2015年06月21日

自らの不幸をサリゲナクやり過ごす人々

いまマンガがおもしろい。「これは!」と思うマンガが散見される一方、書店の小説コーナーを覗いても、買って読んでみようかと思う小説は少ない。
また、マンガがおもしろいからと言って、よく売れているのが、というわけではない。なにげなく手にしたのがいい。その延長で、小説の類いにもふと手にして興味を憶えるようなものがみつかることはありうる。だが、冒頭だけ「これは!」と思うものの、購入して途中で読み捨てるものはけっこうある。
小説は引きつける力を失っているのかもしれない。逆に、文芸批評によってその価値を鮮明にされるような、複雑に織り込まれた暗闇を隠し持つようになったのか・・・。
小説は映像に勝てない、と吐露した知り合いの作家氏がいた。言葉だけですべてを表現する小説は、イメージの具体化を読み手の能力に依存するが、映像は視覚と聴覚をも表現として動員できるから負けるとかなんとか、敗北の弁を語っていた。マンガにも似たような側面があるのかもしれない。
マンガで、これはと思うものにしばしば出会う不思議。読書欄で、18面に「ボーイ★スカート」(鳥野しの作)が取り上げられていた。「女が男ものの服を来ても平気なのに、なぜか男が女ものを着ると奇異な目で見られがちだ。特にスカートはNGアイテム。にもかかわらず、ある日突然、スカートをはいて登校してきた男子高校生と、それを取巻く人々を描いたのが本作」(本文引用)とある。ふーん、なるほど。
日常の中に侵入するちょいと横ズレした非日常。いまのマンガはそういうものを描くのが好きなのかも。で、頭に浮かんだのが、ついこのあいだ読んだ「なりひらばし電気商店」とか「ぽいぽいさま」とか、題名を忘れた「なりひらばし」系のSFっぽい作品。
「なりひらばし」では、40年後の近未来、リデュース、リユース、リサイクルの3R法が施行され、すごく地味ですごく日常が統制され、静かだけれど監視のうるさい東京の片隅が描かれる。「環境を守ったりもとに戻すための費用を汚染者が負担すべき」(本文引用)とする環境保全復元費を、一般庶民も負担しなければならない。
これは省エネ節電のスローガンと似ている。エネルギーや電気を生産するものに(減エネ減電といった)制限を加えることなく、消費するものたちにのみ無理を強いる。そんな試みは、いますでに進行中だ。極限まで行くとこうなるのかね、と想像する世界の、ありふれた日常が展開される。
題名を忘れた同様な設定のマンガは、一部をネットで観た。政府の大規模な実験でミスがあり、外界と見えない壁で隔絶されてしまった街の一角。見えない壁のおかげで、たまたまそこにいた住民は、出るに出られない檻に閉じ込められてしまう。そんな中での日常を描いた作品だった・・・ような。
どちらも現在を延長した近未来を描くが、設定は「なりひらばし」より深刻で、しかし語りは淡々としている。そしてこれは原発事故に見舞われた福島の現状を織り込んでいる、と容易に想像できる。
「ぽいぽいさま」は「星守る犬」の作者が描く、ゴミの山で暮らす神主の話。「なりひらばし」と正反対に、邪魔なはずのゴミが人間の心に深く食い込んでくる。人は、語りかけるゴミの声を聞く。
平穏な日常の中に潜む汚濁をサリゲナク避けて通り抜けようとしたのに、ついに辿り着いてしまった奇妙な未来。そういえばアベシの珍妙な言説の数々は、マンガで表現すればただのオバカと笑い飛ばせても、現実には醜悪極まりない悪夢となる。そのとき人々は先人たちがしたように、男の子のスカート姿と同様、持続する警告をよそ目に、自らの不幸をサリゲナクやり過ごそうとするのだろうか。
posted by ガンコジージ at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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