2010年08月05日

「トーラーの名において」 2/6

本書では、「イスラエル」という言葉について、アメリカのラビにして著名な著述家であるジェイコブ・ニューズナー教授の文章を引用して次のように書いている。
「今日、『イスラエル』という言葉は、一般に(アメリカから見て)海の向こうに位置する政治国家、イスラエル国を意味する。(中略)しかるに、聖書、ならびにユダヤ教の教典において、『イスラエル』とは、神がアブラハムとサラを仲立ちとして呼び止め、ついでシナイ山にてトーラーを授けた聖なる信徒集団を意味する。(28頁)」
これは本書において、常に重要な位置を占める定義である。そして「一世紀来、ユダヤの名を冠する人間集団が『信仰共同体』から『運命共同体』へと移行するなかで被ったアイデンティティーの変容(同頁)」について詳しく触れていく。
と、ここまでが、ジージのつたない解釈の限界といおうか。そのあと、本書はシオニズム国家の実態と、ユダヤ教の対立の構図を微細に記述していくが、実際のところ、本書の内容は始めて接するジージのような非宗教的非論理的輩にとっては、理解の外へ飛び出てしまう部分が多いといわざるを得ない。
だがしかし、現状の事態の推移は、以下のような危惧を現実のものにしかねない勢いで進んでいるのである。
「反シオニストのラビたちは、シオニズム批判を圧殺する方向に機能している現今の『ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)』が、いつの日か解消した暁に、世界中のユダヤ人(教徒)が一転して西洋人たちからの強い非難にさらされるのではないかと懸念している。(中略)その反動は止めどなきものになるのではないか、というのだ。(中略)ショアーに関する西洋の罪悪感が、いつの日か、ツァハル(イスラエル国防軍)の軍事行動に対する批判意識と釣り合ってしまうであろう瞬間、今度はイスラエルに起因する暴力によって呼び覚まされた諸国民の怒りが全ユダヤ人(教徒)の頭上で猛り狂うことになるのではないか(中略)そうなれば、ユダヤ人は、それぞれの居住国で平和裏に暮らすどころか、その居住国の利益に反してまでイスラエル国の利益を優先させる人々として絶えず後ろ指を指されることになろう。(330頁)」(ジージ注:ショアーはホロコーストのこと)
これは宗教的な解釈を越えて、現実にありうる脅威なのだ、とジージは思う。この連続記事の(1)で書いたように、「レイラ 17歳」に登場する「イスラエル人女性のなにかに取り憑かれたような視線や激しい態度」には、まさにこういったラビたちの危惧と共通するものを感じさせるのである。
そしてまた、ジージとしては「なぜ?」という問いに戻らざるを得ない。2000年に始まる第2次インティファーダ以降、イスラエル国民の恐怖は頂点に達したといえるのかもしれない。映像の中心にいた女性は自らの恐怖に押しつぶされそうになっていたとも思える。にもかかわらず、彼女はなぜ、パレスチナ人に対して暴言を吐きちらし、憎悪の目で睨みつけるのか。それ以外の方法を失っているように見えるのはなぜか。
そこに、連続記事(1)に書いた「民族=社会主義」(国家社会主義ナチズム)の亡霊の影が見えてくるように思うのである。
ラブキン氏は希望的観測として次のように書く。「シオニスト国家としてのイスラエル国も、かのソ連とまったく同じように、犠牲者を出さずに地図上から姿を消すことができるのではないかという見通し」「ソヴィエト連邦とイスラエル国、いずれも『人間の意志の勝利』をつうじて、すなわち武力を行使することによって創設されたこれら二つの国家に共通して見られるイデオロギー上の性格から、その消滅のシナリオをも先取りしたくなる(以下略)(346頁)」
はたしてそうだろうか。ジージとしては、本書にあるハンナ・アーレントの言葉がいっそう真実に近いのではないかと思わざるを得ない。引用は次の(3)にて・・・。
posted by ガンコジージ at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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