2019年04月29日

「夜と霧」「ブリキの太鼓」「愛の嵐」etc

4月28日1面「折々のことば」はフランクルの「夜と霧」から。「異常な状況では異常な反応を示すのが正常なのだ」「ずっとこの酷薄な場を逃れることだけを希っていた」「感情を麻痺させることでしか生き延びられない、極限の状況だった」(本文引用)。これを読んで、凶暴な支配が最も効果的であることの意味を改めて考えた。たとえば独映画「ブリキの太鼓」を見て不思議に思ったのは、ナチスの前身党が産声を上げたとき、からかわれたり石を投げられたりしていたことだ。すこし後に事情が変わり、逆転して熱狂的な風潮が生まれる。価値観が振り子のように大きく揺れる。嬉々として集い、熱狂する人々の様子を描く場面では、舞台裏を歩く主人公が野グソを踏んで顔をしかめる。彼は隠れた汚らしさに直面し嫌悪を催したのだが、しばらくすると汚らしさは大手を振って街路を闊歩するようになる。これが次の逆転で、あとは坂道を転げ落ちる勢いでとめどない深みにはまり込んでいく。「異常な状況では異常な反応を示すのが正常」という流れがどんどん進み、大破滅に至る。映画のラストは、大破滅のあと列車がダンツィヒ(ポーランド名グダニスク)からドイツへ向けて走り去っていく場面で終わるが、その行く手に待ち構えるのは、また「同じことが続く可能性」の予感だった、という話。
たしかにその予感は当たっていた。イタリア映画「愛の嵐」に移ると、ナチの絶滅収容所でドイツ人将校の目に留まり、生きるために必死に求めに応じ続けたユダヤ人少女と将校との屈折した愛が語られる。戦後、ベニスでホテルマンをしていたナチス将校と、いまは裕福な生活をしている女性(収容所の少女)が出会う。そして繰り広げられる自虐的で倒錯した愛の関係。それが延々と繰り広げられる。みていて馴染めない場面ばかりだが、ラスト、「もう一度生きると言うのなら、またこの道を選ぶわ」(記憶なので曖昧)と、ものうげな歌が流れる。さらにオーラスで二人は手を取り合って愛の逃避行を決行。その途上で何者かに撃たれて死ぬ。見終わったあと残ったのは「なんでもう一度こんな愛を生きたいの」という大きな疑問符だけだった。
生煮えの感触が残ったが、つい最近、その答えを得た気がした。イスラエルの女性閣僚が「ファシズム」という香水を手に「ファシズムは民主主義の香り」とのたまう衝撃的な映像を見たとき、疑問が氷解した。イスラエルはファシズムによって激しい傷を負い、ファシズムを身のうちに宿してしまったのだ。極論すれば、シオニズムとファシズムは表裏の関係となり、イスラエルを縛っているということになるだろうか。リリアーナ・カヴァーニ監督は半世紀も前にそのことを大胆に活写していた。相反するものが互いを傷つけあいつつ「倒錯した愛」に絡め取られていく。その悲しくも凄惨な成り行きが、最後の場面で衝撃の結末を迎える。橋の上で射殺される二人に、「もう一度生きるというのなら」の音楽が物憂げにかぶさる。
凄まじいラストだが、新しくひとつの疑問にとらわれる。射殺したのはナチスの残党だったと思う。なぜだろう。「倒錯した愛」は、やはり「ナチス的なもの」によって死をもたらされるとみるのが妥当だろうか。悲しい自滅を表しているとしたら、監督の視点は、すさまじいまでに透徹していたといわざるをえない。ファシズムという香水が本当にあるのか、あるとしたらどこのだれが創って売り出しているのか。ありえない気がする。それこそ当然のことながら、イスラエルは激しく批判するのではないか。批判するどころか、なんでイスラエルの現役の女性閣僚が「ファシズムは私にとって民主主義の香り」なんて発言をして、危険な香水の香りにうっとりするのか。「異常な状況では異常な反応を示すのが正常」という倒錯の心理は、歴史を貫いて何度も立ち現れる。「異常な状況では異常な反応を示すのが正常」という倒錯が、いま私達が住むこの国で立ち現れようとしているのなら、それは延々と続く生活の不安を麻痺させるための生存本能ががもたらした、異常なのだろうと推察するしかない。これに対抗する視点を人々の中に育てることが、残された唯一の方法ではないか。それも早急に。
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2018年10月11日

たとえば「この世界の片隅に」のラストは

映画のラストシーンはとても重要なもの。これを軽視すると、作品の大半が意味を失う。だから映像作家はどんなラストを創るかに全身全霊をかける。そう断言していい。S・クラカウアーの名著「カリガリからヒトラーまで」で問題にするのもラストの処理であり、映画「カリガリ」はおぞましいものに取り込まれ壊れていく民衆の姿を描き、命をかけて告発してきた若者がラストで一転、彼こそ異常者でありそれを治療するのが正常なドクター・カリガリだったとする。その急展開が、現実に対する鋭い告発を帳消しにしてしまったという。ラストで覚醒するはずだった民衆は、こうして挫折させられた。現実はヒトラー的なものに向かって音高く流れていくしかなかった。クラカウアーの指摘はいまも鋭く、読む者の心に突き刺さる。
たとえば韓国映画の多くはまことにわかりにくい筋立てで、ラストがどうしてこうなるのか、首をひねる作品だらけだ。それが韓国で大ヒットを記録する。なぜなのか背景を考えると納得する。これらの作品群は表のストーリーと裏のストーリーが巧みに重ね合わされている。表は予備知識なしで理解できる。裏は韓国現代史のありようを捉え、しっかりと観客の心に刻み込ませる流れ。表の流れにとらわれていると裏の流れを見失う。そんな構造になっている。10月10日当ブログで映画「タクシー運転手」の論評に言及し、「韓国の近現代史は、その記念日を日にちの数字の羅列という方法で呼称することが一般化している」と引用した。また李恢成の「砧をうつ女」に「我が民族は道端で出会うと時候の挨拶ではなく政治の話をする」(記憶による引用(←文意のみ))とあった。その後、「なんで韓国映画はこんなに奥深い映画を作れるのか」についていろいろ考えを重ね、先の2重構造の作られ方に気づいた(というか勝手な決めつけに至った)。
ベースになる政治的経験を通して現在をどうとらえ、どう克服していくべきか。その構想が先に設定され、これをきっちり固めたあとで、重ね合わせるように表のストーリーを構築する。そんな巧妙な工夫が施されている。勝手な憶測だが、そのくらい前もって理解していないと、韓国現代史をベースにした裏のストーリーにはたどり着けない。いや、たどり着いた時の爽快さは格別なものがある。なんでこういうラストになるの、という疑問の解けようは半端ではない。そして邦画「この世界の片隅に」のラストを考える。SNSでは、この作品のラストは不評だった。せっかく時代を独特の視点で切り取り、もうすこしで出色の作品になり得たのに、なぜこんな当たり前のラストで締めてしまったのか。
解明するにはまず、なんであのラストじゃダメなのか解かねばならない。理由は簡単。つらい戦争を傷つきつつ生き抜いて、やっとささやかな平和を噛み締め、これから普通の生活がはじまる。それでおしまい・・・で、いいのかどうか。すでに現代はその先を生き始めている。そこで必要なのは、ノスタルジーとなってしまった過去を振り返って「平和っていいね」と噛み締め合うことではない。いますでに始まっている過酷な現実を、観客はちゃんと見つけたかどうか。映像はいま進みつつある現実をかつての戦争に重ね合わせ、観客に厳しく問いかける視点を持ち得たかどうか。時代はそれを、作品に要求している。だが作品は過去のまま終ってしまい、その先を語らなかった。雄弁に語る必要などない。現在を印象的に語る映像があればいい。30秒ほどで描ける程度のラストがあれば。
たとえば、暗闇の中にぽつんと灯る裸電球の暖かさ。映像はそれを捉えつつ終わるかに見せて、暗い地平線の向こうからおぼろな赤い光が浮かび、夜空の下半分を占めて広がり、ふわっと消えていく。そのすぐあとの夜空から、雪のようなものがとめどなく降りだす。そんな描写があるだけでもよかった。それがなんであるか、わからない人はないほど鮮明かつ控えめな映像で表現されていたら、この映画は絶賛の嵐に包まれていただろう。映画の観客にそれだけの鑑賞眼と現実への真摯な視線があったらの話ではあるが。
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2018年09月01日

「この世界の片隅に」と「アグネスの詩」

「ポエトリー アグネスの詩」と「この世界の片隅に」には決定的な違いがある。両方とも過酷な現実をボーッと通り過ぎていく主人公の物語だ。「この世界」では過酷な現実をけなげに生きる庶民が描かれた。戦争があってだれかが犠牲になり、自らも片腕を失い、原爆投下で災禍がわが身に及ぶものの、戦争が終われば、浮浪児の女の子を引き取ってささやかな日々をまたはじめる。灯火管制のなくなった夜、ぽつんと明かりが灯る幸せ。痛々しいほど素直な庶民の生活。それなりにジンとくるが、なにか割り切れなさが残る。反戦だの被害だのをことさら言い募る必要はないが、なにか引っ掛かるラスト。
一方、「アグネス」を観て直後は、これを政治的ともなんとも思わなかった。アルツハイマーの初期症状でいよいよぽわんぽわんに拍車がかかる老女の心の変遷を巧みに描いたものとして捉えた。でも、なんとなく引っ掛かりを感じ、2010年の韓国を調べた。光州事件は1980年。その7年後、民主化運動が爆発的な広がりを見せ、言論、集会、結社の自由、大統領直接選挙などを実現させるに至るが、以後、運動は下火になっていく。90年代は金泳三、金大中、盧武鉉と続き、21世紀には言論弾圧と保守回帰が進み、李明博08〜13年から朴槿恵13〜16年へ、時代が過去へ巻き戻されていく。
つまり80年の光州事件後、韓国の現代史は大きく揺れ続けてきた。その揺れは21世紀に入ってさらに大きい揺り戻しを経験し、「アグネス」は李明博政権の真っ只中で発表された。こう理解してやっとブログ主は、この映画の深層構造に気付かされたのである。ぽわんぽわんの主人公の日常に、同居する孫の集団強姦事件への関与という不祥事が襲いかかる。現実逃避ともいえる日常生活から否応なく抜けなくてはならない羽目に陥っても、簡単に抜けられるはずもない。おまけにアルツハイマーが彼女の生き様を混乱させる。詩の講座への参加はやるせない現状に突き動かされたためか。目についたこと気になったことを何でもメモしなさいと教えられ、素直にメモ魔になる。講座で語る「自分の美しい記憶」も彼女に新しいきっかけを与える。
忘れないで記録していくこと。記録を確認して、記憶をさらに積み重ねること。それは「記録し、記憶し、考え、見つけた大事なもののために生きる」というメッセージを観客に示している。彼女の現実探求は孫の強姦事件を通して被害女生徒の心情に向き合わせ、介護老人との愛のない交わりから醜い時代との接触の意味を悟らせる。そのとき彼女の表情は、嫌悪の色を感じさせなかった。自分はいま何をしているのか、という模索の表情が浮かんでいた。介護老人に500万ウォンを要求したときも、老人が「脅すのか」と問うても、「好きなようにどうぞ」と言い放つ。それは彼女なりの抑圧の時代への決別宣言、自分をボーッとした浮き草の生き方から脱出させる最後通牒だった。そして彼女は直視してこなかった現実に対し、自分なりの一歩を踏み出す。橋で自死したのは、忘れていい現在を生きる抜け殻だった。残ったのは最も美しい時代を生きようとする本心だった。絶え間ない水の流れが印象的なラストである。
ところで「この世界」の主人公にはどんな変化があったか。ひっそりと生き、荒波を越えて掴んだのは何だったか。怒りなんぞでなくてもいい。敗戦の前後で時代を捉えるなにかしらの変化が彼女(庶民)にあったかが問われる。経験を継承し、次の世代へつなげる意志。それは軒下にぶら下げたテルテル坊主でもいい、徹頭徹尾さりげないものでいい、次の世代に連綿と引き継がれる重要ななにか。だが残念ながら次の時代へのメッセージはなかった。ボーッはボーッのままで終わった。その表現を捉える力は、まだこの国のどこにも備わっていない、と思った。あるべき新しい表現の不在を痛感した。

ーーーー 「歌」 ーーーー
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸廓にたたきこめ
ーーーー 中野重治詩集より ーーーー
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2018年08月28日

映画「ポエトリー アグネスの詩」

2010年の韓国映画。詩的感覚に縁遠いせいか、ノホホンと生きる老女の日常の些事がどこへつながっていくのか、なかなかピンとこない。ようやくヒントに出会うのは、橋の上で川面を見つめる少女の背後からカメラが近づき、気づいた彼女が振り返って老女にニッコリ微笑んだときだった。そのとき老女は女学生にぴったり寄り添った。ラスト、映像は転じ、どこまでも流れ下っていく川面が映され暗転しジ・エンド。ブログ主はそのときやっと、老女の死を知ったのだった。
気が付いて来し方を逆向きにたどり直してみると、色々な仕掛けのあったことがわかる。「詩の講座」の最終日、老女が講師のテーブルに置いた白い花瓶と白い花。それは彼女がアルツハイマーであることを告げられる病院に飾られていた椿の花を通して語られた白が象徴するもの。たしか純潔ではなかったかと思う。黄色は忘れた。赤は血の色、または情熱。そして、老女が始めて書いた「アグネスの詩」という表題の意味が浮かび上がる。「アグネス」は女学生の洗礼名。老女が書いたのは女学生についての詩だった。そこにはさまざまな思いが込められていた。老女が「詩の講座」で語る、幼い頃の思い出。自分が最も美しかったときの記憶は「最も愛された時代」のことだった。「最も愛された時代」は遠い記憶の中にあった。アルツハイマーで消えていく記憶の多くはその後の生活に関わっており、思い出として残すべきは遥か以前に失っていたということを彼女は悟った。いったい何をきっかけに悟ったか。ヒントは詩作メモにある、とブログ主は思った。
学校も加害者家族も被害者家族も表沙汰になるのを嫌って示談で済ませようとする。スッタモンダしながら示談は成立し、被害者家族に金が支払われる。その直後、警察が老女の孫を捕らえにくる。どこのだれが警察に通報したのか。映画は明示しない。逮捕にきた刑事はなぜか車を先に行かせ、老女を慰める。そこで気づく。もしかしたら刑事は詩の朗読会の常連なのか、と。だとすると、通報は老女の行為と考えるのが自然だ。彼女は詩の真実を求めてメモしまくる。メモにはリンゴやアンズの他いろんなものが書かれている。たぶん刑事のことも。
すべてのスッタモンダが終わったかに見えたとき、彼女は忘れてならない真実(「詩」の講座や朗読会でいつも問いかけ続け、答えが見出せなかった真実というもの)とは何かの答えにたどり着く。その深い思いが、彼女に気づかせる。孤独を抱えて死んだ女学生を、両親も加害者家族も学校も、本気で気遣っていない。そんな空虚な場所から生み出される詩は、いくら技巧を凝らしていても、己が身の内側から生まれるべくして生まれてくるものとはまったく異なった、ただの技巧でしかない。老女はそれに気づき、自分が最も美しかったときを、死ぬことで守った女学生の心にぴったり寄り添い、女学生と同じ川への道を辿る。アルツハイマーを超える長い旅に出る。ラスト近くで、バトミントンの羽が木に引っかかり、孫が警察に連行されるとき、ポトリと落ちる。これはアンズの場面と対応する。木から落ちて美味しくなる。落とすのは老女・・・つまり、彼女は孫の逮捕を知っていた。やはり、逮捕にきた刑事は、詩の朗読会の常連か。これは2度見して確かめるしかない、とても重要なポイントだ。朗読会の二次会で泣きじゃくる老女に、刑事が何かあったらココへ電話しな、などと教え、彼女がメモしていたとしたら・・・。重要な伏線がふんわり描かれ、ややこしい推測をさせる、しかし徹底的に磨き抜かれた作品(脚本)だったようだ。
考えると、橋の欄干から覗きこんだとき、老女の白い帽子が風に飛ばされて水面に落ちるシーンも、彼女の純白の死を暗示する。雨の中、河原で呆然と佇む姿にも、死の予感が漂う。そして濡れネズミのまま介護老人宅へ向かい、情交に及ぶ。愛のない絶望的な交わりは、彼女を死んだ女学生の心に近づける強い契機となった。そのとき彼女の胸のうちに、500万ウォン脅迫の意図はまだない。全てが動き出すのは、もっと切羽詰まってからのことだ。
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2018年08月13日

