2016年07月26日

自分を確認することで対象と寄り添う

2面記事「分断/世界 怒り利用現状打破  民意ネットで増幅」で注目した言葉。「トランプ氏が移民を攻撃するのは、貧困のふちにいる中流の怒りを利用するためです。怒っている人が聞きたがる言葉を語っている」「スペインの中流層はもう消えた」「庶民はみな猛烈に怒っている」(本文引用)。最初のがアメリカ、あと2つがスペインのもの。
中流が貧困層へ落ちつつある国と中流が消えた国の話で、前者は右傾化の道を辿りつつあり、後者は左傾化の道を辿りつつある。しかし、同じ階層が右から左へ単純に大移動するはずもない。右から左へ移動するとき、消し難い右の尻尾が行為を不安定にし、誘導するものが現れる。典型が、国家社会主義ドイツ労働者党ナチスだ。
右から左への大きな流れのなかで、左ぶれを阻止しようとする力が強力に働く。それはあらゆる手段を使って流れの中からメボシイ人々を掬い上げていく。流れはあるとき怒濤になり、止められなくなる。そこから先はひたすら情念のたぎる世界になる。理性から解き放たれた気分を修正する力は、それを上回る激しさで心を揺さぶる、破壊的激動以外にない。その結果が悲劇を呼ぶことは過去の歴史が明確に示している。
なぜそうなるのか。どこかで押し止める力は働かないのか。劣情に突き動かされる群集心理を、我に返らせる方法はなかったのか。抵抗は必ずあったはずだ。ではなぜ過去において抵抗は実らなかったか。ブログ主ごときに答えを見つける力はないけれど、抵抗の意志を持つものたちの英知を集めたら、はっきりした答えが出てくるはずだ。
ブログ主個人としては、現状のいろんな動きを全部まとめて概観しても、「これだ!」という明快な答えは見出せない。いや、ほんのわずかの光明が世界に見られるとは感じている。ただし、光明に近づくチャンスの感触はあるものの、残念なことにまだ多くの曲折に満ちている、と言わねばならない。
いまアラン・レネについていろいろ考えているからかもしれない。「〇〇モナムール」と名付けられた映画がやけに気になる。世界の悲惨を映す記録映画や劇映画を目にしてふと思う。これは「ヒロシマ・モナムール」と想いを重ねているようだ、と。
残念なのは、原題が必ずしも「〇〇モナムール」ではないのに、安易に書き換えてしまう配給元のヘンテコな意図が働くことだ。制作者の主旨が損なわれるのではないか。「〇〇モナムール」には双方向の働きかけが必要なはずだった。双方向だからこそ、語りかける相互に深い内省が含まれるはずだった。「ヒロシマ・モナムール」のラストで、「あなたはヒロシマね」「君はブシェールだね」と相互に語りかけるのは、実は主人公の女性の内部から生まれる声の集成だった。それに辿り着く覚醒の時間が「24時間」だった。つまり、彼女につきまとうのは彼女の中に生まれた自己確認の意志であり、それゆえ、男は彼女がどこにいても必ず追いついて覚醒を促した。彼女の内部にわき上がる覚醒の声だからこそ、それができたのだった。
そう考えると、安易に「モナムール」と改題することに、映画人の意図を一知半解のまま伝えてしまう配給元のゆがんだ知性を感じざるを得ない。必要なのは、観客がスクリーンからの問いかけに応える意志を持てるかどうかなのだが、そんな映画人の意図は横に逸らされ、作品はいまだ非現実の遠い彼方を彷徨う悲惨として、世界を漂うままだ。
沖縄を語る。福島を語る。そして急速に右傾化するこの国を語る。そのとき、沖縄や福島に哀れみや同情を寄せ、悲しみや恐れや怒りをたぎらせても、自らに内在する悲しみや恐れや怒りの根っこを自覚できない限り、いつか世の流れが力まかせに押し寄せたとき、ただの情念として逆方向へ絡めとられていきかねない。だが、そう自覚する動きはまだない。
posted by ガンコジージ at 11:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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