2010年05月19日

「アメリカインディアン悲史」その3

こうして見てくると、歴史が過去をまったく学び取っていないもののように思えてくるのである。
民族大移動について歴史の授業で習ったことを覚えているだろうか。中央アジアの高原において民族が覇権を争った時代があった。そして、玉突きのように次から次へと押し出され、多数の民族がユーラシア大陸をさまよいヨーロッパへ至った。
それは遠い過去に終わってしまったことではなかった。アメリカの成り立ち自身においておなじことが繰り返されていたのである。
様々な理由でヨーロッパを押し出された移民たちの群れが大陸に殺到し、先住民たちを追い出し、ただひたすら無秩序に広がっていった結果として今のアメリカがある。
イスラエルのあり方も、その延長線上で考えることができるような気がする。過去の歴史が繰り返してきたことを、いまおなじ方法でやり遂げようとしているイスラエルを、歴史から学べる位置にいるジージたちに押しとどめる方法はないのだろうか、などと考えてしまう。
押しとどめようにも彼らはすでに後戻りできないほど深くまで、集団催眠状態に落ちてしまっているのだろうか。
白人たちがアメリカインディアンにやったこと、そして自らの行為によって意識の真相に抱いた恐怖とおなじものが、イスラエルにも根を張ってしまっているのだろうか。
しかし、なにかの変化が起こっているのを感じることもできる。ユダヤ人内部から声が上がっているのを、ジージたちは知っている。そのことを知っているが故に、次に力を発揮すべきは、まちがいなく彼らをとりまく我々なのだろうと思わざるをえない。
チェロキーの悲劇は、彼らに襲いかかった白人たちだけの責任であるのではなかった。その周囲にいて、そのことを見ないでいたものたちの責任でもあったはずだ。
たしかに、かつては知らなかった人たちがいただろう。しかしいまジージたちは、歴史に学んでいる。知らないという顔をすることは出来ないはずである。いまを生きるものたちには、すでにその両肩にずっしりと食い込む重たい責任がまちがいなくあるはずである、と思う。
「涙のふみわけ道」を現代に再現しないために・・・。
この本を読んだずいぶんあとで、トムクルーズ主演の映画「遥かなる大地へ(92年)」を見たが、ラスト近く、土地を獲得するための巨大な騎馬レースが展開される場面を見ていて、そこはたぶんアメリカインディアンの土地だったんだろうなあ、とジージは思いあたって、なんとなく複雑な気持ちになったのを覚えている。
ようするに、そこに住んでいるものたちを追い出したあと、大挙して押し掛けて肥沃な大地を欲しいだけものにしていったということなんだろう。その後の歴史で、おなじことが地球の至る所で繰り返され、日本人もおなじことをやり、いまもまだ地球のどこかで行われつつある・・・というわけだ。
ヨルダン川の西岸で「潜入者」強制退去の軍令が公布された。そのことから思う、地球の歴史である。
最後に、インディアン掃討に多大な功績を上げた軍人の無慈悲な言葉を引用しておく。彼は老若男女を問わず殺しまくり、次のような言葉を残した。「シラミの子はやがてシラミになる」・・・この言葉までそのままいまのパレスチナの惨状に当てはまることに慄然とせざるを得ない。次の「悲史」を自筆で書かないために、肝に銘じたい。
(以上、「悲史」おわり)
posted by ガンコジージ at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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