2011年11月13日

童話「トミーが3歳になった日」

知り合いが創作童話の批評を依頼してきた。送ってきた創作童話は、311以前であったらどこにでも見かけられただろう、幸せな家庭を描いていた。不安とか皮肉とか、ましてや批判めいた考えなど混在する余地のないくらい完璧に抜き去った作品だった。
それが、311後の視線からは、そんな作品の奥にさえ、深い悲しみに彩られたノスタルジーを感じて、セピア色の絵柄の風景まで思い浮かべてしまったのだ。読んでいて自然に頭に浮かんだのが「トミー」だった。
「トミーが3歳になった日」・・・テレジンのユダヤ人強制収容所の壁に隠されていたスケッチブックからつくられた作品である。収容所の中で、監視の目をかいくぐりながら、父親が我が子に向けて思いのたけを伝えようと必死に描いた絵をもとにした童話だが、受領した創作童話にも同じ味があった。いや、「トミー」の中には、もっとはっきり「yes」「no」が語られていた。
だから、現実に対するアイロニーの空気や抵抗の視線は、「トミー」の中にこそ熱く流れていたものの、創作童話の中ではあえて意図的と思えるほど徹底的に削除され、それが逆に欠落感を強調することになり、読むものの心の不安定を助長したように思えた。
つまり、削除が逆転して強調に変化したと言い得るような緊張感が読み取れたのだ。いまこの時代は、過去と相似した雰囲気を背負いながら流れつつあるのではないか。いまを生きる親たちは、テレジンの父親のように失われた時代の記憶を抱えながら、そんな時代があったことを語り継ぐ。自らに言い聞かせていく。そんなことが思い浮かんだ。
やはり、わずかな滞在でしかなかったとはいえ、福島での経験が大きく作用しているのだろうか。たとえば高速を走っているとき、矢板市のあたりから放射線量がぐんぐん上がり始めた。その数値に驚いてすぐ、パーキングエリアで降車したとき、幼稚園児を乗せたバスがどこかへ出かける途中らしく、20人ほどの黄色いチュニックたちがエリアの路上にわらわらと沸き出したのに、とても気持ちを揺さぶられたのだ。
それ以降、通り過ぎる街々でまるで閉じ込められるようにものすごくたくさんの人たちが生きているのを見た。なかには多くの小さい子どもたちがいた。赤ん坊もいた。
この放射線の中で、さまざまな事情を抱えて脱出もままならず放置状態におかれ、一方で壊れた原子炉はいまにも倒壊して人類がいまだ遭遇したことのない高濃度の放射能を列島にまき散らす可能性がある。それらのコトを十分承知していて、放射線に怯えながら、出るに出られないオリの中で生きている人びとが多数そこにいる。
福島はこの国の将来を象徴しているだけで、日本列島のかなり広範な地域で同様の出来事が発生する可能性がある。そう思うと、手放しの「幸せ感」を強調する作品が、いままでとは違って過ぎ去った時代のノスタルジーを表現するようになってきているのだと思わざるを得なかった。
新しい創作童話は、時代の底流がこんなときにあって、意図するか否かを問わず、自然に時代を背負ってしまったのかもしれない。または、時代が作品の奥にくっきりと焼き印を押したのかもしれない。
幸せを悲しみとともに感じる時代になったのか。テレジンの外に幸せが存在しなかったように、放射線で人びとを閉じ込める区域の外にも、いまや自由や幸せの感覚は薄くなりつつある。
ふたつの時代が重なり合おうとしている。いや、断じて重ねあわせてはならないのだと思いながら、「トミー」と創作童話を並べて読んだのだった。
posted by ガンコジージ at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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