要求する意思を持つことが必要になるのだと思う。それがないまま、変な言説を流して人心を誤誘導したら、その結果にどう始末をつけられるか。そのようなことも自分自身のこととして、市民の責任として意識する必要がある。
posted by ガンコジージ at 10:59| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする