2018年07月28日

「五日市憲法」新井勝紘著:岩波新書

23面「読書」欄に「五日市憲法 新井勝紘<著> 民権国家の夢と明治の躍動映す」がある。評者の保阪正康氏は近代日本の草創期の選択すべき国家像は4つあったとし「1)先進帝国主義の後追い 2)帝国主義的道義国家 3)自由民権思想の国家創設 4)幕藩体制を継承する連邦制国家だが、明治初年代から10年代には民権国家の誕生もありえた。それほど自由民権運動は広がった」(本文引用)と書く。このあたりの歴史は不勉強でよくわからないが、50年ほど前、若干の議論の端っこに参加した記憶があり、まるっきりというわけでもない。そのかすかな影響ゆえ、最近になって「明治維新ってなんだったのか」という想いが強くなり、次第に国家権力上層部の内部争い(クーデター)だったのではないか、という説に徐々に近づいていた。明治維新というポイントに合わせただけの浅い考えだったが、この書評の一文「明治初年代から10年代には民権国家の誕生もありえた」に接して新しい考え方に目覚めさせてもらった。旧体制内のクーデター派によって引き起こされた変化が、次のステップへの可能性を開きかけた、ということがあり得たのかも・・・と。
「本書によると、全国の民権結社は、1874年から90年までの17年間で2128を超えたという。これらの組織が中央政府への自由民権運動の下支えになっていた、と著者は見る。つまり民権憲法擁護の勢力でもあったのだ」(本文引用)。ほほう、なるほど。クーデターによってはじまった変革の波は、そこにとどまらず、より広い人民階層を巻き込みながら、大きくうねっていこうとしていたということか。幕末の「ええじゃないか」騒動のなかにも、おそらく直感的な起こりはあったのではないか、などと想像した。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ」(ウィキ引用)。この動きが維新後、どこへどう消えたのか、不勉強のままでいたけれど、パッと出てパッと消えるなんてことはあり得ない。「新憲法の制定は、伊藤博文ら政府の限られたメンバーで密室で行われたのに対し、民権憲法は各地の結社を中心に各層の公議公論によってつくられた、との分析は興味深い」「民権憲法が主流になっていれば、との思いに改めて駆られる」(本文引用)。2段階革命の可能性があったことを思わせ、その動きがまだ生まれたばかりの新権力を揺るがすものとなり得たとき、明治政権がかなりの危機感を持って弾圧に臨んだ可能性も感じ、その歴史を追いかけてみたくなった。これは現在にまっすぐ通じる物語のはじまりを理解する思考訓練の旅になる、そんな気がした。
五日市を地図で探すと、奥多摩湖に近く標高929メートルの御岳山のふもとにあった。八王子はそこから直線で20キロほど。テレビの娯楽番組で、江戸町奉行所の配下で昼行灯を装う闇の仕掛け人中村主水がしばしば八王子に飛ばされそうになって震え上がる場面がある。「えっ、あんな辺鄙なところへいくの?」というのだが、五日市はそれよりさらに辺鄙なところだったようだ。そこで五日市憲法という歴史に記されるべき優れた憲法が編まれた。幕末「ええじゃないか」騒動の自然発生的ポピュリズムから抜け出た本当のポピュリズム運動が、当時は打ち捨てられたかのような山村の中から、満身の底力を発揮して浮かび上がってきた。そう思うとなにやら希望が湧いてくる。目指すべきところが見えてくるような気がする。まだ気分であるだけだが、いま市民運動は課題から課題へ迷走している。その迷走に惑わされることなく、大きな流れを形成するための、細いけれども確実な水脈をつくっていく動きの大切さをひしひしと感じる。あ、この「水脈」という言葉、いまはあんまり好きじゃないんだよね。どうしてこんなおかしな先祖返りが起こるのか。現在の政権の迷走が過去の亡霊を引っ張り出したというべきか。これも明治維新がなんであったの、その後の時代がどのようにつくられ、どのようにここまできたかを知る、ひとつのサンプルではあるのだと思うけれど。あの人の存在そのものがマンマ亡霊なんだよな。
posted by ガンコジージ at 12:01| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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