2009年10月05日

バラックの日々

<読書とずれてきたけれどいちおう「読書」>

そうだ、いまにして思えば、日常のちょっとした変化にいちいち喜んでいたなあ。隣の家と比較するなんて頭はまるでなかった。
向こう3軒両隣は大きな家だった。あそびにいっても汚いといって畳にあげてもらえないこともあった。台所は特に進入禁止の場所であった。強い反発心を持ったこともしばしばだった。
だがたぶん、そこはジージの住んでいるところとは別の世界なんだと、奇妙に割り切っていた。のちに思ったのは、隣近所との格差に目を奪われていたら、その原因を親に転嫁して心をねじれさせてしまい、おそらく終生その観念から抜けられなくなっていたに違いない、ということ。
それゆえ、いまは、比較しない生活でいてよかったなあと思うのである。親のせいにして不幸がるという気休めに溺れなくてよかったなあと思う。
ひるがえって現代、貧困というものが次第に身近に押し寄せてこようとしている。いつかそのあたりについて考えてみたいと思っている。でも、ジージの時代といまの違うところは、貧困層がじわじわと増えつつあるということだろう。
ジージの時代にも格差の拡大はあった。取り残される家庭は無数にあった。
「夕凪の街」の人々のように原爆によって、またはそのほかのことによって、肉体的、精神的、社会的に過酷な運命を担わされた人々は多い。彼らは過酷な生き方を強いられた。
そのことを無視してその時代を語ることは出来ないと思う。ぼろぼろと無数の取りこぼしを置き去りにしつつ時代は変わっていったのだと思う。
が、それでもとにかく、全体としては少しずつ底上げしていく希望があった。それは、戦争という最低最悪の出来事が敗北によって終わったことと無関係ではないと思う。
いまはその逆である。頑張ってもなかなか思うようにいかず、だんだん貧困層が増えていく時代。希望よりも不安のほうが圧倒的力となって押し寄せてくる時代。最低最悪の時代が近づきつつあり、社会の底が大音響とともに陥没しかかっている時代である。
切り捨てられ、取りこぼされ、置き去りにされる人々がどんどん増えていく時代。その意味で、いまはほんとうに夢のない時代になってしまったなあと思う。
原因を考えないといけない。解決の方法を自分で見つけないといけないと思う。そして身近の誰かのせいにして自己満足しているのではなく、自分の力で解決に向かって進んでいかなければならないと思う。(この「自分」とは、自分ひとりだけで、という意味じゃないんだが)
でないと、けっきょく流されていくだけである。取り残されていくだけである。抜け駆けでなく、全体が底上げされていくやり方を探りたい。
ジージは無謀にも、自分ひとりでもいいからそういうことを考えていたい、と思っているのである。

本日は舌足らずな文章になってしまった。ともあれこのくらいで・・・。
ラベル:格差 置き去り
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2009年10月03日

バラックの家から出発進行ーーー!

なにもかも「夕凪の街」とおんなじだ、などというつもりはない。ジージの家の場合は「夕凪の街」みたいに肉体的、精神的、社会的に過酷きわまりない運命に弄ばれたわけではないのである。
彼らを襲った過酷さは、生存そのものに関わる過酷さだった。ジージの家の場合は、生活の立ち直りが、先行する大多数の家庭よりもいくらか遅くなった、というだけのことである。そういうことを前提として、バラックの家の記憶を、もう少しだけ辿ってみたい。こういう家も、この国にはたくさんあったという話。

畳がはいったのはいつだったかなあ。すくなくとも、小学校2年生のときは畳ではなかったと記憶している。それじゃあなんだったんだろう。竹を細くして編んだような感じのものだったんではなかろうか。いやあ、竹みたいに高級なものであるはずがないと思うんだけど。
もしかして、河原に生えている葦という丈の高い草の茎を束ねたものかもしれない。たぶんそうだと思う。すぐ、ぱりぱりぽろぽろになったんだから。
初めて家に畳がはいったとき、やっぱりジージはうれしくて、畳の上でぴょんぴょん飛び跳ねたり、寝転んで畳の匂いを嗅いだりしたものだった。
いったい父は、そういう古材をどこから仕入れてきたんだろう。よくわからないが、知り合いの大工さんが新築工事を請け負ったときハンパ仕事を手伝って、古屋の解体で余ったものをもらってきたんだと思う。
ある日、自転車の後ろにリヤカーをくっつけて、その上に畳をいっぱい載せて帰ってきたのだ。
「うわあ、なにそれ」
なんて言いながら、家族全員でリヤカーを取り囲み、わっせわっせと大騒ぎで家の中へ運んだものだった。
風呂桶もそんなふうにして入手した。ある日とつぜん、父がリヤカーに積んで持ち帰ったもので、これも家族みんなで、大喜びしたっけな。
ドラム缶はどうなったのか。そのあたり記憶にない。しばらくは家のどこかにおいてあったように思うのだが、いつのまにか消えていた。
トタン板のバラックが木の家になったのはいつ頃だっただろう。小学校高学年のときだったと思う。
これも父が時間をかけて古材を集めてきて、床下に貯めておき、たっぷり貯まった頃合いを見計らって、自分で建てはじめたのだ。
うれしかったなあ。屋根の裏側丸見えの状態から、天井というものがある家に変わったのだ。なんだか高級な家に住んでいるような気がした。
屋根はやっぱりトタン板だったけれど、天井があるぶん、雨の音がずいぶん遠くなった。お天道さまの光が差し込んでこなくなった。やっぱりすごくうれしくて、ジージはぴょんぴょん飛び跳ねてしまったものだった。
けっきょくトタンのバラックから木のバラックになっただけなんだけどね、いまにして思えば・・・。

