2012年05月01日

同窓会なんてものは

ここのところ、まともに家にいない。電車に乗って、あっちへいったりこっちへいったり、休む間もない。
日曜は故郷の小学校同窓会にでかけてきた。現在は、その足で関西へきている。落ちつかんなあ、とぼやきつつ、今日は日曜の同窓会について書こうと思う。半世紀ぶりに出あって、良いの悪いのいろんな思い出がよみがえったのだ。
一番先に書きたいのは、とても腹の立つやつのこと。ニコニコしながら2次会3次会まで催してくれた幹事。こいつが、3次会のときにこんなことを言ってくれたのだ。「ぼく、思いだせないんだけど、君のこと、もしかしていじめたりしなかった?」
「思い出せないんなら聞くんじゃない!」と言いたかったが、実はぼくも思い出せなくて、「いじめられた思い出はあるけど、誰にというのはさっぱり思い出せない」と応えたのだ。
顔が昔と結びつかない、名前を聞いてもピンとこない。そんなんで変なことを聞くから、頭がこんがらがってしまう。「もしかしてこいつ、オレをいじめてくれたやつだったかな?」なんて思い込んでしまう。なにか悪さをしてくれたかもな、なんて思いが頭をもたげる。
考えて考えて、ようやくわかったのは、「いや、こいつは、べつに意地悪しなかった」ということ。子どもは素直に遊んでくれても、大人は「ああいうのとはつきあうな」などとそそのかして疎遠にさせる。そんな類の関係だったと思う。こういうケースはよくあった。畳にあがらせなかったり、「もう来ないでくれる」なんていうのもあった。でも、そんなこと考えるのはみんな大人だ。
へんな応答をしてしまったけれど、「罪の意識を感じなくていいよ。悪いのはあんたじゃない。親がやらせたんだから」と二日遅れでいまはそのように言える。また出会うのは数年後だが、未来の言葉としてとっておこうと思う。
もうひとつは中学の同級生。以前このブログで書いた不良のことだ。卒業のとき「ぼくは真人間になります」と作文を書いて、みんなが感動したっけ。
別の日に詳しく書くが、彼の人生は波乱に満ちたものだった。真人間を誓ったのも束の間、総番を張って他校の不良たちと大乱闘したのち、板前修業をして料亭を開いたのだと言う。
行ってみたら、なるほど高級だった。ぼくなんかの出入りするところではなかった。すごく歓迎してくれてうれしかったけれど、やっぱりドスの利いた声で、べらんめい口調で早口でしゃべられると、なんだか昔は感じなかった凄みが押し寄せてくるようで、正直すこし恐かった。帰りがけに握手してくれた感触は、すごく穏やかな感じで、ホッとした。
posted by ガンコジージ at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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