映画「タクシー運転手」の論評を読む

映画はまだ観ていない。しかし、優れた論評を読むことができた。記憶から遠くなった出来事だが、当時の新聞にあった写真の数々を、いまでも鮮明に覚えている。まだ我が子たちは幼かったから、いつか「君たちの子ども時代にこんなことがあったんだよ」と教えられるよう新聞を残していた。論評を読んで思い出し、探したけれど見当たらなかった。
この事件があったとき、当時の我が国の報道機関は、かなりがんばって報道していたと思う。いまとは段違いの迫力を感じたものだった。論評では10日間の出来事となっているが、気分的にはもっと長かった。現地で取材に当たっていた人たちはどれくらいいたのだろう。生々しい写真が新聞に掲載され、TV画面に映し出され、大通りをぎっしりと埋めたバスや乗用車、トラックの分厚い壁が軍隊と対峙する様子にびっくり仰天。縛り上げられて連行される人々や、おびただしい死体の写真。銃を持って武装する市民たちの姿。すぐ隣の国で、いま現にこんなことが発生している。なんだこれは、と思った。論評を要約したいけれど、長いので困難。抜粋して紹介にとどめざるをえないのがとても残念。
「韓国は光州事件以降、民主化と反動を揺れ動いてきた。事件後、焼身などの過激な手段で衆目を引き、光州の真相を告発しようとする政治的自殺が漸次増加していった」
「本作は前述した通り、主人公マンソプが、光州での体験を通して揺れ動く心理を描写することで、物語にいっそうの厚みをもたらしている」
「ひとつは、昔から韓国社会に連綿とあった、光州を中心とした全羅道(チョルラド)に対する疎外と差別の意識をいかに乗り越えるか。全羅道は高麗時代より風水上、反逆者の土地として忌避され、また朴正熙時代の経済開発では朴の地盤である慶尚道(キョンサンド)が偏重される一方、冷遇された全羅道は『韓国の第三世界』と蔑称された」
「もうひとつは、苛烈な冷戦構造下におかれた分断国家で、民主主義を希求し、社会変革を主張する声から目を背け、運動を白眼視し、『アカ』のレッテルを貼って排除するといった意識を、いかにして乗り越えるのか(これについては、物語の冒頭で、学生運動のデモと遭遇した主人公が苛立つシーンが象徴的だ)。
これら二つの偏見のくびきを逃れて、曇りのない目で現実に起きていることと向き合い、受け止めること。そこで自分が何をすべきか、葛藤しながらも考え抜くこと。主人公が愛車とともにたどる道行きは、こうしたプロセスそのものを投影している。そして、この展開を現在のまなざしで俯瞰する韓国の観客たちの絶対多数は、そこに自らのこの30年余りの来し方と自画像を重ねずにはいられないだろう」
「この時期、イルベと呼ばれる韓国版ネット右翼の間で、セウォル号と並んで、民主化、光州といったワードをめぐるヘイトクライムが問題化する。そうした中で、セウォル号遺族たちに連帯する意思を示した文化人や芸能人に対するバッシングが過熱し、後に判明したところでは、彼らは朴政権が作成したブラックリストにも載せられた。ソン・ガンホもそのひとりである」
「セウォル号事件を機に求心力を失っていた朴槿恵政府は政権批判的な文化人や芸能人のブラックリストを作成していた」
「ソウルと光州を往還しながら揺れ動くマンソプの心の軌跡は、『光州』との間を行きつ戻りつしながらも、最後にあの巨大なろうそくデモに連なった『大韓民国の国民の一人』たちがたどってきた30年間にほかならない」
「今、映画館で私たちが目にしている『タクシー運転手』は、偶発的な歴史展開の連続と、そこに生起する出来事の一回性の中で創造された、きわめて稀有な作品なのだと、今さらながら感嘆せずにはおられない」(紹介終了)
☆「犠牲者193人・・・韓国国民が38年前の『虐殺事件』を振り返るワケ 映画『タクシー運転手』から考える」gendai.ismedia:8月12日
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56953
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2018年08月09日

映画から見る戦後史の雑感(暑さで走り書き)

米映画監督オリバー・ストーンの言葉に以下のようなものがある。「第二次大戦で敗戦した2つの主要国家はドイツと日本だった。ドイツは国家がしてしまった事を反省し、検証し、罪悪感を感じ、謝罪し、そしてより重要な事に、その後のヨーロッパで平和のための道徳的なリーダーシップをとった」。ここでいつも思うのは「イタリアはどうだったの。イタリアについての見方がないのはなぜ?」ということ。戦後史をまともに学ぶ機会がなかったゆえか、イタリアの位置が、日本の教育現場では鮮明に見えてこないのである。
個人的な学習で最近ようやく知ったのは、第2次大戦時におけるイタリアの反ファッショ抵抗勢力はかなり強大で、最も強かったのがユーゴスラビアのチトー軍。次がギリシャの対独パルチザン。そしてイタリアへと続き、連合軍が北アフリカ戦線からヨーロッパへ反攻を開始した時、イタリアの抵抗勢力は重要な役割を果たした、ということだった。ハリウッド映画ではそのあたりが不鮮明で、意図的にはずされているのか、それとも連合軍がイタリアの抵抗勢力をあえてはずして戦いを進めたのか、個人的には詳らかにできていない。共産党系勢力がかなり強かったせいがあるかもしれないが、それもいまは個人的に推測の域を出ない。そして東西冷戦が始まり、西半分で勢力を強めたアメリカがイタリア、ギリシャの反対勢力を押さえ込んでいった経過が現在の状況を示す。
オリバー・ストーンの言葉が重くなるのはそれからのこと。あえてイタリアを別格として扱いつつ、「第二次大戦で敗戦した2つの主要国家」ドイツと日本の歩んだ道筋の決定的違いを鮮明にしてみせる。東西冷戦真っ只中にあって、曲折はあったものの、ドイツはかろうじて、しでかしてしまった事を反省し、検証し、罪悪感を感じ、謝罪し、そしてより重要な事に、その後のヨーロッパで平和のための道徳的なリーダーシップをとった。その詳細な経過は、日本ではまだ不鮮明な気がする。個人的に推察するのは、1950年代後半からヨーロッパ全体で燃え広がった反戦平和の動きが山場を迎える60年代、フランス知識人が果たした役割はかなり大きかったのではないか、と思う。アラン・レネをはじめとする映画人の表現力は、沈滞していたドイツ映画界に大きな影響を与えたはず。近年公開された「顔のないヒトラーたち」には、ドイツの若年層に広がる無関心と、戦争世代の不気味な懐古的動きは描かれているが、内部で疑問を持った少数派があえて立ち上がるところから歴史の転換を描く。しかし、当時のヨーロッパの世相が強い影響を与えているはまちがいない。歴史的にはカルチェラタン闘争が目を引くが、同じ時期にあったアウシュビッツ裁判は強く影響を受けたはず。それが「顔のない」で描かれなかった不思議!
煎じつめて考えると、ヨーロッパは地続きであるがゆえに、各々の国が政治的に孤立して勝手に動くのが難しい(少なくとも地続きであることを利用して、相互補完性を持てる)関係にあるのではないか。しかしアジアの東端では、そんな構図は描きにくかった。中国は思うようにいかない結末を迎えた。朝鮮半島もようやく休戦状態に持ち込めただけだった。インドシナ半島ではベトナムの頑強な抵抗がフランスに続いてアメリカを苦しめた。こうした不安定さの中心に、アメリカの東アジア戦略に丸乗りした日本が鋭いトゲとなって突き出していたというべきか。これが戦後日本の姿を決める。戦後の世相はすでに敗戦時(または敗戦前)から決まっていた。戦後映画でいえば、「雲ながるる果てに」「亡命記」などに限らず、反戦物というより厭戦物というべき作品が量産され、「真空地帯」「野火」「人間の条件」すらその風潮に飲み込まれていった。72年「軍旗はためく下に」がほぼ最後のあだ花と言うべきか。その頃には、厭戦気分の正当性が通用する世相ができあがっていた。オリバー・ストーンの論評にはそんな思いが重なる。そして次の敗戦時のあるべき姿を思う!
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2018年05月07日

映画「ブリキの太鼓」79年ドイツ

ギュンター・グラスが59年に発表した小説を79年映画化した。ダンツィヒ(ポーランド名グダニスク)はドイツ人が多く住む地域だった。1939年9月1日、ヒトラードイツはここに侵攻し、第2次世界大戦が始まった。独仏合作のこの映画は、主人公オスカルが誕生し、成長を止め、成長を再開するまでの21年間を描く。原作と映画は少し違い、原作では1954年30歳のオスカルが、精神病院で半生を語る。
オスカル誕生の1924年は大恐慌の始まる寸前。3歳時点の街には不穏な空気が満ち、インターナショナルの音曲が流れる一方で国家社会主義者(街で石を投げられる少数派)の胎動も見られる。偽善に満ちた日常を生きる大人たちの自堕落な醜悪さに気づいたオスカルは大人になることを拒否し、成長を止める。太鼓の技と奇声を発してガラスを破壊する能力で周囲に大きな影響を与え、ときにナチスの集会を混乱におとしいれたりするものの、時代の流れには逆らえない。感受性豊かな母は、醜悪が勢いを増す日常に反発し、無理に馴染もうとしてかえって狂死する。
ドイツの侵攻で独領となったダンツィヒはナチス一色に染まり、ユダヤ人への迫害が勢いを増す。そして、世界大戦の勃発とともに逆らう声は完全に消滅する。戦火が拡大するにつれて市民生活は豊かになり、華やかな雰囲気に満たされていくが、それに疑問を持つものは皆無。オスカルも例外ではなく、鬱屈する日常への反発もあってサーカス団仲間と軍服で戦地慰問の旅に出る。愛情を感じていた仲間の死を機に実家へ戻るが、ダンツィは連合軍の攻撃で瓦礫の山と化しており、父はナチスから遠くなりつつある。
戦争が終わりに近づき、ソ連軍が攻め込んでくる。父はあわててナチスの党員章を隠そうとするが、オスカルはそれに反発、ソ連兵の前で父の手に党員章をねじ込む。父はあわててそれを飲み込もうとして苦悶し、かえってソ連兵に撃ち殺される。父の葬儀の場で、全てが終わったことを悟ったオスカルは止めていた成長を再開する。そして、義母と祖母を残してドイツへ旅立つ。
ストーリーは以上。記憶が頼りで、順序があちこち間違えている可能性はある。それでも以上からわかるように、この映画はダンツィヒを舞台にナチスの台頭から崩壊に至る過程を、成長を止めたオスカルの視点から描いている。第1次世界大戦で大敗北を喫したドイツが凄まじい戦後の危機を通り抜けたあと、わずかのあいだに再び世界を巻き込む戦争へのめり込んでいき、2度目の大敗北に至る。その過程で、ドイツの良心が成長するのを止めてしまった、とブログ主は理解した。オスカルが義母と祖母を置いてドイツへ旅立っていくとき、成長を始めた彼は、彼の地でどんな成長を遂げていくのか。ラストシーンを見ていると、まだ同じことが続く可能性が予見されているように感じた。
原作は59年。映画は79年。アウシュビッツ裁判が60年前後。仏映画「去年マリエンバートで」が62年の作品である。「マリエンバート」に強い影響を受けたドイツの若い映画人たちが低迷するドイツ映画の再興を目指して動き始めていたものの、これだけ優れた映画が創られるまでには、さらに長い年月が費やされた。「橋」「最後の橋」「08/15」「菩提樹」など個人的に思い出せる独版戦争映画でも、ナチスの描写は慎重に避けられている。これだけ克明に描かれるには並大抵でない葛藤が積み重なったことだろう。「ブリキの太鼓」のラストシーンになにやら吹っ切れないものを感じたのは当時の時代状況(東西冷戦、ベルリンの壁)のゆえか。59年の原作は映画の低迷と比べ飛び抜けて先進的だったのかもしれない。「顔のないヒトラーたち」の設定が、文化的に当時の世相の全てではなかったことを示す証とも言えそうだ。それら時代を乗り越える意思が、当節の某国よりはるかに実のある現在を形作っているのは確かなこと。某国はいま、ナチスに学んで旧帝国の栄華を取り戻そうと躍起になって、アナクロ的末路を突き進む!
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2018年04月30日

