2014年10月13日

経験を継承することの大切さ

本日の「天声人語」に「台風の目」の記述がある。人工衛星から地球を撮影したら、今度の台風の中心がぽっかりと見えたという。撮影者はこんなにデカいのを見たことがない、と語っているらしい。
ネットで観た写真では、なるほど凄まじい大きさのようだ。目はもちろん台風の大きさもすごい。地球を覆い尽くしそうな分厚い雲が台風の全体を示しているとしたら、それはたしかに前代未聞というべきか。
そこで思い出した。小学校時代のこと、台風が多い年だったと記憶する。なかでも巨大なのが、我が街を通過していった。
すさまじい風雨が荒れ狂い、今にも家が潰れるのではないか、映画「オズの魔法使い」のドロシーの家のように空高く吹き上げられるんじゃないか、などとキモを縮めていたら、ほとんど「急に」と表現できる短い時間で、風と雨の音が止んだ。
「うわっ、台風が行っちゃった!」と飛び上がり、外へ走り出ようとすると、父がタバコに火をつけながら、「気をつけろ。台風の目にはいったんだ。すぐまた雨と風がきつくなるぞ」とたしなめたものだった。
言われて「台風の目?」と首を傾げた。とっさの連想では、空の上に巨大な目玉が浮かんでいて、人間世界をじっと見下ろしているイメージがあった。脳裏には、渦巻く黒雲に取巻かれて地上を睨みつける目の、邪悪な姿があった。
「気をつけろよ。すぐ戻ってくるんだぞ」という父の声を尻目に、恐いもの見たさで外へ出た。期待に反して戸外はからりと晴れ渡っており、まぶしいほどの日差しの下に、ひっそり静まり返る家々の連なりがあった。
空に一片の雲もなく、まったくの無風。足元には木の枝や葉っぱが散乱していたが、ぴくりとも動かないその様子は、固く戸を閉めた家々の沈黙と重なり、街全体が死のにおいに塗り籠められているようだった。小路から大通りへ出たが、のっぺりとしたアスファルト道路があるだけで、いつも激しく行き交うトラックの姿はなかった。
人影もなく黙りこくった街。怖くなって家へ走って戻り、「だれもいなかった!」と父に報告してほんのわずかの時間しか経っていなかったと思う。戸外でモノの動く音がし、風雨が戻ってきた。「まだ台風の半分が残ってるんだ。前より激しいぞ。風は前のと逆に吹く。コッチへ傾いた家が反対側へ傾く。それで元に戻ればシメタものなんだが」本気だか冗談だかわからない父の言葉を聞きながら、あと半分の我が家の危機を、家族でじっと堪える時間が始まったのだった。
考えてみると、その頃の大人たちは、いろんなことをよく知っていたような気がする。「台風の目」なんぞでは風が逆に吹いて前より激しく荒れ狂うなどと、いまどれくらいの人たちが知っているだろう。
たとえば子供たちが病気になったとき、父は医者から貰った薬をちょいと舐めたり臭いをかいだりして、「これは胃薬」「これは熱冷まし」「これは漢方薬」エトセトラ。結論として、「医者はたいした病気と考えとらんようだ。薬をちゃんと呑んで大人しく寝ていたらすぐ治る」などと「医者の診断」の診断をしてくれたものだった。
転んでケガをした時でも、血の出具合や色を見て血管が切れているか、動脈か静脈か、適切な判断を下した。軍隊時代の経験もあっただろうが、父の世代が積み上げた知識の広さを、いまの自分が継承できているかどうか、「天声人語」を読んでいささか覚束ないものを感じ、アタマをぽりぽりと掻いてしまったというオソマツ。
ある日とつぜん降って沸いたように持ち上がる危機。それに向ける真剣な視線。継承されるべきものが途絶えていくことへの怖れを持ちたい、と痛感したのだった。
posted by ガンコジージ at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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