2010年08月30日

弁当の思い出

このあいだ、学生服の思い出について、ちょこっと書いた。そんな時代があったなあということではあるが、もうひとつついでに思い出したのが弁当のことだ。
ジージがなにを持っていったのかは詳しくは覚えていない。小学校は09年9月16日の当ブログで「とつぜんですが、学校給食の思い出」で書かれているように給食だった。弁当になったのは中学からであったか・・・。
ジージの場合、うっすら覚えているのは、ドカ弁に醤油をかけた鰹節をまぶし、ニワトリを飼っていたので運がいいと目玉焼きをのせたものが単調に・・・そうだ、中学高校と計6年間続いた、と記憶している。
ほかの奴らのがどんなだったか、まるで覚えていない。記憶に残っているのは、特に女の子で多かったのだが、食べるときふたをちょろっと開けて、隠しながら食べる子が多かったことだ。
当時は、なんでそんなことをするのか、わからなかった。最近、マイ奥さんに聞いてなんとなく、「そうか」と思った。マイ奥さんは毎回決まってキャベツのいためたのにカツオ節をかけた一品のみだったそうだ。
「それで、やっぱり、隠して食べたの」と聞くと「うん」という返事。そうか、なるほどな、と思ったものである。
ジージの弁当に、若干でも変奏曲はなかったのかなあと思うのだが、鰹節ときどき目玉焼き以外は覚えていない。記憶というものは、こういうふうに年月とともに曖昧になっていく。
アルマイト(ようするにアルミニウム整形した)弁当箱の真ん中が梅干しで腐食する。その腐食痕が我が家のやつにもあったから、せいぜいカツオ節を醤油でかき回して、てっぺんに梅干しをのせたものだったのではあるまいか。
なにしろ、ジージの好物のなかに、いまでもカツオ節の醤油かけが厳然としてあるのだから、まちがいないだろう。ニワトリを飼っていたことがあり、朝の産卵事情によっては目玉焼きが加わったわけで・・・。
マイ奥さんの幼少時の弁当箱はいまも我が家に残っている。アルマイトのふたの裏側に、梅干しによる腐食痕がある。
かわいいこけしが印刷されていて、べこべこになってはいるが、まだ使おうと思えば使えないことはない。結婚するとき、彼女はこれをだいじに持ってきたのである。それを見ると幼少時の彼女の姿が思い浮かび、ジージとしてはなんとなくほのぼのとしたものを感じたりするのである。
しかし、心して思い出しておきたい。学校給食がはじまるまでは、弁当を持ってこられなかった子どもがいたということ。遠足の時なども、なにも持っていけないが故に休んでしまう子もいたと言うこと。
たしかに、そういう時代であったのだと思う。それを忘れてはいけないのだと思うのである。
posted by ガンコジージ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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