2009年11月01日

映画「ナオキ」 どっちがマシか?

山形国際ドキュメンタリー映画祭で注目された作品に「ナオキ」というのがある。英人監督ショーン・マカリスターが、山形市のワーキングプアカップルの日常に密着して製作したのだそうだ。
50代半ばの男性がアルバイトをして働く。27歳年下の恋人も、昼間は事務員、夜は水商売の1日15時間労働。
これを新聞では、真綿で首を絞められるような「日本式貧困」と書き、同時に、監督のつぶやきを載せていた。
彼は「アフリカの方がマシだ」と言ったらしい。
ふーん、それはなぜだろう、とジージは考えた。朝食のあとで、新聞を読みながら奥さんと話した。
「アフリカの方がマシなんだって・・・」
すると、奥さんは言ったものだ。
「蟹工船という映画を見て、観客が言ったらしいよ。蟹工船の方がマシだって」
なるほど、そこでジージは思い至った。蟹工船を見た観客は、抑圧された労働環境のなかでついに立ち上がり、自らを圧迫するものに怒りの拳を突きつける蟹工船労働者の姿を見て、羨望を禁じ得なかったのだろう。
そこには横につながれる関係があった。はじめはなかったとしても、つながれる関係を最後には構築できた。
派遣切り、雇い止めなど、簡単に明日からの生活が崩されてしまう日常で、それに対してNo!の声を上げることもできない。さらに日本的日常が彼らの危機を、まるでなにもないかのようにオブラートにくるんで、社会の表層から見えなくしてしまう。たとえ目の前にあっても、自分と関係ないものとして排除し、遠ざけてしまう。
そのように自らを取り巻いている現状に照らして、「蟹工船」の労働者を「自分よりマシな存在」に感じたのだろう。苦境にある自分を支えていっしょにたたかうものたちがいないと思わざるを得ない職場、彼らと遠い関係にしかない周辺の社会。なんというつらい現実なのか。
たとえ無関心を装う世間があっても、たたかう力があった昔。日本の労働者が(実質的)団結権を奪われてそれほど長い時間が経ってしまったのだろうか。団結の仕方もすでに忘れてしまうほど、世代が交代してしまったのだろうか。そのあとに、真綿で締め上げる沈黙の環境だけが生き残っていたというのだろうか。
本田勝一のルポ「アメリカ合衆国」のなかにも、同様の記述がある。いま手元にないので正確ではないが、日本に住んでいるアフリカ系アメリカ人が語る「日本のほうが住みにくい。アメリカ南部の方がよほど住みやすい」という言葉も、初出の英国人監督の独白と重なって見える。
ジージとしても、こういうふうにこぼれていく他者を排除し、個別の安定を確保しつつ自らを閉ざしていくような社会環境が、時代の閉塞感をいや増しているような気がしてならないのである。
そして同時に、もしいまジージがこのような状況の中で現に喘ぎ続けている立場にあったとしたら、どんなふうに声を上げることができるだろう、と思った。
正直にいえば、間違いなくジージも怯むだろう。明日の我が身であるはずだが、寄る年波と言うべきか、やはりいつのまにか時代の雰囲気が身に染み付いているというのか、涙を流しながら怖じ気づいてしまう可能性を、すでに自分の中に発見してしまうのである。
で、そんな情けないことにならないようにするには、どうしたらいいのか、と考える。
ほんとうは簡単なのだ。そこまでいく前に、なんとかすればいいだけだ。
新自由主義経済の復活を企む輩が息を吹き返すことのないように・・・いまだからこそ、つくづくそう考えるジージなのであった。
posted by ガンコジージ at 09:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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