2018年07月09日

「手話の歴史(上・下)」の書評を読む

7日の16面「手話の歴史 (上・下) ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで ハーラン・レイン<著>」の書評が秀逸。評者は佐伯一麦氏。「想像してみる。突然、周囲の皆が自分の理解できない言葉を話している世界に放り出されてしまった。身振り手振りでどうにかコミュニケーションを取ろうとすると、それは固く禁じられ、あくまでもそこでの言葉を学ぶことを強制させられる。そのさい、母語である日本語と対応させて学習するのも御法度。そんな感覚で、ろう者は聴者が絶対多数の世界の中で長い間生きてきたのだろうか」(本文引用)。まずはこの冒頭の文を読んでハテナマーク。いったいなにを言いたいの、と。
手話は17世紀革命前夜のフランスで始まって、アメリカに伝播して発展したという。この本は、その過程で「<ろう者は聴者の社会に合わせて生きるべきであり、その妨げとなる手話は認めてはならない>とする口語法の支持者たちから強く否定され、そうした逆風の中で、ろう者たちの自然な言語である手話を守り、取り戻すまでの熾烈な戦いの歴史を詳述したものである」(本文引用)とする。かなり分厚く、読みきれるかどうか写真を見ただけで自信がなくなる本だが、ここまで書評を読んだだけで、もっと中身を詳しく知りたくなる。
2分冊の第1部は渡米してアメリカ初のろう学校をつくった人物の回想録の形をとった自伝的読み物になっている。「ろう者に発声と読唇を強いる口語主義が支配的となるにつれて歴史の闇に追いやられることとなったものの、それ以前に確かに存在していた手話の言語的な固有性が臨場感をもって再現される。また、多様性を追求し、愛おしんだ人となりもよく伝わってくる」(本文引用)とあり、これならなんとか読めるかもしれない、と感じた。第2部は電話の発明者グラハム・ベルがなんと手話追放のリーダーとして「君臨」していく様を描く。「ベルは、ろうを人間の多様性の表れとしてみるのではなく、避けられるべき障害として捉える優生学者だった。ベル自身が、難聴の母親と幼時に失聴した妻を持ったことが発話にこだわることとなった一因だったから根が深い」(本文引用)。たしかに、彼自身がなんらかのかたちで苦しんだことは想像に難くない。だが、聴覚障害者の側から捉えるのではなく、彼自身の内部に巣食った苦悩から思いを解き放つ機会を得られなかったことが、彼をして手話追放のリーダーたらしめてしまったことに、大きな不幸を感じさせた。
「原題は『WHEN THE MINDHEARS』。心が聞くとき、とでも訳せるだろうか。評者は、荘子の『豈に唯だ形骸にのみ聾盲あらんや。夫の知にも亦たこれあり』という言葉を想った。あたかも、優生保護法による聴覚障害者の強制不妊手術の実態があきらかとなりつつある現在、言語は耳で聞くものと思っているものにこそ、原題の持つ意味を考えつつ読まれてほしい本である」(本文引用)という評者の指摘に唸ってしまった。「聞こえない、見えない」は、「聞かない、見ない」というかたちでお前たちの中に厳然と存在する、という荘子の言葉の深さにも打たれた。そして旧約聖書のバベルの塔を思い出した。神に近づこうとしてバベルの塔を建設した人間を罰するため、神は塔を破壊し、多様な言葉で人間を分断した。人間は互いを理解できなくなり、争うようになった。
言語は人間の感性から遊離した、ただの記号に過ぎない。遊離した記号を意思疎通の手段と選んだその瞬間から、人間は心で語ることも、心で聞くこともできなくなった。言語は人間の感性を簡略化し、空疎にした。手話で表現される個性のありよう、またその多様さを、言語の使用によって形骸化されつくした感性の残りカスは、認識する力さえ持てなくなった。音楽、絵画、詩、文学、哲学その他モロモロは、言語の誕生によって遠ざけられた(人間の重要な属性である)感性を復活させる試みといえるのかもしれない。この書評で手話の熾烈な戦いの歴史を教えられ、ふとそんなことを想った。この本、必読!
posted by ガンコジージ at 11:06| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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