映画「永遠と1日」98年ギリシャ その2

大型連休に入り、ネタの少ない日々到来。そこでテオ・アンゲロプロス監督の「永遠と1日」について、前回書き足りない部分があるのを感じたまま放置していた件につき、ようやく書く。「永遠と1日」の意味を映像で象徴的に示した場面はラスト近く、主人公が夜遅く、街の交差点で車を止め、信号機の明滅をじっと眺め続けるところで次第に明らかになっていく。深夜から早朝までかけて、彼は通行する車の邪魔をしながらそこに留まり続け、明け方の薄い光の中で、信号が赤から青に変わる直前、車を急発進させて突進していく。画面のずっと先で、からくも交通事故を起こしかけるところまで、映像は丹念に捉えている。そこでブログ主は思った。「ああ、これが主人公が越えようとした、今日から明日への壁なんだ」と。
冒頭で彼が重い病気を抱えながら「明日、旅に出る」とつぶやく。同じ言葉は何度も出てくる。「明日の計画を立てる」「同じ曲で誰かに応える」そして少年から教わる「クセニテス(どこにいてもよそ者)」「アカルディニ(夜とても遅く旅立つ)」が、次第に「明日」の意味を深めていく。交差点で立ち止まり、夜が明けて赤信号が青に変わる直前、車を急発進させることの意味が、積み上げられた会話や意味深な言葉を経て全面展開される瞬間を迎える。今日が明日へ変わる瞬間、今日のまま明日へ突入する。ほんとうは「夜遅く」旅立つべきであった。だが、主人公は逡巡を延々と繰り返した。それゆえ彼の意図した今日から明日への強行突破は交通事故を起こしかける「喜劇的な悲劇」として描かれるしかなかった。ほんとうの「夜遅く」だったら、それは1939年の蜂起で散った戦友たちとともに、「悲劇的な喜劇」として歴史に刻まれることになったのかもしれない。戦友は彼らの信じる明日、「永遠と1日」の彼方へためらうことなく突き抜けていったのであり、主人公は生き残った。アルバニア人の少年たちが仲間の死を悼んでつぶやく「官憲や軍隊がじゃまをしても、ぼくらは今夜遅く向こうへ渡る」(そのようなセリフだった?)を思い出す。このときも戦友のときと同様、主人公は彼らを見送ったが、自らは明日への跳躍を果たせなかった。
前回のブログ記事で、「明日は今日の1日先にあるが、1日経てばそれは今日になり、明日はやはり永遠に明日のままだ」と書いた。確かにその通りだが、今日と明日のはざまは夜が最も深い瞬間にやってくる。深夜の交差点の信号で逡巡し続け、「夜遅く」ではなく「明日がすでに始まっている」ときに急発進することの無様さを、主人公はそれでも受け入れた。そしてラスト、彼は荒れ狂う海に向かって叫ぶ。「クセニテス(どこにいてもよそ者)」「アカルディニ(夜とても遅く旅立つ)」「悲しいのに笑う」。永遠の「明日」に向かって去っていった仲間たち。「1日」先の明日に、まだたどり着けない自分。彼の抱えた「重い病」とはなんだったのだろう。今も生きてありながら、永遠の明日にたどり着けないで行き場を失いつつある存在。そんなものを示しているのだろうか。1939年で時間を止めた友人の墓は、海辺に面した小高い丘にあった。しかし、死んだ彼らの前には、いっぱいの光を浴びておだやかな海が広がっている。彼らは海を越えてすでに旅立っている。そしてラスト、主人公の前にあるのは、乗り越えるのを拒むように荒れる風と波(最も深い夜の闇)。そこで、主人公はアンナに「明日の計画を立てる」「同じ曲で誰かに応える」と語り、「明日の時の長さ」を問う。アンナは答える。「永遠と1日よ」と。「永遠」の明日に生きるか、「1日」先の明日を永遠に求めるか、老齢に至ってもなお主人公は自問し続ける。「明日を捉えるのは明日ではなく今なのだ」と観るものに語りかける、残されたものの生きざまを厳しく問う。ラストシーンにはそんな意味があったのだと思う。
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2018年04月02日

「血槍富士」と「父ありき」の「海ゆかば」

55年公開。前年に中国から復員した内田吐夢監督の戦後第一作である。ラスト「海ゆかば」に驚き、小津安二郎42年公開「父ありき」ラストシーンを連想したが、ウィキで企画協力に小津安二郎の名前を見てまたびっくり。「血槍富士」ラストの「海ゆかば」をどう考えるか。そして同じ問いを小津安二郎の「父ありき」に重ね、それが両作品を理解する上でキモになると確信した。
「血槍富士」のラストで、槍持ちの権八は主人と小者の遺骨を胸に、後生大事に持ち続けた槍(東照神君から拝領した殊勲の槍=実はニセモノ)を背負って坂の向こうに消える。そこへ「海ゆかば」の曲が流れ、坂の向こうで大切な槍を投げ捨てる音が聞こえる。これが内田吐夢の明確な答えである。そして小津安二郎「父ありき」に、ブログ主の思いは向かう。父と暮らす幸せを夢見て果たせなかった息子が、新妻とともに夜汽車で見つめあっている。向かう先は新しい任地。遠く去っていく汽車の窓明りはあまりにも小さく、おぼつかなく切ない。そこで語られるのは新しい家族との暖かい団欒であり、「海ゆかば」はこのとき、無慈悲に二人の行く手を暗示しながら、観客に背を向けるかたちで彼らを果てしない闇に送り出していく。息子の寂しげな言葉が胸に響く。「よかったら、お父さんたちにも秋田の方へ来ていただこうじゃないか」「みんなと一緒の方が賑やかでいいからなあ」と、ここに「父ありき」の家族観が見える。
「血槍富士」では「海ゆかば」は悲壮感をどことなく横へ置いた歌い方がされていた。スクリーンの端っこで、槍を無造作に放り投げる音がゴットンと聞こえ、片岡知恵蔵が「おらあ、もう侍なんてやめた。こんなもんいらねえや」とほざく声が聞こえたような気がした。「父ありき」ではどんな歌い方であったか、残念ながらわからない。しかし想像はつく。当時の世相を反映して、荘厳で覚悟に満ちた音楽であっただろう。そうしなくては検閲を通るはずもなかった。だが、その悲壮感は二重の表情を持ち得た、という気がする。天皇を頂点とする家父長制国家は個の家族関係を認めず、ひたすら天皇に帰属させる機能しか持ち得ないよう個人を強制した。だから秋田へひた走る列車の中で息子が願った個人の幸せな日常は、いくら求めても「海ゆかば」の歌声にかき消され、暗闇の彼方へ寂しく消えていくしかなかっただろう。
1942年の正月興行は「父ありき」と「緑の大地」。両方とも国策映画で、後者は制作会社が総力を挙げた超大作スペクタクル戦意高揚映画だった。一方「父ありき」は、製作費はもちろん演技陣も比較にならないほど地味で、「緑の大地」の側は「こっちの勝ち」と確信していたらしい。ところが事実はまったく逆。「父ありき」の独走となり、「緑の大地」は悔し涙を流した。戦意高揚映画が負けたのか、それとも「父ありき」も紛う方なき戦意高揚映画だったのか。紛らわしいのは戦後、GHQが検閲する前、小津安二郎自らがこの作品にハサミを入れたことだ。いくつかの部分はいまでも確認できるが、「海ゆかば」は音声であり、ブログ主の手元にある古いシナリオを参照してもわからない。遠ざかる列車の映像がそのまま音楽を引きずっていくのなら、戦意高揚とは言い難い。逆に遠くなる列車が向きを変えて観客に向かって爆走してくるとしたら、戦意高揚に転じる。そんなシロウトの当て推量とは違う、小津らしい描き方がされていたか。または検閲用に縫い付けた結末だったか。真実は遠ざかっていった列車の行く末同様まるでわからない。内田吐夢は、小津安次郎の本心を、後になって内田流に再表現したのかもしれない。小津安二郎が企画協力に名を連ねる「血槍富士」を見て、ふとそんなことを思った。また「美しい国」再生を目論むこの国の宰相が現に実行していることの中に、天皇制国家の再現と個別の家族制度崩壊の意図が色濃く漂っているのを見た気がした。「海ゆかば」はいまこの国の民の頭上で密かに音高く鳴り響いている。どんな音色で?
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2018年02月26日

「去年マリエンバートで」論考抄録 4/4

男は女の想念の内部分裂によって抹殺された女の戦争の記憶だった。女は自ら封印した戦争の記憶を再認識し、虚飾に満ちた現実に背を向けて、胸に刻んだ「戦争の記憶=男」とともに、マリエンバートから去った。
「去年マリエンバートで」(62年公開)を再鑑賞してからおよそ1年後、「かくも長き不在」(60年公開)を観て、冒頭部分に「去年マリエンバートで」と明らかな相関があるのを知った。「かくも長き不在」はパリ祭を祝うフランス軍の行進から始まる。華やかな祭りが終わってパリの裏町が映し出され、おなじみのカフェに集う住民たちの会話が始まる。ストーリーを決定づける言葉が、登場人物の口から漏れる。
「我が国は平和の名の下に20年も戦争を続けている」
「20年」は、第2次大戦勃発の1939年ないし独仏戦開始の1940年と符合する。先の大戦勃発後20年を経てなお、フランスは戦争を続けている。そして場末のカフェの女主人には、抵抗運動で行方不明になったつれあいがいた。パリ祭が終わってバカンスに入り、なじみ客たちがでかけて、街はしずかになる。そのとき、行方不明だったつれあいとおぼしき路上生活者が、女主人の前に現れる。男はゲシュタポの拷問で記憶を失っている。女主人は「あの人に間違いない」と確信し、記憶を呼び戻そうと必死になる。
「かくも長き不在」では、女が男に「思い出せ」と迫る。人物設定は逆だが、ストーリーの全体的流れは「ヒロシマモナムール」「去年マリエンバートで」と重なる。ラスト、男の記憶を取り戻そうと、人々が彼の名前を呼びながら暗い道を追いかける。男は、ゲシュタポの追跡を思い出し、恐怖に駆られて逃げだし、トラックの前に飛び出し、病院に収容される。女主人は悲しみに暮れながら語る。
「性急すぎたんだ。もっとゆっくりやらなければいけなかった」
痛切な呼びかけにもかかわらず、戦争の記憶は押しつぶされた。長かった20年はまだ果てしなく続く。「かくも長き不在」とは、悲惨な戦争の記憶の不在を意味した。「去年マリエンバートで」も「かくも長き不在」も、さらにいえば、「夜と霧」も「ヒロシマモナムール」も、物語のすべての起源をそこに置いていた。「去年マリエンバートで」に戻って考えると、マリエンバートは、ゆったり保養する温泉地ではなく、決して忘れるべきではない過去を示す場所だった。女はそこで寸劇の暗示にからめとられ、内的葛藤の混迷にはまり込む。彼女にとってマリエンバートは「夜と霧」のアウシュビッツであり「ヒロシマモナムール」のヌヴェールだった。そして男と女が最後に向かうと決めたのは、戦争を引きずり続け、いまだに過去と向き合わない祖国フランスだった。
マリエンバートの庭園を映しながら、「これがフランスの庭園だ」とモノローグが語るのは、忘れてはならない過去がいまに続く場所、それが(パリ祭の喧噪に浮かれ、バカンスにうつつを抜かし、過去の大切な記憶を失っていつまでも彷徨い続ける)フランスなのだ、ということに他ならない。「去年マリエンバートで」は、フランスとフランス人を痛烈に批判した映画だった。だが、それはフランスに止まらず、危険の淵へ進み続ける世界と、それを押しとどめようとせずにかえって見過ごして追認する世界への警鐘でもあった。当時、「去年マリエンバートで」は、ドイツの若手映画作家に強い影響を与えた。「顔のないヒトラーたち」(14年公開)は、当時のドイツ知識人層に少なからぬ衝撃があったことを不思議なことに示していない。
そしてマリエンバートの警鐘は、半世紀を超えた現在でも古びていない。先の戦争から70数年を経て、現在は再び「また会えるかしら」と自問し、「また会ってしまったね」と自答している。「モナムール」の訴えはまだ世界に届かない。「マリエンバート」公開後数年を経て、フランスは「美しき5月のパリ」の騒乱の日々を迎える。カルチェラタンが燃え、セーヌ左岸派と呼ばれる表現者の集団の中にゴダールの姿があった。
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2018年02月25日

「去年マリエンバートで」論考抄録 3/4

今日の新聞に米がエルサレムへの大使館移転を前倒ししたと書かれている。この事実と向き合うとき、わたしたちのなかに、戦争に対する記憶はどう埋め込まれているかが問われる。その記憶がわたしたちの位置を決める。
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  (4)「去年マリエンバートで」
映画「去年マリエンバートで」の最初の数分間でいくつかの重要なカギが画面にちりばめられていくことに注目しておきたい。まず登場人物がフランス人であること。場所が、マリエンバートというドイツの湯治場であること。仰々しい装飾に満ちた湯治場の室内の様子。人々の寒々とした生き様。人々が感動とはほど遠い感覚で眺めている劇中劇。劇中劇の男女が交わす会話。そこで鳴らされる午前3時の時鐘。観客の中でただひとり、虚無をはらんだ強い視線で存在する女。劇が終わって席を立った観客の会話「26年だったかしら」「とても寒い日だったわね」などなど。ここでバックグラウンドの主要な設定が、ほぼ出そろう。
場所がドイツであることで、映画の観客は「夜と霧」を連想する必要があった。一方、映画は観客がそれを忘れているとの指摘をスクリーンの背後に隠し持ちながら物語を進めていく。劇中劇で男女の駆け引きがあり、3点鐘が鳴った瞬間、女はためらっていた心をくるりと翻し、誘い続ける男に「ついて行きます」と応える。なにをためらっていたか、なぜ急に翻意したかわけもわからず、観劇する湯治客たちは拍手する。ひとりの女が冷ややかな表情を露わにするものの、それはいまだ彼女の内部で深い意味を獲得する途上にある表情に過ぎない。劇場から出てくる客たちの会話「26年だったかしら」「とても寒い日だったわね」は世界恐慌の勃発を示す。大恐慌は1926年10月に始まった。例年にない寒さが世界各地を覆っていた。
恐慌は、第1次と第2次両世界大戦のはざまにあった狂乱の時代の終わりを告げ、未曾有の大混乱が始まろうとする警鐘を打ち鳴らした。マリエンバートに集う人々は、両大戦は忘れても、大恐慌はかろうじて想い出の範囲内にとどめていた。観劇が終わった後、強い虚無感(心奥に浮かんだ捉えどころのない不快感)を漂わせる女に、男が近づく。
「去年会いましたね。忘れましたか」
女はうさんくさげに男を遠ざける。しかし男はいっこうにあきらめる様子がない。男の執拗さは、まさに「夜と霧」のナレーション「廃墟の中から執拗に立ち上がる記憶」「捨てたはずの記憶」と重なる。男は、女が虚無(不快)を感じたときから胸裏に巣くい、振り払っても振り払っても、付きまとい始める。忘れていた一年前の記憶がフラッシュバックとなってよみがえり、彼女を責めさいなむようになる。動揺と混乱が極みに達し、女は自分の死を想起するが、男は否定する。
「いやいや、そんなんじゃない。そうじゃなくて、もっと別の結末だった」
 そして混乱する思考の中で、ふたりは庭園へ出るが、そのとき誤って男は欄干から転落して死ぬ。女は悲鳴を上げ、そのときようやく、彼女は1年前に男を殺したことで自分の心を殺したのだと悟る。劇中劇で鳴っていた3点鐘は、男の死からかなり早い時期に、彼女が男(忘れてはならない過去の記憶)を捨てて自分を殺し、次の記憶へ一歩を踏み出したことを暗示していた。そのことに思い至って、女は虚飾に満ちたマリエンバートから、記憶のなかで生き返った男とともに去る。新しい出発のとき、時鐘は12時を告げる。
男は去年深夜12時に女に忘れられることで死に至り、女はその記憶の残像も生々しい午前3時に男を完全に忘れ去る。だが1年後、ドイツの湯治場で忘れたはずの記憶が彼女につきまとい、混乱しながら深夜に男を記憶の底から浮上させ、自分の罪を確認し、明日が始まる瞬間、男とともに決然とマリエンバートから去る。細かな計算とともに積み上げられてきた各々の伏線は、ここまできてすべての意味を明らかにする。(次回へつづく)
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2018年02月24日

「去年マリエンバートで」論考抄録 2/4

近年、「フクシマ・モナムール」とか「シリア・モナムール」などの映画が公開されているが、これは間違いなく「24時間の情事」(原題「ヒロシマ・モナムール」)にオマージュを捧げている。「ヒロシマ・モナムール」はひとりの人間の中に「わたしはなにか」「あなたはなにか」を問う。そして、いまある映像群の多くもこれを明確に問う。問い問われるものの同時性と、それらを包む本質的なものへの問いに触れる。観ているわたしたちのまなざしに福島や沖縄やシリア、パレスチナを語るための、どんな意思があるか。「フクシマモナムール」は、自らの内にフクシマと対照される意思を持つものの言葉だった。わたしたちはどんな記憶を持ち得ているか。いくつかの映像群は、それを「あなたはいまどこにいるか」と問う。自らの位置の確認から向き合いが始まるのである。
「ヒロシマモナムール」のなかに、その答えはすでに示されている。ラスト近く二人が語り合う。「また会えるかしら」と女が問いかけ、「また戦争があったら会えるさ」と男が応える。まだ「戦争の時代」は終わっていない。だから、「また同じことをわたし(あなた)は想う運命にある」ということだ。フクシマ、オキナワ、シリア、いま世界に広がる悲劇の全体にどう向き合うかが観るものに問われている。「また戦争があったら会える」は、止まらない悲劇に、わたしたちはどう向き合うかの問いとその応えにつながる。「モナムール」には、「いつか身に降り掛かるとき」ではなく、「いま当事者としてどの位置でどう向き合うか」の奥深い示唆がある。
「フクシマモナムール」の原題は「フクシマからのあいさつ」という。この意味は予想以上に深い。「あいさつ」はあった。では、「あいさつ」された側は、それにどう応えられるか。福島の現状に触発されて、自分の中の意思はどう応えているか。そのことが「フクシマ」をみつめるものすべてに求められている。「モナムール」と発したものはフクシマに向かって「あなたはフクシマだね」と語りかけ、同時にフクシマから「あなたは〇〇だね」と認識され、互いを知る。いや、フクシマも〇〇もほんとうは個人の内部にある自分なりの意思なのだから、双方向の関係が対等なものとして築けなければ、「モナムール」は、まだ内から発する言葉ではあり得ない。それは自分の中にある世界認識を自分自身の手で強固なものにする、身を切る作業なのである。ブログ主に「福島へ行くのは怖くないか」と聞いた人がいた。それがその人と「フクシマ」の真性の距離感だった。
たとえば映画「種まきうさぎ」に引き寄せて考えてみる。この映画は、観客たちになにを問いかけたか。その問いが観客のなかになにを芽生えさせたか。わたしは福島とどう向き合っているか。向き合うために自分の中にあるなにを認識し、福島のなにと向き合うようになったか。この映画は心情の深いところから、それを問うている。これを観て直感的に「食べて応援したくない」などの批判があったが、そう感じる前に、主人公が「どこにいても福島を背負う」と結論する背景に、観客は自分が背負うなにかと照らしてなにを読みとったか。簡単に「食べて応援したくない」という結論とは違うなにものかの感触が、自らの内に浮かばなかったか。そのことが問われている。福島の「外」にいるものたちが、福島と結び合えない距離感(自ら設定してしまった距離感)を自覚せずに持っているとしたら、そこに「種まきうさぎ」の究極の絶望があるとはいえないか。
「種まきうさぎ」の人々は永続する戦いを背負った人々だった。それがこちら側では、すでに忘れる時期に入っていることを意味しているとしたら、モナムールの言葉はわたしたちのものではない。「種まきうさぎ」の主人公はそのことを観客に問いかけ、その応えを待たずに決然と観客に背を向けて自分自身の深淵に向かって歩を進めていく。観客は置き去りにされたのではなく、追随できなかったのである。(次回はマリエンバート!)
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2018年02月23日

「去年マリエンバートで」論考抄録 1/4

一人の人格の分裂を二人に分解して表現する手法は、気が付いてみれば、多くの芸術表現で使われている。そのことに留意しつつ第3章の「24時間の情事」から始める。
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  (3)「24時間の情事」
原題は「ヒロシマ・モナムール(ヒロシマ我が愛)」という。日本の映画配給会社がとんでもない名前をつけたので、かなり誤解を受けた観がある。よこしまな意図があってつけたのか、なにか明らかな根拠によってこんな命名をしたのか、ブログ主にはわからない。
制作は1959年、「夜と霧」の4年後である。ウィキには「他国人同士の恋愛を体裁に取りつつ、戦争を背景とした異国文化・価値観の交流の可能性を模索した」とあるが、これだけではなんのことやらわからないし、作品の本質とまるでかけ離れていて、ぜんぜん参考にならない。
まず冒頭で男女の情交のシーンが映し出される。ざらついた肌のイメージ。さらさらと乾いた砂が二人の身体にまとわりつく。行為が進むにつれて、砂はきらきらと輝くなにかに変わり、ついに重なり合う二人の汗になっていく。
女優が広島へ来たのは映画の撮影のためだった。撮影が終わればフランスへ戻り、恋人との生活が始まる。ヌヴェールで経験した辛い出来事を忘れて新しい出発ができる。そのはずだったが、ヒロシマの傷に触れたいま、ふいに彼女の中のヒロシマに変化が起こる。いや、変化を開始したのは、彼女の傷の原点であるヌヴェールだったのだが、そうと気づくには、ヌヴェールの記憶は彼女にとってまだ生々しく、過酷なものだった。
「わたしはヒロシマのことを知ったわ」
「いや、君はヒロシマのことをぜんぜん知っちゃいない」
男(彼女の葛藤の原点に重なるヒロシマの真実=その向こうにあるヌヴェールの真実)はそのことに気づいて、しつように彼女を気づきの場へ引きずり出そうとする。だが、彼女は忘れることで見いだそうとしていた新しい希望を捨てきれず、抵抗する。男のしつようさはヌヴェールのしつようさだったが、忘れるためにヒロシマへ来た女優は、(自らに内在する)ヌヴェールへ戻ろうとする意志を受け止めきれず、男の追及を振り切るように、夜のヒロシマの町をあてどなくさまよう。
ようやく逃げ切れたはずの街角に、どうして知ることができたのか、タクシーが近づき、男が降り立って彼女のうしろにつきまとう。ここで映画の観客は、ようやく監督の意図を知る。「そうか、男は彼女と別の人格ではなく、彼女の内部にある彼女自身の葛藤を、独立した人格として分化させた表現、つまり彼女が捨てようとしている分身(ヌヴェールの記憶)なのだ。だから、いくら避けようとも彼女を追い、問い詰め続けるのだ」と。
男(どうしても消せない彼女のヌヴェールの記憶)を避けるほど、彼女のヌヴェールへの想いは深くなる。遠ざけてそれで済むほど、ヌヴェールが彼女に刻んだ傷は浅いものではなかったからだ。そのことを知ったとき、彼女は涙を流しながら男に叫ぶ。「あなたはイロシマね」。いや、苦労して正確に語ろうとする。「あなたはヒロシマね」と。
そして男(ヌヴェールへの彼女の想い)は応える。「君はヌヴェールだね」と。分裂した自我はここでひとつになり、ヒロシマの傷とヌヴェールの傷は、ついに互いの存在を対等に確認することができた。彼女は忘れ去ろうと努力してきた戦争の傷(記憶)を、ヒロシマと向き合うことで真摯な気持ちで直視できるようになった。ヌヴェールで経験したことと広島で経験したことを超えて、すべてを見通す視点を持った。彼女はヒロシマの心を携えて、フランスへ帰る。ヌヴェールの記憶(戦争の記憶)の元へ帰る。(つづく)
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2018年02月18日

カプランオール3部作(卵・ミルク・蜂蜜)

第1部から第3部まで、時間を逆に進みながら、主人公ユスフの視点から家族の道筋をたどる。第1部は母の死を軸に展開され、第2部は父が死んだあとの母との生活を描き、第3部はまだ父が生きていた頃の家族を主体に展開される。全編を観たあとで記憶を逆にたどると、各々で描かれていたことの意味が後付けでわかる。というわけで本稿は第3部から第1部へと、あえて逆向きに書く。
まず第3部。冒頭、2009年の出来事を書いた紙片を子どものユスフが読まされ、時代設定は2009年以降かと思わされるが、これは錯覚のようだ。第3部は父親との親密な関係と死、それと対比した母親との微妙な距離感を描く。父にてんかんの発作があり、ユスフにも同じ発作のあることが示される。自分だけのものと信じていた父が他人の子に親切にすることへの違和感。そして父の突然の死を受け止めかねたユスフは鷹を追って森へ迷い込み、暗闇で眠りに落ちる。母との生活の始まりと、彼が闇の時代に入り込んでいく予兆とともに第3部は幕。
第2部の冒頭は奇妙な場面から始まる。若いころのユスフの母親が逆さ吊りにされ、祈祷師が煮えたつミルクの中に護符を入れると、母の口から蛇が吐き出される。場面転じてユスフは徴兵年齢に達しており、そのぶん母は冒頭より年をくっている。サイドカーで牛乳を売ったりして生計を立てている母。母子関係は相変わらずギクシャク。商売の途上、母はタイヤがぺちゃんこなので駅長に空気入れを貸してもらい、彼といい感じになる。それの反映か、台所で母は蛇がいるとわめく。母と駅長は正式に付き合い始める。ユスフは母の気持ちを疑って後を追い、駅長を叩きのめそうとして湖畔で巨大なナマズを捕まえる。家へ帰ると母が、駅長が撃ち取った鳥の羽をむしっている。ユスフは母との距離感を失って、その後、炭鉱夫になる。ナマズは大人になる象徴であり、炭鉱の闇は3部の森の闇と相関し、第1部のラストとも関係する。
第1部。ユスフは30代。母が死に、埋葬のため実家へ戻ったユスフは、義妹のアイラ(第2部で登場した駅長の娘)と会う。関係のぎこちなさから、付き合いがなかったことが推察される。物語は、母が死ぬ前に願掛けしていたことの成就のため、アイラと旅をするロードムービーとなる。旅の終わり、次第に通いあう互いの心を置いてイスタンブールへ帰る途中、夕暮れ時の野原で犬に襲われ倒れるが、夜間ずっと犬が見張っていてくれたことを、明け方、涙とともに知る。この場面は2部3部のラストの闇と対比されるが、第1部にのみ夜明けがあることから、両親(とりわけ父)の死の克服を意味すると推察する。
細かいことは抜きにして3つのラストから考える。主人公ユスフは父の死から抱え続けた心の闇を、母との関係でいっそう深め、母の死とともに行き場のない気持ちとして抱え込む。それが井戸に落ちてもがく夢となってたち現れたのではないか。結末は義妹アイラとの旅の過程で大団円を迎える。失い続けたかけがえのないものとの大切な関係を、アイラとのあいだに見つけ、二人は実家の食卓で、ぎこちないながら微笑みあう。たしかに第2部第3部の食卓には、すれ違う違和感が漂っていた。それゆえすべては第1部のこのシーンへ収束していくのだとわかる。
暗闇や食卓の意味を比較すると、この映画が見えやすくなるようだ。2部冒頭の蛇は母の心に湧き上がる情念を象徴し、祈祷師はそれを封じる社会通念と、ブログ主は理解した。ユスフの閉塞感にも同質のものが漂う。詩的な表現が強くて理解しにくいが、独特の空気感を解きほぐすとある程度は流れが見えてくる。そんな映画だった。ところで、時間を逆順にしたのは何故だろう。「監督は第3部のラストに重点を置きたかった」そう考えることもできる。その場合、第1部ラストの牧羊犬は、より多く父の存在を継承しているのだろう。最後のアエラとの食卓の雰囲気にも微妙な暗示があり、始まりの闇と再生の夜明けの姿が見えたような気がした。
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2018年02月06日

日本映画で政治はどんな描かれ方をされたか

35面「文化・文芸」欄にキャスリーン・ビグロー監督のインタビューが載る。作品では「ハート・ロッカー」を観ただけで特に強い印象はない。続く「ゼロ・ダークサーティ」がビンラディンを描いていたこともあり、ブログ主的には早々に敬遠気味だったことは否めない。記事の表題は「映画は社会問題問う道具」とあり「最新作『デトロイト』が公開中」「50年前に起きた米史上最大級の暴動を、生存者の証言などをもとに再現」「政治的な作品を発表し続けているビグロー監督は『私にとって映画は社会問題を浮き彫りにするための道具』」「『娯楽だけの作品に興味はない』とビグロー監督は言い切る。『私にとって映画は社会とつながり、社会問題を浮き彫りにするための道具。社会や文化、世界について観客が理解を深め、議論が始まるような、ジャーナリスティックなものであるべきだと思っている』」「「私の作品はいつも社会的なメッセージと芸術性が交差するところにある。バランスは非常に難しく、興行のリスクもあるが、こうした挑戦にこそやりがいを感じてきた』と語る」(本文引用)
作品そのものはあまり趣味でないのがタマニキズだが、「その意気やよし!」である。ロス発の記事の後に「政治的主題、ふみこまぬ邦画」の中見出しが続く。米国映画は「政治や社会の問題を掘り下げつつ、エンターテインメントとしても成功している作品は少なくない」「日本はどうか」「今年度の日本アカデミー賞」「いずれも今の政治状況とは無縁だ。アート系の作品も多くは個人の内面や家庭の人間関係に焦点を絞る」「日本の映画に詳しい米(中略)教授は『米国のテレビや映画界では、番組や作品で政治を扱うことがビジネスとして成立している』と話す。『日本では、テレビ局の出資が映画から政治性を失わせているように思います』」「製作者が忖度するから観客が関心をなくすのか、観客が嫌がるから製作者が避けるのか。鶏と卵の連鎖を断つには、映画界が政治という主題から逃げてはならない」(本文引用)
政治を真っ向から描いた大作に山本薩夫監督の作品が挙げられていたが、そのあたりチョイ違和感を感じるのはブログ主の主観が過ぎるだろうか。かつて日本映画にも政治性の高い作品があったというとき、どんな作品を捉えてそのように言えるのか。大作エンターテインメントが取り上げる政治は、じつは現実の生活とは跳び離れたところに存在する、いわば架空のものとしか描けないような、非リアルな世界ではなかったか。観客自身に密接する形でリアルに政治に迫る作品が生まれる背景が、この国にあっただろうか。それを考えるとき、戦中の国策映画に見られる映画人の抵抗と、観客たちの内部に引き起こされたかもしれない密かな葛藤が、いくつかの作品に隠されていたのを感じざるを得ない。
小津安二郎の「父ありき」は国策映画で、日本海軍の真珠湾攻撃から約4ヶ月後の4月1日に封切りされ、大入り満員となった。対抗馬の東宝大作「緑の大地」は惨敗の憂き目にあった。ここで筆者は思う。「父ありき」は文字通りの国策映画だったか、と。天皇を頂点とする家父長制国家が圧力をいよいよ強めるとき、「父ありき」はあえて個々の家族の絆を描き、その最後を「海ゆかば」で締めくくった。観客の受け止め方はざまざまだっただろうが、この締めくくり方に小津安二郎の真意が見えるように思う。遠ざかる夜汽車にかぶさる「海ゆかば」に、国家に絡め取られていく家族の姿がくっきりと示されている。そこに小津的厭戦の思想が見え隠れし、敗戦後の映画界が戦争批判というより「厭戦」に大きく傾斜していった原初の軌跡が見えるような気がする。たしかに、戦後に描かれた政治的大作の数々は、庶民の日常生活とは距離を置き、画面の奥から観客を見据えて人々の判断を促す描き方はついにしてこなかったように思えてならない。試みても、なぜかそれは、イタズラに生硬になるだけだった。
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2017年12月30日

映画「永遠と1日」98年ギリシャ その1

本日はまだ未消化だが昨日のブログで予告したテオ・アンゲロプロスの「永遠と1日」98年作品について書く。監督が「旅芸人の記録」75年を製作したのは軍事政権が崩壊する直前で、厳しい言論統制下でよくこれだけの映画を創れたなと感嘆するほどだが、次の「シテール島への船出」84年で監督は失望を抱えて、島へ向かうのか島から出発するのか、いささか曖昧な結末を残した。84年とは、1981年に発足したギリシャ社会主義運動による左派政権がまだ高い支持を得ていた時期だったが、矛盾はすでに内包されていたようで、89年には政治危機が続き支持を大きく減らし、90年に政権は保守の新民主主義党へと移る。そんな状況下の作品であることが読み取れる。次にブログ主が観たのは「アレクサンダー大王」80年のはずだが、これはあまりに遠い記憶で、はっきり覚えていない。「蜂の旅人」86年は「シテール島への船出」84年をさらに進め、戦中はギリシャ人民解放軍、戦後の内戦ではギリシャ民主軍(共産主義者民主主義軍)で戦ったと思われる元パルチザン軍の兵士の再起の旅と失望の結末が語られる。ちなみにギリシャ人民解放軍は対独パルチザンとしてはユーゴパルチザン軍の次に大きな軍事組織だった。「永遠と1日」98年までの12年間に何本かの作品があるが、ブログ主はそれらに接する機会を得なかったので、全体の流れをまとめて感じることはできない。しかし、監督の失望がどんな方向へ向かっているのかは推測できるかもしれない。「永遠と1日」はそんな位置付けが可能な作品と思う。
というわけで「永遠と1日」の内容に移る。映画では1939年夏や1966年9月の思い出、戦後の軍事政権下の状況がさりげなく語られ、「どこにいる、島か、アンナ」などで「シテール島」まで暗示され、現在と対比される。その現在は「蜂の旅人」の後日を引きずっている。少なくとも主人公アレキサンドレにはそのような日常だ。彼は19世紀の愛国詩人の論考を執筆していたが中断している。現実に惑い、行き場を失っており、住む家を家族に売却される憂き目に遭い、重い病気を抱えている。「明日、旅に出る」という言葉には死の予感が漂う。そんななか、主人公はアルバニア難民の少年と出会う。戸惑いながら彼を助け、いろいろ奔走する。よくわからないが、アルバニアとギリシャでは言葉の壁はそれほど高くないのかもしれない。少年は主人公にいくつかの重要な言葉を伝えていく。なぜ伝えるのか。それもこの作品理解の重要なカギになる。
映画が展開を速めるのは、海岸で主人公が崖の上に登り、1939年の戦いで死んだ仲間の痕跡を確かめるところからだろうか。彼は海の向こうにむけて力一杯叫び手を振る。これを含めて3回、同じ状況が繰り返される。2度目は少年が仲間の死を悼む場面で。3度目はラストシーン。主人公はアンナに「明日の計画を立てる」「同じ曲で誰かに応える」と語り、「明日の時の長さ」を問う。アンナは答える。「永遠と1日よ」と。その言葉を聞いた後、主人公は「わたしは今夜、向こうへ渡る」とつぶやき、海に向かって叫ぶ。「クセニテス」「アルガディニ」その他、新しく獲得した言葉で叫ぶ。「どこにいてもよそ者」「夜とても遅く旅立つ」などなど。あえてこれに字幕を出さないのは慧眼か。
そこで思い出す。停止信号で長く車を止めていた主人公が、赤信号になり突然全速力で発信する。それも「夜とても遅く旅立つ」ことにつながる。「悲しいのに笑う」に含まれる彼らの心情も伝わってくる。「明日は今日の1日先にあるが、1日経てばそれは今日になり、明日はやはり永遠に明日のままだ」しかし今日と明日のはざまの一瞬、明日にたどり着ける。海に向かって叫ぶ「クセニテス」「アルガディニ」には、そんな想いが込められていたのか、と思う。
☆この映画のキモ「永遠と1日」の意味を考えてみた。以下記事「その2」乞う参照!
http://ji-ji-wanwan.seesaa.net/article/459094079.html
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2017年12月29日

世界の抵抗映画をざくっと概観

8面に「国民党の弾圧 検証へ 台湾民進党が立法化 国民党、反発強める」の記事がある。台湾もこういう時代になったか、との感慨が湧く。記事には「蒋介石の別名を冠した中正記念堂は、過去にも改称されたことがある。2000年の選挙で初の政権交代を成し遂げた民進党の陳水扁総統が、07年に『台湾民主記念館』に変更。しかし、08年の選挙で英検を取り戻した国民党の馬英九政権が元に戻した」(本文引用)とあり、「国民党の弾圧検証」は今回が初めてではない。それでも、時代が大きく流れ始めているのを感じさせる。そして1989年公開の映画「非情城市」を思い出す。
映画は「日本統治時代の終わりから中華民国が台北に遷都するまでの台湾社会が描かれている。公開当時は台湾の戒厳令解除から僅か2年後であり、台湾内で二・二八事件が公に語られることは多くはなかった。舞台となった九份は、この作品の成功によって台湾でも屈指の観光名所となった」「1945年8月15日、台湾では昭和天皇の玉音放送がラジオで放送」「1949年12月、大陸で敗北した国民政府が台湾に渡り、台北を臨時首都に定める」(ウィキより)までを描く。「戒厳令解除から僅か2年」、まだ国民党政権下の状況を反映して、わかりにくい描き方だったが、世界に数多ある抵抗映画のひとつとして重要な位置を占めている。
2000年に初めて国民党から民進党に政権交代したとき、国民はどんな反応を示したのだろう。映画公開後、二・二八事件の舞台となった九份は台湾でも屈指の観光名所になったというから、国民の意識の深い部分では、その時代の記憶が多くの人々に共有されていたのだと思う。自らの歴史に対する記憶の継承があればこそ、弾圧検証をすることができる。「蒋介石の長男の蔣経国が亡くなり『蒋家支配』が終わりを告げて来月で30年。民進党は『負の歴史の清算』と位置づけるが、国民党は『政治闘争』だと反発している」(本文引用)。だが、「負の歴史の清算」も「政治闘争」も対立概念ではない。区別すること自体が、歴史に向き合わない後ろ向きの姿勢と言わねばならない。
思い出すのは、ギリシャとスペインの出来事だ。ギリシャは第2次大戦後の内戦から軍事独裁政権を経て70年代の大規模な反政府運動を経験し、74年に軍事政権崩壊。同年カラマンリス政権発足、次いで国民投票で君主制を廃止し共和制への移行を決めた。80年代には社会主義政権が誕生したが04年に政権交代。現在は巨額の財政赤字が発覚し、再び激動の中にある。スペインは、長く続いたフランコ独裁政権が75年のフランコ死去により、王政復古実現。制限君主制国家となった。82年には左派政権が誕生。その後96年に右派の国民党政権になり、04年にふたたび左派の社会労働党政権。11年に国民党政権に交代。いまも政情は不安定だが、国民党政権が続いている。
ギリシャ映画「旅芸人の記録」は1975年公開。1939年から1952年までのギリシャ現代史を通観し、75年のギリシャ国民に、「君たちはこれからの時代をどう選ぶのか」と問いかける。スペイン映画「ミツバチのささやき」は1973年公開。スペイン内戦終結直後の1940年を舞台に描き、ラストで主人公アナが観客に向かって沈黙の眼差しで「あなたたちはどうするの?」と問いかける。「非情城市」を含めて、これらの作品は自分たちの歴史を真正面から捉え、観る者に鋭く問いかける。その問いかけが、8面の記事に結晶しているのではないか。観客に、映画の問いかけに応える経験の蓄積があるからこそ、苦難を超えて選ぶ力があるのだと知る。新しい時代の始まりが見えるような気がする。アンゲロプロスの「永遠と1日」(98年)にも、次の時代があることを信じる監督の意図が明確に感じられたものだった。この映画はまた後日紹介!
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2017年06月02日

戦後史の第2ステージの幕開けに直面して

27面「文化・文芸」欄の「混沌の時代 迷える映画 カンヌ映画祭振り返って」が気になった。「5月28日に閉幕した第70回カンヌ映画祭。期間中に英国でテロが起こり、例年以上の厳戒態勢の下で行われた。世界の政治状況が揺らいでいる現実とどう向き合えばいいのか。コンペの参加作品からは、映画の作り手が戸惑い、悩んでいることが伝わってきた」(本文引用)
ブログ主はいま、先の大戦から40年ほどのあいだに製作された“抵抗する映画”群を、「去年マリエンバートで」を中心に据えて概観しようと企て、少しずつ勉強中である。その過程で、1990年代までと以降で、映像を含むあらゆる表現が大きく2分されているのを感じるのである。まだ大雑把すぎるが、抵抗する映画の系譜は、「去年マリエンバートで」で頂点に達し、その後のフランス映画の混沌、なかでもゴダールの68年カンヌ映画祭殴り込みから「ジガ・ヴェルトフ集団」結成に至る経過とともに、世界に影響を広げつつ、70〜80年代の激動期にその表現力に磨きをかけ、同時に後退を余儀なくされていったのではないか・・・と。
近年、「シリア・モナムール」とか「フクシマ・モナムール」といった題名の作品が見られるようになった。そのことは、老舗のカンヌ映画祭自体は「混沌」の現状にありながら、新しい表現に向けた不断の努力が世界の映画人の中に芽生えつつあるのを予感させる。「モナムール」の言葉が示すように、これらの映像はアラン・レネの「24時間の情事(=ヒロシマ・モナムール)」に思想的影響を受けていることは明らかだ。また、時代の混沌を広い時間軸の上で表現する映像群は、「去年マリエンバートで」の延長上で開花した70年代から80年代の映像群の流れの上にあると言っていい、と思う。
「『混沌とした時代の中で一つの光を、希望を、映画に刻み込むことで、戦争をなくすことが出来れば』。コンペ参加作『光』でキリスト教関係者が選ぶ『エキュメニック賞』を受けた河瀬直美監督は、授賞式でこうスピーチした」(本文引用)。河瀬監督の作品は、まだ見ていないので論評できない。ともあれ「『映画とは何か』という根本が混沌とし始めたこと」(本文引用)を突き抜ける作品であることを、大いに期待する。
過日、岩波ホールで上映された映画のパンフレットにあった言葉を思い出す。「世界は互いに閉じたままで、いまだに出会うことがない」とは、「去年マリエンバートで」や「ヒロシマ・モナムール(=24時間の情事)」で主人公に執拗に問いかける“内的意識”の存在が、先の大戦後70余年を経ていよいよ希薄になってきたことを示している。それは世界大戦が終わってのち、間髪を入れずに次の戦争へのめり込んでいき、わずか5年後には東アジアでヒロシマに続いて本格的に核兵器を使用しようと企て、世界を第3次世界大戦勃発の危機にさらしたことも忘れた彼の国の覇権への執着が、ついに極限に至ったのと同時対象される現象だろう。
時代の変遷にあわせ、表現は第2の変革期を迎えたのだ。世界を混乱させ続けてきた警察国家アメリカが断末魔を迎えているいま、次の覇者に成上ろうとするものたちが、頭をもたげつつある。そこで、映像表現に戻って思う。いま必要な映像は、70数年に及ぶ混沌の新しいステージを正面から見据え、観客自身がなにをなすべきか自問するよう訴える映像ではないか。混沌を混沌のまま投げ出すもよし、また混沌の奥に癒しを求めるもよし、なににせよ、「あなたはいま、この混沌のどこにいて、これから何をしようとしているのか」の問いかけが必要とされている。問いかけと受け止めが、互いに扉をこじ開けて出会う瞬間が近づいている。危機を克服するために協同する意識の芽生えが・・・と、そんなふうに思う。
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2017年04月29日

