2021年02月28日

311が近づくと明かされる重大事

今日は重要なことが2つある。ひとつは原発関係。もうひとつはコロナ関係。しばし考えて、午前と午後で分けることにした。午前は1面トップ「東日本大震災10年 3・11の現在地」特集の「途切れていたベント配管 謎だった高線量 東電の設計不備」から。「ベントの配管は、1992年に国が求めた『過酷事故対策』で追加された設備の一つ。79年の米スリーマイル島、86年の旧ソ連チェルノブイリの原発事故を受け、炉心溶融に備える目的だった」(本文引用)。排気筒の中を通る水素放出用のベント配管は排気筒のテッペンまで届いている必要があった。それが、排気筒の根元付近までしかなく、大気中へ放出されるはずだった水素ガスが太い排気筒の中を上昇していった。そのため、「外部に出るはずだった放射性物質の一部が排気筒の中に蓄積し」(本文引用)根元付近に溜まってしまったため、1、2号機共用排気筒の根元の放射線量が異様に高くなった。「配管がきちんと上まで伸びていた3、4号機でも、3号機の水素が4号機に逆流し、運転停止中だった4号機の建屋の爆発を招いた」(本文引用)とあり、「4号機の火災」と言われていたことで、いままでずっと疑問を感じていたことの一つが解決した。なるほど、1、2号機と3、4号機の排気筒で、少なくとも同じ構造にはなっていなかったらしい。でも、3、4号機のベント配管は正常の構造だったのかどうか。3号機の水素が4号機に逆流したのはなぜか。操作ミスか、それともさらに重なる構造的欠陥があったか。疑問が新しく積み上がる。
浪江町から飯館村へ向かう峠の道筋に一箇所だけこの排気筒の見える場所がある。長泥地区に至る直前の峠道で、二つの小さい峰筋に挟まれ、風の通り道になっている。そこを通過したとき、ガイガーカウンターの値は30μSvを示した。道路は日常的に使用されているらしく、枯葉や枯れ枝が散乱するような状態にはなかった。で、今日の新聞記事を見て思う。もしも排気筒が爆発して、高濃度の放射性プルームがここを通っていたら、長泥地区はもっとすごい放射能汚染に見舞われていただろう。山を越えたその先にあるのは福島市だったから、被害は甚大なものになっていたに違いない。そんなことを思い、すこしばかり背筋が寒くなった。もちろん避難の規模は大きくなっていたし、原発でがんばっていた作業員たちも、正真正銘の総避難になっていただろう。長泥地区がバリケード封鎖されたのはそれからしばらく後のことで、峠へ続く道筋とは反対側にあるバリケード前で計測したのはさらに1年後。道路脇の草むらは5μSv程度であったと記憶する。
1面のような経過があったのは新知見。2面「欠けた真剣味 対策機能せず 『メルトダウン回避 滞った作業』」には、当時の緊迫した様子が描かれており、格納容器の圧力が刻々と高まる状況下、決死隊で穴を開けるしかないという空気もあったとある。官邸と東電清水社長との間で総員撤退が論議され、結局、爆発を免れた2号機から最も多くの放射性物質が漏れ出ることになった。「冷却が途絶えた時間が長く、高温、高圧になった格納容器は大破してもおかしくなかったが、隙間から内部のガスが漏れだした結果、圧力が下がった」(本文引用)。と、ここでもいまだに、ブログ主には残っている疑問がある。なんで2号機だけ隙間から圧力が逃げたのか。一つは、1号機と3号機の爆発で、2号機の損傷が激しかったのかも。もう一つは、ほんとうに「決死隊」が命をかけたかも。もし後者だったとしたら、と思うと、ただの推測だけれど、この事故の闇の深さを垣間見る思いがする。あのときたしか2号機地下で、ボンっと鈍い音が響いてみるみるうちに圧力が下がり、ぎりぎり覚悟していた作業員たちは、窮地を逃れたのだった。こうして最悪のシナリオである、半径250キロ圏内の住民総避難は免れた。そして2月13日の震度6の地震で、いま福島第一原発の格納容器圧力は大気圧と同じになり、原子炉の水位が低下し続けている。そんななか原発の地震計が長いこと故障したままだったことが発覚。緩みすぎの極致。しかも国は、原子力政策を変えるつもりなどみじんもないとは。
posted by ガンコジージ at 11:07| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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