2011年02月23日

父のおもしろ軍隊話・・・3(戦争への警戒)

父の戦争観は、ジージを何がなんでも理科系の大学へ進学させようとしてことで、一貫していた。
「大学へ行け。それも技術系だ。日本は20年ごとに戦争をする。明治維新から日清日露戦争、第一次大戦、ちょっとずれるけど満州事変に太平洋戦争。だから、おれの予測ではお前がはたちになるころには、絶対に次の戦争がある。でも心配すんな。技術系は兵隊に駆り出されることはない。戦争の道具をつくらされるだけだ。それも好かんとはいえ、とにかく戦争になったら徴兵制だ。いやでも鉄砲を持たされる。それはだれだっていやだろう。いやだったら大学へ行け。それも理科系の大学へ行け」
いくらおもしろおかしく話して聞かせてくれた軍隊話でも、父の気持ちの底には「おもしろおかしくもない」別の思いが厳然と存在していたのだろう。この気持ちはまったく動かしがたいものであったようだ。
そしてジージが、「技術系は苦手だから、文学系なら」と言うと、「うちはそんなところへ遊びにいかせる金はねえ!」と激怒し、手にしていた腕時計のバンドを引きちぎってしまうほどであった。同席していた母の言によると、「千切れたバンドが空を飛んでいったよ」という話。
べつに大学へ行きたいわけじゃなし、希望としては中学のときから汚れたつなぎ服と機械油の臭いが好きで、自動車の整備工になりたかったジージであったから、自動車整備学校が第一希望であったが、どうも高等数学や理科はねえ、という気持ちはあった。だが、父の「戦争へ行かせたくない」という気持ちは半端じゃなかった。やはり「おもしろ話」の奥には、話したくもない複雑な記憶が充満していたのである。
また、金なんかなくて、とても大学へ行くのは不可能、という我が家であったから、ムリヤリ行くにせよ、厳しい条件が付けられた。
「金がないから私学はダメ。浪人はダメ。絶対に理科系であること。医学系もダメ。この条件が満たせなかったら、看板屋の家業を継ぐこと」というのである。
ジージとしてはラストの条件が最も過酷に感じられた。看板屋は不況に弱く、俗にいう3K職業であった。おまけに絵とか字についての基本的な才能がないと、まともにつとまらない。絵はドヘタ。字はミミズか粘土版の矩形文字。体力ゼロ。いくら修行したって家業を背負うのは無理というものだ。
ジージは「20年ごとの戦争」という父の説を信じて、ついに「理科系国立大学進学」の方向を選んだのである。「行きたいのに行けない」のもつらいが「行きたくもないのに厳しい条件を付けられて、行くしかない」のもいささかつらい。
しかも、父は以上のように決定したその日から、ジージを仕事で引っ張りまわし始めた。朝飯前から夜中まで、勉強する間もないほど引っ張りまわしたのである。
恨んだなあ〜、もう。父の思惑は国立大学でも、我が家のすぐ近くにある某大学への進学にあったのである。ジージはすぐにそれを察知した。「おいおい、行く大学まで決められてるのかよ。それで勉強時間を与えないつもりだな、ニャロメ!」
参考書は立ち読みか古本屋。仕事がないときは、奇妙な勉強を強いられた。たぶん父の戦争体験はこんなことよりずっと厳しかったんだろうな、と思いつつ、いつのまにかジージは、地元の大学でないところを目指そうという気になっていったのである。
忠告・・・(入試の参考書として古本を選ぶべからず。ぜんぜん役に立たないから! いまもあるか知らないが、ラジオ講座がオススメだよ)
posted by ガンコジージ at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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