2010年08月04日

「トーラーの名において」 1/6

以前、「レイラ 17歳」というドキュメンタリーをみたとき、そこに登場したイスラエル人女性の、なにかに取り憑かれたような視線や激しい態度に恐れを感じた記憶がある。そして疑問を持った。「なぜ、ここまで憎悪するのだろう?」と。
彼女に限らず、イスラエル人の憎悪の感覚とそのほとばしりには、すさまじいものがあった。パレスチナ人が曝されている日常の過酷さに身震いするほどだった。
そして本書を読み、映像で感じた「なぜ?」の一部がほの見えた気がしたのである。2000年9月に始まる第2次インティファーダによって、建国60年を経たいまもイスラエルは安全で平和な国家たりえていない。そればかりか、彼の地はユダヤ人にとって世界中でもっとも命の危険に曝される場所になっている。その状況がいっそう深くなっていくことにイスラエル人自身恐怖している姿が、見えるような気がしたのだ。
パレスチナ人絶滅を目論むような、ガザに対する執拗な攻撃は、取り憑かれた恐れのなせるわざとしかいいようがない。06年のヨルダン侵攻に対するイスラエル国人の支持が98%に及んだという報道や、撤退を決めたとき数%にまで支持が落ち込んだといった、判断の激しい動きにもそれは現れている。
そしていま、ラブキン氏のようにユダヤ人の内部から、迫り来る危機を回避するための試みが公然と出てきたこと。イスラエルという国家の存在が、ユダヤ数千年の歴史の中で、これまでとは違った重大な局面を招きつつあること。それをイスラエル人自身が、深刻に受け止めつつあるのだということを、本書から感じざるを得なかったのである。
まず引用しよう。212頁「彼ら(シオニストたち)は、アラブ人を殺すことによって彼らに恐怖心を植え付けることができると思っている。しかし、アラブ人は最後の最後までユダヤ人への攻撃をやめないだろう。・・・ここで『最後の最後まで』というのは、ほんの一人のユダヤ人を殺すためだけに百万人のアラブ人が自己を犠牲に捧げる覚悟ができているという意味である。」「これは勝ち目のない戦いである」
すでにかなり以前からこう語られていたにもかかわらず、なぜそのようになってしまうのか。そうなる理由はなんなのか。本書はユダヤ教の立場から、その問いに応えていこうとしている。ジージはそのように読んだ。
謎を解くカギは、本書の中にいくつも存在する。ひとつをあげるなら、国家としてのイスラエルは「地球上のいたるところで脱=植民地のプロセスが始まったまさにちょうどその頃に創設された世界最後の植民地国家(310頁)」といった記述である。なるほどこれは厳しい指摘である。
イスラエルはパレスチナの地に入植し、そこにいたパレスチナ人たちを追い出して建国された。もとからそこに住んでいたユダヤ人たちは、パレスチナ人と共存して生活していたのに、単一民族国家イスラエルを建設するために、強引に追い出したのである。
そのときからイスラエルは無限に肥大していくしか道を選べなくなっていった、と本書はいう。ひとつの入植地が建設されると、そこが対立の最前線となる。安定を確保するためにさらにユダヤ人をイスラエルの地に集め、入植地を増やせば、新しい入植地が次の対立の最前線となる。
その繰り返しが延々と続き、ついにイスラエルは世界で唯一、ユダヤ人が安全に住めない場所になっていったのだという。
なぜそうなるのか。ジージは驚くしかないのだが、ラブキン氏はそこに究極の原因を見出すのである。つまり、シオニズムの根本は民族=社会主義にあるということ。さらに読み進めば、それは対立物であったはずのナチスと同じ国家社会主義の思想に行き着くとさえ言い切る。そのことに、ジージは驚愕せざるを得なかったのである。
posted by ガンコジージ at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック