2010年05月18日

「アメリカ・インデアン悲史」その2

細かい記述は省くが、インディアンが追い出されたあとの土地には、ただちに白人たちが殺到し、土地を根こそぎ奪い去っていったのである。最後まで抵抗していたチェロキーたちも、ついに追い出される。
ここで特に見ておきたいのは、白人たちの反応だと思う。自分たちがインディアンに対して行った極悪非道に対して、当然反撃があるものと危機を感じ、彼らがそれを極度に恐れたこと。それゆえ、できるだけすみやかにミシシッピー以西へインディアンたちを移住させてしまおうと焦ったこと。
そして、インディアンたちが追い出される先は、白人たちにとってほとんど価値のない、荒れ果てた未開の大地であったということ。これはなにかと似ている、と感じないだろうか。
GoogleEarthでパレスチナの大地を調べると判る。パレスチナ人たちが追いやられた一帯には、赤茶けた土地が広がっており、ごみごみとした住宅群が押し合いへし合いしているのが見てとれる。
一方、そのすぐ隣りに広がっているのは、イスラエル人たちの入植地である。整然と区画され、広大な緑の大地が延々と続いている。そしてそこに、両者を区画するコンクリートの壁がある。
このあからさまな違いを見ると、イスラエルがコンクリートの分離壁を築きたくなる気持ちも判らないではないと思えてしまう。押さえつければ押さえつけるほど、反発がきつくなるだろうと予測し、身をいっそう固く防御するようになる。自らの内部に生まれる疑心暗鬼を押さえられなくなり、暴虐の限りを尽くすようになる。そこに巨大な壁が建造されるのである。
だがしかし、ソビエトに侵攻したドイツ軍の末路は、復讐されることへの恐れからくる集団自殺であったことを考えたい。暴虐の限りを尽くしたものたちは、みずからの影に怯えてさらに暴虐に走る。そしてみずからの命をも危うくするのではないか。パレスチナにおけるイスラエルの行為もまた、おなじところへ落ちていくのだろうか、と危惧せざるを得ない。
ガザの上空数百メートルから見下ろすGoogleEarthの写真は、そんな気持ちを抱かせるのに十分な根拠を、見るものに与えるのである。

当時、チェロキーテリトリーの治安対策に送り出された軍隊のなかには、クソ真面目に不穏分子を厳しく取り締まったものたちもあった。しかし、捕えてみればそれはほぼすべて白人たちであった。
彼らの一人は記す。(白人の暴虐ぶりのために、チェロキーたちの)「100人中99人とはいわずとも、20人中19人は、まったくの文無し乞食として西へいくことになるであろう」
無骨一直線の軍人にしても、そのひどさに絶句するほどなのである。移住を拒んだチェロキーたちは全員、強制収容所へ入れられ、ミシシッピー以西地域へ送られていく。無人となった土地や家には白人たちが先を争うように乱入し、墓場を暴くなどを含め、略奪をほしいままにしていったのである。
全行程1300キロに及ぶミシシッピー以西への移住の旅も困難を極めた。道などまったくない地帯を、食料も、必要な車両も揃わない、病人や老人や子どもを含む13000人のチェロキーたちがほとんど徒歩で横切っていくのである。
移住に際しての死者総数は正確には判っていない。およそ4000人であったと推測されている。彼らがたどった道筋を、インディアンたちは「涙のふみわけ道(The Trail of Tears)」とよぶのだという。原語では「そこで人々が泣いたふみわけ道」・・・悲しみはいまも語り継がれている。
(以下、明日へと続く)
posted by ガンコジージ at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック