2018年12月27日

<明治の実相>なにを近代化したのかの探求

23面「文化・文芸」欄に「『自己責任』明治近代化に源流 権力者に矛先向かない『通俗道徳』 今も残る意識 分断進んだ平成」がある。「自己責任論」とはなにか。「20年にわたって口の端に度々のぼり、平成の世相を映し出すキーワードの一つと言えよう」「社会契約によって成立する近代国家では国が守ってくれないならば、国民が納税などの義務を果たす必要はなくなる。自己責任論は権力者の責任をあいまいにする」「こうした現代の自己責任論と、近代化を進めた明治時代の『通俗道徳』という考え方の類似性」「『通俗道徳』は江戸時代後期に市場経済が広がり、人々の生活が不安定になるなか、自己を律するために広まった」「明治になると、村単位で請け負っていた年貢から、個人単位で税金を納めるようになり、助け合いの仕組みは崩れる。新政府に財政的な余裕はなく、弱者まで手が回らない。通俗道徳は政府に矛先が向かず、自分で責任を背負いこんでくれる、支配者にとって都合の良い思想だった」「バブルの崩壊で状況は様変わりした」「従来の仕組みが壊れかけ、かつ、政府がたくさん金を使えない。明治と似たような状況」「『働かないで金をもらっている』との理屈で生活保護受給者など、より弱い者をたたく」「他人のことを考える余裕がなく、誰かを助けていると自分が損をする、と思い込む。連帯の基礎がなくなり、社会の分断が進んでいる」「明治維新から150年がたった。『自己責任論』が日本社会にへばり付いたまま、平成はまもなく終わる」(本文引用)
ブログ主はいま、明治維新と、その後に発生した自由民権運動・困民党のことをいろいろ勉強中なのだが、この記事を読んでかなりの部分、同調できたと同時に、もう少し突っ込んでくれたら大いに読みでのある記事になったのに、と思ったものだった。明治の人権思想家植木枝盛が「維新は第1の改革」「自由民権は第2の改革」と端的に語っているように、明治の10年代以降しばらくのあいだ、明治政府と自由民権諸結社、各地に勃興した困民党の運動は、「第1の改革」が武家社会の下克上の様相を示したのに対し、10数年の遅れながら、はやくも社会変革がこの国の人々のあいだに深く浸透し始めていたことを物語っている。じつのところ日本近代史の中で、この時期の歴史はほとんど語られることがなく、なにがあったかを詳しく知る機会が奪われてきているが、知られてはならない歴史として、封印されてきているとみて差し支えないのではないか。
先の植木枝盛が中心に創った「東洋大日本国々憲按」には、不当不法な政府・官憲に対する武力抵抗権や革命権を定める条文があったという。わずか数年間で民権運動の参加者は30万人を超え、民権結社総数はわかっているだけでも2千数百、おそらく3千を超える結社が全国にひしめいていた。それに対して明治政府は集会条例、新聞条例、讒謗律などを公布、言論弾圧を強めた。困民党運動への弾圧も激化する。西南戦争以降、国家財政が逼迫し、経済恐慌が起こり、さらに全国的な飢饉の大波が押し寄せる。そのなかで、窮地に立たされた明治政府がとったのは自由民権の徹底的弾圧と困民党の圧殺、被支配階層の分断だった。分断の方法はすでに徳川の時代から連綿と続く社会構造の上下分離を近代化し強化すること。つまり情報統制下で江戸期から引きずってきた「通俗道徳」の維持。またはその概念の近代化によって不満の矛先を権力者から逸らし、「我こそは旧体制を克服する改革者」とするイメージの逆転戦略。大日本帝国憲法発布で熱狂を煽り、民族排外主義で敵を外部に創り、日清・日露戦争で強国を演出。徴兵制を軌道に乗せ、皇国史観教育を完成させるに至る。その流れは先の戦争で一時的に抑制されたものの、戦後70数年にわたる旧支配層の必死の画策で延命させられてきた。いわば「自己責任論」とは、支配層の責任が問われないようにするための巧妙な誘導策であり、天皇制をも利用して責任を上下に散らし、盤石の自己無責任支配構造を維持しようとする最良の方策なのだろう。23面の記事は、そのことの周辺をなでてサラリと通り過ぎていった、ある面では重要な、しかしもったいない記事だったといえる。
posted by ガンコジージ at 12:07| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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