映画「フランス組曲」14年英仏ベルギー

CSで「フランス組曲」という映画を観た。フランスがドイツに占領される。片田舎にもドイツ軍が進駐し、フランス人の家を兵士の宿舎として接収する。葛藤とほのかな想いの交錯。だが物語の中身は今日のブログ記事の本筋ではない。同居することになったドイツ軍将校の仕事は占領地の治安維持で、彼の元へは多数の情報が集まり、机の上は密告文書の山になる・・・と、ここでいま目の前にある現実の状況が思い出され、他人事じゃないぞ、という気分になる。
密告するものは昨日まで何事もなく親しんできた隣人たち。密告されるものも、昨日までなんの疑いもなく近隣と親しい関係を結んできた人たち。密告文の内容は、嫌がらせを含み、政治的であるか否かも不明なタレコミが多い。そうなのだ、日ごろ胸の中にしまいこんでいた複雑な思いが奇妙にねじくれた形で心の表面に滲み出てしまい、密告という形で表現されてしまったのだ・・・。
ここで今日の我が家購読紙3面に視点を移すと、「『共謀罪』線引きは 『疑い生じれば一般人でない』法務副大臣、答弁修正 減刑規定『冤罪増す』」と関連の「ビールと弁当→花見 地図と双眼鏡→犯行下見」の記事。桜の下で「ビールと弁当」を持っていないと怪しいやつになる。「地図と双眼鏡」なんか持っていたら、疑われること間違いなし。なんてこった。これが国会でいま話されている内容とは!
法案には「実行前に自首したものはその刑を減軽し、または免除する」(本文引用)とあるらしい。これなんぞは、気に入らない者についてあることないことしゃべりまくり、陥れることになりかねない恐ろしい条項だ。かの有名な松川事件を思い出す。「事件発生から24日後の9月10日、元国鉄線路工の少年が傷害罪で別件逮捕され、松川事件についての取り調べを受けた。少年は逮捕後9日目に松川事件の犯行を自供、その自供に基づいて共犯者が検挙された。9月22日、国労員5名及び東芝労組員2名が逮捕され、10月4日には東芝労組員5名、8日に東芝労組員1名、17日に東芝労組員2名、21日に国労員4名と、合計20名が逮捕者の自白に基づいて芋づる式に逮捕・起訴されたが、無実を示すアリバイなど重要な証拠が捜査機関により隠されていたことで死刑判決から5回の裁判を経て逆転無罪で確定した」(ウィキ本文引用)
進んで密告する、または強要によって虚偽の自白をする。そして無実のものが罰される。つまり、罰されないためには、世間の流れに寸分たがわず従い続ける以外に方法はない。そんな社会が実現するかもしれない危険を孕んだ法案が、テロとかなんとかの口実をつけて作られようとしている。質問「一般人が対象になるか」政府「対象にならない」法務副大臣「一般人が捜査の対象にならないことはない」金田法相「『一般の方々』とは、組織犯罪集団と関わりがない方々と言う意味だ」(「」内本文引用)。これらを吟味していくと、金田法相の発言がとても深い意味を持っているのに気づく。「組織犯罪集団と関わりがない」かどうかが確かめられるまでは、「一般人」であるか否か判断できないという意味が含まれている・・・のでは?
ここで考える。「一般人」と判断されるまでの人々とは、どんな種類の人々が含まれるのか。簡単な話で、答弁をみればわかる通り、「一般人」と自分で思っている人たちすべてが含まれる。まさかと思っていた自分がいつのまにか疑惑の目で見られているわけだ。だれもが他者を恐れ、自分は違うことを証明するために、いつのまにか密告に加担するようになる。つまり、密告の共犯者を無尽蔵に作り出す社会。これが、この法案の指し示す未来ではないのか。だとしたらほんとうに恐ろしい話だ・・・。
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2016年12月28日

「土の記」から「東京暮色」「父ありき」へ

首相が真珠湾を訪問して「不戦の決意」を「謝罪」に踏み込まずに表明した記事が載る本日の新聞だが、23面「文芸時評」の「この土の上で 揺らぐ世界踏みこたえ立つ」に特に注目した。高村薫の「土の記」についての評論がとても印象深かったのだ。
「日本人の揺らぐ足もとを総体的に書ききった作品」「さまざまな崩れが重層的に書き進められる」「過疎地の高齢化を描いて社会の崩壊」「不倫を描いて人と人の信頼の崩壊」「定年まで勤めた大手電機メーカーの反映といまの凋落を想起させることで日本経済のきしみ」「認知症が進む。思考がとりとめもなく2転3転。脈絡もなくなる」「世界が崩れても、主人公の最後の心の拠り所は残る」「豊葦原瑞穂の国の原風景」「しかし……」「個の視点から同時代の全体性を真摯に描出する文学の可能性が今日なお開かれていると『土の記』は教える」(本文引用)
真珠湾の「不戦の誓い」に確かな手応えを感じたかと言えば不安しか残らない。言葉の底に「攻めてきたら仕方ない」という詭弁を感じる、この今に漂う危うさ。日本人の足もとの揺らぎ。「土の記」の「土」の意味するもの。「個の視点から同時代の全体性を真摯に描出する文学の可能性」がここに見えた気がした。過去、多くの先人たちがそれぞれの真摯さで「時代」と向き合い描いた力が、こうして現在も渾身の力を込めてよみがえる。それは滅びゆくかもしれないと思わせた文学がここに至って見せた、望外の希望か。
つい最近、小津安二郎の「東京暮色」を観る機会があった。12月26日当ブログ「小津映画『東京暮色』から現代をみる試み」で少し触れたが、我ながら納得できていない。また、小津映画へのいろいろな批評があるが、それにも納得できるものは少なく、「暮色」の批評でもフに落ちるものがない。そこで出会ったのが今日の「文芸時評」だった。ラスト近く母親が北海道へ旅立つ列車の車中で、娘が見送りに駆けつけることを願って車外をしきりに気にする。そこで聞こえる明治大学校歌。だが、ついに列車が動き出す気配もないまま、場面は列車と茶の間に座り込む娘の暗い背中を交錯させるに至る。
駅の時計はいまにも発車のベルを響かせそうなところで止まったまま。駅頭で応援団ががなり立てる明治大学校歌の空々しさだけが耳にこびりつく。ブログ主は、この場面はいったいなにを言いたいのだ、と首を傾げた。輿那覇潤はがなりたてる校歌を、小津の明治回帰を象徴するものと解釈するが、それなら娘は母と向き合わなくとも、たとえばプラットフォームの柱の影から見送るくらいの描き方があってもいいはず。母は(たとえどんなに細かったとしても)娘とのつながりを胸に秘めて北へ旅立つはず。列車は動くはず。小津がそうしなかったのには明確な理由がある、としか思えなかった。
そして対比的に思い浮かべたのが、「父ありき」のラストシーンだった。父が死んで後、息子と新妻は動く車中にある。父との生活を夢見て果たせなかった想いが切々と語られ、せめて新妻の家族との生活を夢見る息子の心情が示される。夜汽車が画面の隅っこに小さくなっていくとき、もとの作品ではここで「海ゆかば」が流れたという。徴兵検査で甲種合格した息子の死と、義父母とともに暮らすささやかな希望がともに否定されていく現実を、遠ざかる列車を覆う「海ゆかば」が暗示する。「土」の揺らぎが小津的に描かれた場面といえる。「東京暮色」に戻ると、列車が動かなかった理由がみえてくる。明治を謳う声の虚しさが浮かび上がる。「父ありき」は国家による家族の崩壊を暗示させ、「東京暮色」は崩壊した家族の古い拠り所はすでに意味を失っていることを示して終わる。天皇を頂点とした家父長制国家の崩壊・・・「父ありき」もまた!
片山杜秀による高村薫著「土の記」批評は、こういった表現の可能性が「今日なお開かれている」ことを教えてくれた気がした。
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2016年12月26日

小津映画「東京暮色」から現代をみる試み

返還したら米軍基地を置くのではないか、とのロシアの危惧に日本は「あり得ない」(森首相当時)、「まったくの誤解だ」(アベ首相・・・ただし11月上旬、谷内国家安全保障局長の言は「可能性はある」)。「あり得ない」や「誤解」は「可能性」を含む? 1面・2面の関連記事を読んでいて、なんとなくそんな思いが湧く。
3面に「首相の歴史認識 学者らが質問状 真珠湾訪問を前に」という記事があり、オリバー・ストーン監督や法学者のリチャード・フォークを含む内外の53人が首相あてに公開質問状を出した。危惧の一端は13年の首相国会答弁「侵略の定義は定まっていない」といったことにあるようだ。「連合国及びアジア太平洋諸国に対する戦争と、対中戦争を侵略戦争とは認めないということか」「『中国や朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争犠牲者の「慰霊」にも行く予定があるか』とも質問」「さらに日本の『侵略的行為』や『植民地支配』についての首相の歴史認識もただした」(本文引用)
おなじ3面の「『戦後』と決別 空襲は基地は 『問題なお解決していない』 『アジアへの目配りが先』」では、「首相は日米開戦の地、真珠湾をオバマ大統領と訪れることで両国の和解や強固な同盟関係をアピールし、『戦後』との決別を印象づけたい考えだ」(本文引用)とあり、記事は「『戦後』との決別」が目的と指摘している。記憶では昭和31年(1956年)だったか。経済企画庁が「もやは戦後ではない」と経済白書に書き、当時の流行語になった。
そこでさらに思い出すのが、翌年の昭和32年、小津安二郎監督の映画「東京暮色」だ。家族間の相互不信を契機とする暗い結末が、戦争の残影をバックに描かれる。これをさきごろ観て痛感したのは、「もはや戦後ではない」と世間が浮かれるのとは裏腹に、映像に定着された家族や東京の街並みが、戦争の影を重たく背負っている姿だった。
映画は、「戦後」を過去のものにしようとする試みがいま始まったことではなく、すでに2度目(または数度目)であることを思い起こさせる。アベ政権がやろうとしていることは、権力者にとって延々と続く重しである「戦後」の実態のすべてを一掃しようとする試み。その先に帝国憲法の夢よもう一度というアナクロニズムの極地が透かし見える。「東京暮色」にはささやかな抗議の色彩があったが、当時の国民は監督の感性に違和感で応じた。結果、少なくとも国内的には「戦後」は終わったという空気が主力となる。だが、試みは今回もおなじ調子で成功するか。経済白書が56年に「もはや戦後ではない」と書く時点までの戦後史を概観すると、ブログ主個人としては複雑な心境になる。
コトの発端がどこにあるかを探るのはかなり難しいが、とりあえず戦後の混乱期、共産党その他の無産政党が急速に力を伸ばしたが、朝鮮戦争勃発と53年の休戦協定締結、無産政党(なかでも共産党)の大凋落、おそらくその後じわじわ進んだ思想統制の動き、映画でいえば芸術振興と称して政府の意向が浸透し始め、映画業界が呼応して全国に映画館を急増させていったこと、エトセトラが続き、さまざまな抵抗はあれど映像表現がそこはかとない抑圧に絡めとられていったことが挙げられるのではないか。
55年の国政選挙で保守2/3を阻止するため、いまと同じ野党共闘が進み目論見が成功したのは、中間政党の力が相対的に強かったことが原因していると思う。そこからみると現在はどうか・・・。55年体勢の批判はあれどその記憶は薄く、ぎゃくに大幅な後退の中で危機が叫ばれている。この国にはまだ抵抗の文化が育っていないと言われる所以が、ここにあるような気がしてならない。
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2016年11月28日

「父ありき」小津安二郎1942年

小津安二郎は基本、好みでない。だが、このごろ彼の作品についていろいろな文章が出ており、映画好きとしては、気になることしきり。なかでも辺見庸の指摘はかなり苛烈で、違和感を禁じ得なかったりして・・・。
「父ありき」は真珠湾攻撃で始まった対米戦争の翌年の作品で、小津安二郎は中国戦線への従軍から帰還して第1作目の「戸田家の兄妹」を前年に出したばかり。おなじとき山本嘉次郎は「馬」という良品をつくったが、その翌年には有名な「ハワイマレー沖海戦」を発表。ブログ主は「戸田家」は観ていない。「馬」はシナリオを読んだ。「ハワイマレー沖」は観た。そして「父ありき」は手元にあるシナリオは読んでいたものの映像は今回が初見だった。でも、おかげでシナリオと映画を比較しながら鑑賞できた。
なぜ比較しながら観たか。「父ありき」は戦後、GHQにより戦時色の濃い部分をカットされたとモノの本に書かれていたからだ。シナリオにはないが、ラストシーンで「海ゆかば」が流れたが、これもカットされているという。長く知られておらず、ソ連崩壊後に彼の地のフィルムライブラリーから発掘され、「海ゆかば」の存在が判明したらしい。
小津は損な映像作家と言えるかもしれない。辺見庸そのほか幾人かの批評家たちが、中国戦線に兵士として参戦したのに、彼の作品にその痕跡がなにもないことに疑問を呈している。万事に控えめな表現が災いしているのだろうか。彼の記憶にある家庭がそんな位置にしか思い出を持てないのか、カメラアングルがまるで子どもの目線のように低い。そして控えめな家族の関係。閉じ込められた想いがほの見えるような人物群の所作。
たしかに彼の作品で戦争は描きにくいのかもしれない。映像で観た「父ありき」は、戦時色に染まる息苦しい時代を反映しているのかどうかもわからないほどで、ややもすると家庭内の緩やかな日常を哀切を込めて語っているだけのように見える。そこでシナリオとの対比が理解を進める上で大きな意味を発揮するのである。GHQはどこをどうカットしたか。シナリオは映画が完成されるまでに、何度も書き換えられる。だから比較したものが決定稿ではないとは思う。たしかに役者のセリフが微妙に違うのに気づく。だが、カットされたと思われる部分は、それなりに確認できる。大幅カットは漢文の授業で読む「赤壁の戦い」。ラスト近くの藤田東湖の詩吟「正気歌」。そしてラスト「海ゆかば」。その他は「徴兵検査」とか「滅私奉公」や「目下応召中、それぞれ、盛んに活躍」「武運長久を祝って」などなどのセリフ群。
映像になかった部分を頭の中で付け足してみると、奇妙なことに気づく。戦時下の緊張した公的日常と、それに抗うように存在する家族の個的日常が、見事な二重構造を示している。父は公的日常に近いところで生きながら息子を慈しみ、息子は個的日常を追い求めてやまない。息子の心根のいじましいほどの切なさが、観るものに伝わってくる。ラストの列車の場面に限らず、川でいっしょに釣りをするシーンなど、竿の動かし方にも心の通い合いを感じさせる。(まるで「リバーランズスルーイット」みたいに・・・)
そして列車内の息子と婚約者の(家族はみんな一緒がいい、などの)会話が重みを増す。そのあと列車が遠ざかっていくシーンに「海ゆかば」が流れる。このごろ海外製の反権力抵抗映画の数々を連続して観ている視点からは、小津作品にも、権力者にはわからないが抵抗する側にはわかる巧妙な表現が浮かび上がってくる。これが彼の抵抗の姿勢だったのだと改めて感じさせる。だが、元の映像を観られない現状が惜しい。それが巷で誤解を生むきっかけになっているのかもしれない。「海ゆかば」は何への鎮魂だろう。滅びゆくものへの哀惜・・・それは何か。
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2016年11月24日

