2010年04月26日

名画座の思い出

ジージの住んでいた地方都市には、名画座という名の映画館があって、支配人の独自の選定眼により、当時(昭和30年代)から見てすでに古今の名画といわれていた内外の作品群を専門に上映し、異彩を放っていた。
おそらくそこでは、初期の危険なフィルムが果敢に上映され続けていたのだと思う。そして少なくとも、ジージの記憶する限りでは、名画座で火災ないしはフィルムの熱溶解が起こったことは一度もなかった。
名画座は地方の中都市の映画好きからは尊敬の目を持って遇されていたと記憶している。なぜなら、支配人の選定眼は絶対に確かなもので、いまでいうならまちがいなく映画オタクの部類に属し、さらにその頂点に立っているといっても過言ではないほどの知識人だったからである。
名画座で次週上映される映画が判ると、映画好きたちは支配人の選定眼の鋭さ、質の高さを誉め讃えたものだ。それは同時に、自分たちが支配人の眼力にどれほど近いかということを、周囲に知ろしめす機会にもなった。
ジージは彼らの語る古今の名画論を、まるで血湧き肉踊る冒険物語を聞くように、熱心に聞き入ったものだ。父はその映画フリークのなかでも、かなり上位に属する映画全知識であったと思う。
ジージはあるとき、映画館の館主をなぜ支配人というのだろうと考えたことがある。詳しく調べたのではないから正確ではないが、個人的な結論をいうと、まず第一の前提として映画館とは劇場と呼ぶのが正しいのだろうということがあげられると思う。
つまり、もともとは映画専門の常設館であるのではなく、大衆演劇や歌謡ショウ、ときにはプロレスなどの各種興行も、スペースが許す限り行っていたところだったのだと思われるのである。
その証拠に、スクリーンは天井から舞台の上に垂れ下がっているものであり、観客から見えない舞台の奥や両ソデには、各種の舞台装置を操るためのロープなどが、ぎっしりと並んでいたのである。
映画には関係なさそうな装置、たとえばシーリングライト、スポットライト、ホリゾントライトなどもおおむね完備されており、舞台の真ん中にはせり上がり式のマイクロフォンも設置されていた。
つまり、映画館の支配人とは各種演劇をおこなう劇場の支配人であったから、ただの館主とはいわず、支配人と呼ばれていたのだと、ジージは思うのである。
支配人はもともと、映画を頂点とする大衆娯楽を提供する劇場において、全権を掌握する存在であった。大衆娯楽全般にわたる広い見識がなければ勤まらなかったのである。
名画座の支配人が名画と認めた映画を、観客の側はどれだけ認識しているか。それはまさに、映画館と観客の真っ向勝負に近い向き合い方があったことを意味している。そしてもちろん、いまもその流れは連綿と生きているのだと思う。
名実ともに支配人と名乗れる人物は、時代の流れゆえにやはり少なくなってきているとは思うが、まちがいなくそのような認識は残っている。そのように認めうる正真正銘の支配人という存在は、いまもたしかにあるのである。
もうひとつ基本的なことを付け加えておくとすれば、館主は経営者、支配人は運営者という区分けをすることもできる。両方を併せ持っているときも支配人と呼んだのではなかったかと思う・・・。
posted by ガンコジージ at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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