2010年07月02日

全面改訂版が欲しい

ハリーポッターについては、第1巻を読んで放り投げた。つまらなかったからである。まずリズム感がなく、かなり多くの文章が意味不明で、人物の性格や場の雰囲気など捉えにくく、読むのに骨が折れた。したがって、第2巻以降は手に取ることもなかった。
ものすごい売れようであることに違和感を感じたし、読んでおもしろいと感じる人たちの読書力に驚嘆したりもした。この歳になると文字から汲み取る想像力が落ちてくるのかもしれない、などと思ってもいた。
どんなところがわからなかったの、と問われても、いまあらためて本をひらく気にもならない。ようするに全編にわたるあまりの読みにくさに懲りてしまったのである。
これには年齢的な限界もないわけではなさそうだと思う。だがしかし、ジージと同様の感想を持った人たちが少なからずいたらしいということを、近頃ようやく知った次第。
ネットというものは不思議な機能を持っているものである。多数派だけが周囲に明確な意志を発信しているわけではなく、少数派でもしっかりと自己主張できる側面も保証している、そこがすごい。
「ハリー・ポッター」についてもいろんな意見があるのを知ったのはつい最近のことだった。へえ、そうなんだ、と多様な意見に感心していたのも束の間、今度、
「ハリー・ポッター日本語版の不思議」まとめ+(誤訳珍訳改善研究所)
というHPをみつけて読んだところ、ジージは眼からウロコの心境になったのである。
そうなのだ。回りくどい表現で、文章の流れが悪く、そのうえ意味不明な部分が多過ぎたのだ。それゆえ素直に感情移入できなかったのだ。この本をおもしろいと思った人たちはこういった意味不明な部分を、ちゃんと読み進められたのだろうか。疑問を感じてしまったのである。
いまは思っている。文字を追いかけて意味をとらえる読み方をする、いささか理屈っぽい読み方をするジージみたいな読み手たちには確かに読みづらかっただろう。しかし、文字を記号としてとらえる前に、すぐさま感覚としてとらえる能力を持っている人たちにとっては、文字イコール映像イメージ化の作用があって、読みにくさを感じない可能性があるかもしれない、と。
しかしそれは、読み手の映像化能力の違いに依拠しているだけであって、翻訳の問題を解消してはいない。そしておそらく、翻訳がさらに洗練されていったら、読み手の能力に応じて、いっそう作品のイメージはふくらんでいくのではないか。判りやすく展開されていくのではないか。そんなふうに思ったのである。
なにしろ毎日書きちらしているジージのブログの文章ではない。金を取っている。それも半端じゃない金額なわけだ。ちゃんとしてもらえたら、さらに読み手は増えるだろうな、と考えたわけで・・・。
詳しいことは先に掲げた「誤訳珍訳改善研究所」の記述を読んでもらったほうがいいと思うので、ここでは割愛する。すくなくとも、全世界でものすごい数が読まれた以上、原文が元から読みいにくいわけではないだろうと推測する。
改訂版とか新訳版というのがあるのだから、できれば、読みやすく、きちんとした翻訳になって再登場してほしいと思う。そのときには、ジージもなんとか全巻を読みこなしてみたい。なにしろ、おもしろくなければ、だれも飛びつかないはずなのだ。きっとまちがいなくおもしろいはずだ、とジージは確信しているのだから。
posted by ガンコジージ at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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