映画「シテール島からの船出」83年

ネットで調べると、題名は「シテール島への船出」となっている。方向がまるで逆じゃないか、と思うが、記憶では確かに「から」であったような・・・? いろいろ調べを進めて、この映画の題名の元となった18世紀絵画があり、ほんとうは「への」じゃなくて「からの」の方が正しいんじゃないか、と書いてあるブログを見つけた。さらに探してルーブル美術館の情報サイトらしきところで「愛する男女はシテール島へ向けて舟に乗り込もうとしているところなのか、それともこの愛の島を離れるところなのだろうか。いまだにその主題が議論されている」(本文引用)という記述に出会い、なるほど、と得心。
監督テオ・アンゲロプロスはもしかしたら、どちらともとれるよう、意識してこの題名をつけたのかも・・・。それはラストで港内の浮き桟橋に放置された主役の老夫婦が、もやい綱を自ら解いて漂うままに沖へ流れていくシーンに表れているように思った。また、「シナビタリンゴ」の意味を通して読み取れるようにも思った。
物語は動乱の時代を潜り抜けて故国ギリシャへ戻ってきた老父の全人生を背景にして展開される。この監督はどうもそういった筋立てをもっぱらとする人のように見える。彼の作品で最も有名な「旅芸人の記録」はその典型で、1939年から1952年までの、激動するギリシャ政治史を背景にしている。「旅芸人」はギリシャ軍事独裁政権の最末期、厳しい監視の目を交い潜りながら製作され、75年に公開された。
同じ頃、同様の政治的背景に抗して作られた映画では、スペインのビクトル・エリセ監督による「ミツバチのささやき」があり、これも優れた作品で、フランコ軍政が始まった翌年を舞台に作られ、政権が終焉(75年)する直前(73年)に公開されている。「政府批判の検閲を逃れる方法をスペインの芸術家達は心得ていた。最も有名なのは1962年『ビリディアナ』を監督したルイス・ブニュエルである。彼らは作品に象徴化を多用し、メッセージを表面に出さないことで検閲局の審査を通していた」(wiki引用)
奇しくも「シテール島」の公開年周辺では、トルコのユルマズ・ギュネイが獄中から製作指揮した傑作「路」(82年)が公開されている。ギュネイは脱獄し、亡命先のフランスでこの映画の編集作業を続行した。この時期に集中するように、世界映画人による感嘆すべき強い抵抗があったのである。
「シテール島」に話を戻す。混乱する内戦状態のなかソビエトに亡命した父親が戻ってくる。しかし治安を乱すものとして国外追放になり、港の浮き桟橋に置き去りにされる。その少し前、老父は年老いた妻と生活した古い家へ戻り、そこが遠くなってしまった過去の残骸であることを知る。「シナビタリンゴ」とは、「40個のリンゴをあなたに捧げる」と妻に語った愛の巣の寂れた様子をみた老父の悲しいつぶやきだった。
シテール島は愛の女神アフロディーテが生まれた場所・・・。「シナビタリンゴ」からなにを想起するか。どちらにも向かわない浮き桟橋はなにを象徴するか。そこに置き去りにされ、ひとりたたずむ老父と、彼を追うように「いっしょに行きたい」(と言ったんだったかな?)と訴える妻。そして早朝、ふたりはもやい綱を解く。ここでふたりの表情がすべてを語り始める。もやい綱を解いたとき、ふたりの表情に少なくとも惜別の情を見ることはできた。しかし、悲しみや戸惑いを見出すことはできなかった・・・と、ブログ主は思う。だからこそもやの向こうへ流れ去っていくとき、さいしょ画面のこちら側を見つめていたふたりは、つぎに手を取り合ってためらうことなく浮き桟橋の流れていく先に視線を映した。シテール島から船出し、シテール島へ向かう旅に出た。ブログ主の記憶は、このラストシーンで作られたのかもしれない。
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2016年10月13日

アンジェイ・ワイダ死す

なぜか昨日の我が家購読紙から始める。1面「天声人語」にてアンジェイ・ワイダの死去を知る。「灰とダイヤモンド」「地下水道」には注目した。しかし、その他の作品で記憶しているものがない。「鉄の男」とか「大理石の男」とか「カチンの森」とかにあまり興味が持てなかった。どんな社会でも抵抗の精神は息づく。だから彼の社会主義への批判には必然性がある。しかし、社会主義ポーランド崩壊後に観たものに対する、彼の批判的視点の薄さが気になる。
否定から肯定へ。または、反政府から半政府へ。これではその後の作品が錆び付くのも無理はない。もしかしたらタルコフスキーにも同様の見方が成り立つのかもしれない。現に彼らが迎えた社会には、すでに反権力の映像群として、ネオリアリズモありヌーベルバーグありシネマベリテありアメリカンニューシネマあり、社会に対する批判精神の強烈な光が輝いていたではないか。彼らはなぜかその流れに一定近づきはしたものの、ついにそこで輝かなかったように思う。
ただし勘違いがあるかもしれないし、記事に「国家の暴力に向き合う人間を描き続けた生涯」(本文引用)ともあるし、これまであまり興味を持てなかったその他の作品を気が向いたら接してみようか、とも思った。「天声人語」で大きく共感できたのは「問題は検閲を容認するかどうかではなく、『検閲そのものを無効にしてしまうような映画を作ることなのだ!』とワイダ氏は著書で述べた。検閲は担当官が理解でき想像できる範囲にとどまり、本当の独創には及ばない」「制約や緊張が芸術を鍛えた例の一つであろう。検閲があるがゆえに観客が映画の細かいところを読み取ろうとしてくれたと、受け止めた」(本文引用)とある点だった。
これは現在、我が身が存在する場所のこととして捉え得る。いま報道が極端に萎縮する事態が起きているこの国。我が家購読紙にも影の検閲(または自主規制させる内的外的圧力)の存在を感じる。TV報道に対しても、そのように指摘する声が強い。各地で発生する災害の報道が事実とかけ離ているとする指摘が、実際の写真とともにネットに流れる。しかし、現政権が目論む最大の政治課題「改憲」に向けて、あらゆる不利な報道を排除する試みが進行しているとの見立てがどこまで正確か、確かめる方法のあまりの少なさに驚く!
したがってネットの指摘を信じていいかどうかさえ覚束ない。単なるガセではあるまいが、過大な見方かもしれない。そんな疑いを持ってしまう。そんなふうに感じさせること自体が不健全な社会の証明であるともいえる。そういえば熊本大震災のとき、震源域が南西方向へ少しずつ移動していくなかで、鹿児島県に突入しようとした時点で映像が急に途切れてしまい、震源域がさらに南下しているのか否か、一番の心配事が伝わらなくなってしまったのは記憶に新しい。批判精神が弱くなると、ものの奥に潜む真実、または無いものに気づく眼力がテキメン我が身から消え失せていく。または率先自主規制の罠にハマっていく。
関連してケッサクだったのは6面の某国営放送局会長候補資格要件5項目の記事だ。次期会長を選ぶ社内の部会で 1)政治的に中立である 2)公共放送としての使命を十分に理解している 3)人格高潔であり、説明力に優れ、広く国民から信頼を得られる 4)構想力、リーダーシップが豊かで業務遂行力がある 5)社会環境の変化、新しい時代の要請に対し、的確に対応できる経営的センスがある・・・という要件が決まったという。これにミスターモミーも候補者として入り、さらに議論に参加して年内に次期会長を決めるという超絶ミステリー!
アンジェイ・ワイダに戻って司馬遼太郎のことを思い出す。幕末を「革命」と捉えたために明治以降の視点が揺らいでしまった。ワイダもタルコフスキーも、同様の轍を踏んだのだろうか。ある種の感慨とともに思う。
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2016年10月11日

映画「路(みち)」ユルマズ・ギュネイ

たぶん30年ほど前に始めて観た。いっぺんにギュネイ監督にハマってしまい、いくつか続けて観た記憶があるが、この作品がやはり最高と思う。DVD化されていないらしく、我が家にあるVHS群のほこりを払って探したら、なんと見つけたのでさっそく鑑賞に及んだ。やっぱりすごかった。
初見のときにはよく知らなかったクルド人の状況について、世界情勢の大変化によってある程度の知識を得たせいか、以前よりはるかに判りやすかった。VHS画像はボロボロだが中身は古びていなかった。ユルマズ・ギュネイはもともとトルコの2枚目俳優で、のちに映画監督となる。すさまじい反政府抵抗歴の持ち主で、「1981年に刑務所を脱獄し、フランスに亡命。獄中のギュネイの指示をもとにシェリフ・ギョレンが演出した『路』の編集作業を行い、翌1982年に完成させる」(wiki引用)。それだけでもグッと魅かれるが、「路」は内容の鋭さとともに映像美学的にも優れており、場面展開の複雑さゆえに戸惑うところはあるものの、思想的・映像表現的水準の高さに驚くばかり。
5人の囚人たちが仮出所を許されて故郷へ向かうロードムービーだが、5人の運命は当時のトルコ軍政を背景に、それぞれ過酷な結末を迎えていく。それをほぼ同時並行的に描くが、同じような登場人物なので、ともすればストーリーが混同させられそうになる(ここのところ、しっかり区別しながら観ると、全体の見通しがよくなる)。最も印象的なのは厳しい因習によって不倫を犯した妻を、極寒の峠で凍死させなければならない男のストーリー。因習はもう一人の囚人をも襲い、彼は列車の中で妻とともに制裁を受け、射殺される。さらにもう一人の男は村の現状を知り、仮出所帰還命令を無視して刑務所へ戻るのを拒否し、クルド人抵抗組織に加わる。この男の姿は獄中で抵抗を続け、脱獄して映画を完成させたギュネイ監督の自画像のようにも思えるが、監督がそのまま自己陶酔的に自身の姿を投影させるわけもなく、これはやはりクルド人さらにすべてのトルコ人に向けたメッセージであるのだと思う。
このところお仲間といっしょに「ときどき映画会」を開催している。ちょうど先頃、アラン・レネの「去年マリエンバートで」、次にタルコフスキーの「サクリファイス」をやったばかり。そこで個人的に感じたのは、「マリエンバート」が当時のフランス政府に対するアンチの姿勢を徹底的に貫いていたのに対し、「サクリファイス」は同じように社会性のある題材を捉えながら、政治に対する鋭いアンチというより単なる材料として核戦争の恐怖を用い、作品の目的そのものは宗教の救済を描くことに主眼をおいたのではないか、ということ。それはタルコフスキーの他の作品「ストーカー」に感じた物足りなさとも共通している。
おそらくブログ主の主観は、タルコフスキーには政治に対する捩じ込むような鋭さが不足しているのを感じたのだ。「ストーカー」はまだしもソ連時代に作られているためか政治性がいくらかニオイがある。だが、「サクリファイス」は亡命先のスウェーデンで造られており、彼の限界を感じさせた。
ついでに言うと、これから映像媒体を探して観ようと思っているスペイン映画の「ミツバチのささやき」やギリシャ映画の「旅芸人の記録」などは、軍政による圧政の直下で制作されており、作中には「路」同様に圧政を突き抜ける緊迫感が漂っている。言葉は少なくとも映像全体が語っている。とりわけ「ミツバチのささやき」のラスト、深夜に幼いアナが窓を開けて精霊に呼びかけ、次に振り向いてじっと見据えるその視線に、観客はたじろがざるをえない。圧政直下で強い政治性を背負う映画は、圧倒的迫力で観客に迫ってくる。「路」はそんな作品のひとつだ。
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2016年09月30日

映画「太陽の蓋」から考える

35面に「菅氏の控訴棄却 安倍首相メルマガ訴訟」という小さな記事。東京高裁の控訴審で後藤博裁判長は、「記述された経緯は『主要な部分で真実だ』と認め」「東京地裁判決を支持して菅氏の控訴を棄却した」(本文引用)。東京の裁判ではこういう結果になるんだろうな、と思った。
ちょうど「太陽の蓋」という映画を観たばかり。そこでもこの件が語られており、全体像として説得力があったので、権力とはこういうものなんだなあと痛感させられた次第。後藤博裁判長は6月25日付け最高裁人事で、名古屋家裁所長から東京高裁部総括判事に異動。判決はそれから3カ月後のことだ。
思い出すのはつい最近あった辺野古訴訟関連の判決だ。この判決については9月18日当ブログ「おおかみに蛍がくっついて・・・」で紹介した記事中に以下の記述がある。「裁判長を務める多見谷寿郎氏(57歳、司法修習36期)は、代執行訴訟が提起されるわずか18日前に、東京地裁立川支部の部総括判事(裁判長)から慌ただしく福岡高裁那覇支部長に異動している」(本文引用)
映画「太陽の蓋」では、官邸に対する官僚や東電の非協力的なやり方がクローズアップされている。安全保安院の責任者も安全委員会委員長も適切な情報を与えず、東電に至っては、責任を取りたくない事柄だけ官邸に打診し、そのほかは社の利益を守るため社内処理で収束させようと必死の様子。各所と通じているテレビ会議の映像も、官邸と共有されてはおらず、無視の対象だった。海水注入については、原子炉が再起不能になるため、とても東電としては承服できなかった。だから官邸に派遣されていた人物が東電の意を汲んで中断を伝え、責任の所在が官邸に移ったと判断したテレビ会議が中断と決めたのであり、吉田所長はその決定を無視して注入を決断した。重大な決定のときは官邸の責任関係を引き出し、そのほかは東電の思惑を最優先するやり方で進める、企業のずるさが招いた混乱だったといえる。事故の責任を官邸に転嫁するための策が随所に滲む。
映画「太陽の蓋」では、東電に乗り込んでテレビ会議の部屋にはいった菅首相が、事故現場からの映像なども直接観られ、会話もできるようになっている設備に驚く場面がある。おそらく保安院であれ安全委員会であれ、知らなかったでは済まされない重要な設備だろう。首相が対策本部を東電に設置する決断をしたのは、この施設あればこそのことだったかと思う。すくなくとも、この施設があることによって、東電は官邸が他のルートから知ることになる建屋爆発の模様をリアルタイムで知っており、官邸には告げていなかったことが判る。官邸は他の手段ですぐに知っているはず、などの言い訳はありえない。東電は責任転嫁するとき以外に官邸と連絡することは考えていなかったのだ。
官僚は責任が生ずるような発言を控え、なにも官邸に示さなかった。あえて言えば、「さて、どうするのかね。お手並み拝見といこうか」とばかりに、後ろ手を組んで模様眺めしていたのではないか。官邸が失敗を重ねるたびに、「それみたことか」と背後で薄笑いを浮かべていたのかもしれない。「シン・ゴジラ」も観たが、官僚があれほど官邸に協力的であり、自分で判断する意志を持っていたとしたら、原発事故はこれほど莫大なものにはならなかっただろうと思うしかない。
また、事故発生がアベ政権だったらどうなっていたか、考えて思った。官僚はたぶん、自分たちを守るために管政権よりは多く、協力的だったのではないか。後ろ手で眺めていては、アベシはまともに動けず、国家の破綻が目に見えていたのではないかと・・・。官僚国家だから、官僚は官僚のために政治を動かし、企業は企業論理だけで動いた。そんなことを思う。
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2016年09月08日

映画「ストーカー」79年、ソ連

「人間の本性と欲望、信仰や愛を通じての魂の救済を描く」SFなんだそうである。冒頭で「ある地域で“何か”(隕石が墜落したとも言われる)が起こり、住民が多数犠牲になり、政府はそこを『ゾーン』と呼んで立ち入り禁止にした。しかし、ゾーンには願いが叶うという『部屋』があると噂され、厳重な警備をかいくぐって希望者を『ゾーン』に案内する『ストーカー』と呼ばれる人々がいた」と、全体を規定する言葉が語られる。ストーカーの案内で「ゾーン」にある「部屋」に向かう「科学者」と「作家」。3人は、警備する軍の監視の目をかすめて、けっこう簡単に「ゾーン」の内部へ潜入する。さて、その先はどうなるか。
「ゾーン」には予想もつかない謎の現象があり、入った者の多くが命を落としている。3人も危険な目に遭いながら、やっとのことで「部屋」の前まで辿り着く。そこで、なにやら映画の全体像を提示するような哲学的かつ道徳的かつ宗教的かつナンタラカンタラの激しい会話が行われ、「科学者」は「部屋」を爆破しようとし、「ストーカー」はそれを阻止しようと争い、「作家」は争いながら「部屋」の本質的意味を否定する。けっきょく、願いを叶える部屋へはだれも入らず、3人とも無事に「ゾーン」から戻る。
家へ戻ったストーカーは「ゾーン」への旅の意味を失い絶望に苛まれるが、家族に慰められ、「ゾーン」から連れ帰ったイヌを連れて家路をたどる。ラストシーン、足の不自由な娘に物質移動の不思議な能力があることが示される。これは希望か否か。
窓の外に広がるのは、澱んだ空気に満たされた、うそ寒い冬の河辺の風景だ。汚れた水をたたえる流れのない河の対岸には工場の煙突が見え、毒々しい煙がもくもく吐き出されている。これはどこの風景か。「ゾーン」の内か外か。「ゾーン」の「部屋」は、ここからの脱出口なのか。それとも禍々しい災いへ誘う絶望の場所か。いろんな想念が浮かぶ。そして唐突に思い浮かぶのは、「ゾーン」という場所のチマチマとした狭さ。その狭い場所を、やたら細かなルールで行ったり来たりするショウモナサ。予想もつかない謎の現象といいながら、とくに謎でもない、うすら汚い廃墟のありさま。つまり、コケオドシの迷路ともいうべき場所で、必要かどうかも判らない高尚な議論にうつつを抜かしながら、芥に汚れ、疲れきり、ついに希望なんてどうでもよくなっていく彼らの有り様。
大雑把に思い出すのはこんなストーリーだった。このところアラン・レネをいろいろ考えたり、ヌーベルバーグの流れをつらつら眺めていたこともあり、この映画を考える場合でも、先行した「去年マリエンバートで」や「気狂いピエロ」などに、多くの示唆を与えられたような気がした。監督のタルコフスキーも西欧映画に多く影響されていたというし、もともとソ連社会主義に対立的で、西欧の反体制色の濃い映画と重なる意識を持っていたのは確かなようだ。
その視点から眺めると、この作品にはソ連社会主義政権に対するアンチが色濃くあり、同時に西欧資本主義への批判も重なって見えてくる。いささか複雑なのは、彼がこのふたつの社会体制批判に、彼の宗教哲学的思考を覆いかぶせていることだろう。さらに舞台設定を考えると、謎に満ちた「ゾーン」の狭さとか、ただ汚くうらぶれているだけの魅力のなさ、命をかけた冒険ハラハラドキドキ感の欠如などが、ハリウッド映画の派手さ加減を意識して否定していることに気づかざるをえない。まるで福音派エバンゲリオンの終末思想がハリウッド的ハチャメチャを取り払って登場したような雰囲気と言おうか。ハリウッドなら、意味もなく観客を危機感あふれる映像へ引きずり込み、ラストの他愛もない結論に大きな意味を与えてしまうのだが、この映画はそれを彼流の宗教哲学で包んで観るものに提示した、それが判りにくさの源泉になったのだろうか、などと妙なことを思った。
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2016年08月28日

ゴジラが襲いくる年には

3面「日曜に想う」は「ゴジラと保守 破壊と創造」。映画「シン・ゴジラ」を扱う。「良くできた政治ドラマである。戦前と同様、根拠なき楽観論は悲劇をもたらす。だが、危機に鍛えられてこそ成長もできる。政治の影と光の両方が当分できちんと描かれていた」(本文引用)と書く。
初代ゴジラの誕生は1954年。ブログ主が小学校3年生のときだ。「水爆実験で目覚めた太古の怪獣が東京を襲う」(本文引用)。第5福竜丸の母港は我が家のすぐ近くにあったから、ビキニ水爆実験被害の騒ぎは他県よりいっそう大きなものになった。近所の大人たちが、あちこちで立ち話をし、某国営放送局がラジオドラマをやっていた。被曝した船員たちが全員丸坊主にされているのをもじって、放射能雨を浴びればハゲの頭に毛が生える、という噂が立ち、みんな雨になると大急ぎで窓から頭を出すという話。子供心になんだか馴染めなさを感じたものだった。
54年は「破壊活動防止法、電力・炭坑のスト規制法、独禁法緩和」「戦後の民主的諸改革を作り直そうとした。その仕上げの年だった」「国会は混乱を極めた」「教職員の政治的活動を禁止しその中立性を強調する『教育2法』」「自衛隊を創設する『防衛2法』が相次いで成立」「自由党の憲法調査会(岸信介会長)が改憲綱領を発表」「造船疑獄」「吉田内閣総辞職」「改憲と再軍備を掲げた鳩山一郎内閣が登場して54年は幕を閉じる」「安倍晋三首相はゴジラと同じ54年生まれである」(本文引用)
なにもかも重なるような気がする。岸信介主導の憲法調査会で改憲綱領が出るのも同様。1番館から5番館まで「ゴジラ」は延々1年以上、我が地方都市で上映され続け、観客の足は絶えなかった。今度の「シン・ゴジラ」はどんな映画で、この時代にどんな影響を与えるのだろう。以下にけっこう厳しい批評がある。主要部分を掻い摘んでみる。
「政治家や官僚の問題は宿痾のように根深い。というのも、直近では最大の国難というべきアジア太平洋戦争(1931〜1945年)においてさえ、彼らは決して目覚めもしなければ、一致団結もしなかったからである」「戦時下に本来ならば協力すべき陸海軍は、常にいがみ合い、情報を共有せず、資源を奪い合った」「同じ陸軍のなかでも、陸軍省と参謀本部が対立し、参謀本部のなかでも作戦部と情報部が対立した。もちろん、海軍のなかにも同じような対立構造があった」「陸海軍は、まさに四分五裂の状態だった。一例をあげれば、1944年10月、陸海軍は、大本営発表に「陸海軍」と書くか「海陸軍」と書くか、その順序をめぐって5時間近くも揉め続けたといわれる。米軍が日本本土に迫る危機的な状態で片言隻句にこだわっていたのである。こうしたつまらない対立の事例は枚挙にいとまがない」
「帝国日本はなかなか終戦の決断をできず、みだりに戦争を長引かせ、ふたつの原爆投下を招くにいたった。これに対し本作では、『覚醒』した政治家や官僚と、『現場』の公務員や民間人によって核ミサイル攻撃が防がれる。なんという『美しい』物語」「ただしそれは、われわれがいまだかつて一度も手にしなかった歴史でもある」「劇中に描かれる美しき挙国一致の『ニッポン』は、極彩色のキノコ」「鑑賞する分には美しいかもしれないが、それを実際に口にすればひとは死ぬ。ありもしない『底力』とやらを信じて、身の丈に合わない行動を起こし、かえって損害を被るのはもうやめたい」(本文引用)
☆「『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体〜繰り返し発露する日本人の『儚い願望』 野暮は承知であえて言う」現代ビジネス8月13日
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49434
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2016年07月18日

映画「シアタープノンペン」14年

いま岩波ホールでやっているカンボジアの映画である。ブログ主はかなりいろんな国の映画を観ているつもりだが、カンボジア映画は初めてである。ちょうど東京へ出かける用事があって、ついでに映画でも、と思って探していて見つけた一本。なんかよさそうだね、と思ったのは、新聞に出ていた短い紹介文を読んだことによる。
細かいストーリーはオフィシャルサイトの解説その他を読めば済むので、ここではあえて触れないが、大雑把に言うと、奔放な少女が40年前のポルポト時代を潜り抜けた1本の恋愛映画にまつわる物語を辿り、父母の心に宿る苦しみを知って暗黒の時代をみつめなおす。映画の失われた最終巻を探して奔走し、衝撃の事実に至り、映画のラストをカンボジアの未来を切り開くための物語としてつくりなおそうと決意。公開にこぎ着ける。
なぜ観る気になったかと言えば、いまちょうどアラン・レネの映画を続けて鑑賞し、彼が提起した問題をいろいろと考えている。そこで知ったのは、初期レネ作品に流れる強烈なテーマがとても現代的なものであり、重要な示唆を含んでいると気づいたことによる。
「24時間の情事(ヒロシマモナムール)」に示されている「あなたはヒロシマね」「君はヌヴェールだね」の関係で感じるのは、ヒロシマとヌヴェールが互いに寄り添うようになるにはまず、自身の内部にある自らのよってきたるところ、原点にあたる部分をどれだけ自己認識できるかにかかっている、ということ。自分にとってゆるがせにできない過去を放棄し完全に記憶から遠ざけておいて他者の苦悩など知りえないことを、アラン・レネは映像で指摘していた。
カンボジアの監督は、まさにそのことを実践的に示しているのではないかと、新聞記事を読んで感じたのだ。「24時間」で「あなたはヒロシマね」と男に語りかけた彼女は、自分のヌヴェールをくっきりと胸に刻んだからこそ、ヒロシマに語りかけることができたのだろう。フランス人であるがゆえに「ヒロシマ」と言えず、「イロシマ」と発音するしかできない。それでも、彼女は必死に「ヒロシマ」と呼ぼうとする。それも彼女の歩みの始まりを示していたと言える。
「シアタープノンペン」を通して、この映画の監督は自らの内部にある「カンボジア」をしっかり捉えようと試みた。映画の主人公たちに語らせ、カンボジア人に覚醒を促そうとした。いや、世界に向かって「24時間」の語りかけに似た発信をしようと試みた。ブログ主は、映画の背景にそんな意図を感じ、過剰に感情移入したらしく、最後には目頭が熱くなってしまったほどだったのだ。
映画のラストでポルポト時代以前に生存していた、しかし殺された多くのカンボジア映画人の写真が次々に映し出されたときには、とりわけ涙腺が故障したかと思うほどの状態になってしまったのだった。館内にも鼻をすする音とかが聞こえていたから、かなりの観客が感極まっていたのかもしれない。そうだろうなあと思いつつ、同行した我が家人に「なかなかよかったね」と語りかけたら、「うーん、退屈だった」という返事。「人それぞれだね。もしかしてアラン・レネに傾注しすぎたせいかな」などと頭を掻いたのだった。
たしかに感情移入するには、まだ自分自身の用意がない。とりわけ、「あなたはカンボジアだね」と自分がこの映画に向かって語りかけられるか、カンボジアから「あなたは〇〇ね」と語りかけられるほど、自分は確固とした何かを持っているか、と自問する。
自分は内部に定着するものをなにも持っていない、ただのデラシネではないか。感動して涙するのは早過ぎる。自己認識において「これこそ揺るぎない自分の根っこだ」と語れるものを確保してこそ、涙の川を渡って他者と結び合えるのだろう、とつくづく思った。
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2016年07月14日

映画「24時間の情事」仏日59年

じつはこの映画、封切り時には観ていない。題名がこんなだったので、看板屋家業で週1回以上は観ないと気が済まない映画狂の我が家でも、父母と小中高生の我ら家族5人、教育上よくないかもしれないとして、敬遠せざるを得なかったようだ。
その後もずっと縁がなく、学生時代にシナリオを読んだが意味不明で終了。かなり後に観た映像では居眠りこいて、ちゃんと鑑賞したのはつい数日前のことだった。うーん、しっかり観たいとは思っていたが、以前だったらどれだけ理解できたやら。ほぼ意味不明だったろうな、というのが直近の感想。
冒頭、抱き合う二人の背中が映る。砂のようなものが降り積もっている。「君はヒロシマをみていない」といったセリフが場面から聞こえてくるが意味不明。抱き合っているあいだに砂はキラキラときらめき始め、次第に汗となり、それも消えて普通の素肌に変わっていく。なるほど、こうしてふたりの心象風景が、砂から続く変化で象徴的に表現されていくわけか、と気づく。
「ヒロシマ」についての会話は噛み合わず、彼女が感じたヒロシマの姿も、空虚なハリボテに過ぎない。それゆえ男はヒロシマに対する彼女の接し方を「感情移入」ととらえ、女は「認識する」と表現する。言葉のすれ違いは時を追って深くなっていく。なぜすれ違うのか、男にも女にもわからないまま、ふたりは次第に心魅かれていく。
あとから考えるとそんな感じ。それも、いまだから見えた流れであり、以前だったらそれも捕捉できたかどうか。男は女の「認識」の深層に分け入っていく。彼女の故郷ヌヴェールについて問い続ける。女は記憶から追い出していた過去を次第に思い出し、深いところで心魅かれたヒロシマへの、自身のかかわり方を意識の表層にとり戻していく。
ドイツ兵を愛したが、パリ解放とともに愛人は殺され、女はリンチを受ける。長い幽閉のあと、パリへ出て新しい生活を始め、彼女は愛の記憶を封印する。記憶は失われたかに見えたが、ヒロシマでその痕跡がよみがえり、男によって封印を解かれる。なるほど、そういう筋書きだね、というのはこれを纏めているさなかに改めて思ったことだった。
明日はフランスへ帰らなければならない。しかし、つながりかけたふたりの想いは、容易なことでは切り離せなくなっている。思い悩み、離れ難くヒロシマを彷徨い、遠ざかったと思えばまた寄り添う。
イジイジしてるなあ、と思いたくなるが、これは彼と彼女自身の認識の深まりと、深まった自己認識をよすがとして、互いの存在の認識に至るまでに必要な、長い道程だったのだろう。「感情移入」で飛び越えられるものではないし、個々の「認識」の接触だけでも超えられない。存在と存在のあいだにある深く暗い溝を越えるための、思考の重たい過程を意味する。互いが自分自身を通して相手を認識するためには必要な時間だった。
ラスト、女は「あなたはヒロシマね」と彼に語りかけ、男は「君はヌヴェールだね」と彼女に応える。ここでふたりの記憶は重なり合う。互いの記憶を、忘却の恐怖を物語るものとして思い出す。忘れてはいけないことだった。記憶するために支え合っていなければならないことだった。そこにふたりが存在し合う意味があった。
この前後に、「また会えるかしら」と彼女が問い、「会えるさ。また戦争があればね」と彼が応える。たしかそんな会話があったと思う。また戦争があればおなじことが繰り返され、傷つき、忘れ、思い出し、また別れていくふたりがいる、という意味か。ふと、そんなふうに思った。「夜と霧」から始まったこの物語はアラン・レネによってさらに深められ、「去年マリエンバートで」に続き「戦争は終わった」へと引き継がれていく。
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