といことで、この件は次回に続く。
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2009年10月01日

バラックの家というやつ ・・・「夕凪の街」との関連

こうの史代「夕凪の街」を見ていてふと思い出した。「あっ、これはジージが住んでいた家と同じだ」ってね。
ジージが生まれたのは敗戦の年。生まれた家はたたみ2枚ほどの広さで、地べたにむしろを敷いただけの、バラックともいえないシロモノだった。
廃材を拾ってきて柱にし、四方をむしろ掛けしただけだったというし、トイレは家の外に穴を掘り、これも周囲をむしろで囲っただけであったという話。
ただし、その家についてはジージは記憶していない。1歳を過ぎた頃には引っ越していたからだ。
でも、次に住んだところは、けっこうはっきりと憶えている。畳6枚ほどの広さの家だったから、「夕凪の街」と同じで、炊事は家の裏の空き地に七輪を出してやっていた。
風呂はやはり裏の空き地でドラム缶の露天風呂。水を入れるのはガチャコンポンプでジージたち子供の役目だった。石ころを積んで隙間を作ったドラム缶の下で火を燃やし、湯を沸かした。
水の入れ替えは凄まじかったなあ。まだ30代半ばで若かった父が両手でエイヤッとばかりにドラム缶をひっくり返し、ドザアーッとあたりにあふれさせた。床下や裏の空き地が水浸しになったって気にするもんじゃなかったな。
家の壁は拾ってきたトタン板。栄養不良でやせっぽちのジージの腕より細い木を張り巡らし、ジージの足くらい(いまのじゃないよ、当時のだよ)の太さしかない柱で屋根を支えていたっけ。
といっても、屋根は竹の桟に杉の皮を打ち付けただけだから、ちょっと強い風が吹いたら吹っ飛んでしまいそうなシロモノだった。雨のあと、「夕凪の街」みたいに、父が屋根に昇って雨漏りの修理をしていたのを憶えている。
そのとき、なにしろ杉皮葺きだから、ズボッてな具合に穴があき、父の足がにゅうっと天井から突き出てきたっけなあ。雨漏り修理のつもりだったのが、かえって大きな穴をこしらえてしまったというオソマツ。
だいたい杉皮には節穴が開いているものだ。そこはどうしたって雨が漏ることになっている。ジージたちは、父の足を見てみんなで大笑いしていたっけな。
「屋根には昇るなよ。穴があいて、落っこちるからな」
父は真面目な顔をして、ジージたちに注意したものだった。
屋根がトタン板になったのはずいぶんあとのことだったような気がする。どこからか古いトタン板を集めてきて、父がトンテンカンと打ち付けていたっけ。
トタン板の屋根が出来上がったあと、ジージはうれしくて、さっそく屋根に昇った。そのとき父は、
「釘があるところを選んで歩け。それ以外のところはトタンしかないから」
と注意した。ようするに、室内から見上げたら、そこには天井というものがなく、ひたすらまっすぐに(屋根の裏側である)トタン板が見えていたというわけ。
我が家は壁も屋根も、むき出しのトタン板で囲まれていたのだ。雨のときのうるさいことといったらなかった。まるで凄腕のドラマーが、しゃかりきに頑張ってドラムを叩いているみたいだった。

と、続きはあした。

こんな調子でこの一ヶ月間、毎日書いてきたが、それは疲れる。おまけに、いつかはネタが切れる。というわけで、そろそろ間を空けてのんびりやる方向に切り替えていこうと思う。そのほうがいいね、と我ながら思う次第。
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2009年09月27日

「西の魔女が死んだ」で考えた

へそ曲がりジージが斜めに考える・・・2回連載の2
「西の魔女が死んだ」においては、死にかかわる醜悪な存在すべてが、主人公の前に立ちはだかっている超えがたい深淵の向こうに、いまもまだ厳としてあるのではないか。そんなふうにジージは思った。
いや、百歩譲って考えても、ラストにおいて主人公がそれら全部を確実なものとして身のうちに捉えるまでには、まだとてつもない距離があるのではないか、と、そのように感じざるを得ないのである。
ここに、作者の実存的な世界観を見ることができるような気がする。本来は醜悪なものとしてあるがままに捉えねばならない存在を美しいもので統一してみせる、そのようななかに、無限の現実肯定、180度ひるがえって醜悪な現実の全拒否、またそれによってもたらされる虚無、そういった概念を固定しようという、無意識の操作が見てとれるように思うのである。
作品のラストで、取り残されてしまった醜悪な存在の群れを的確に処理していたら、もしかしたらこの作品はたぶんに自立的な力強さを帯びた作品になったかも知れない。いや、もともとそのような設定は作者のなかにはなかったのだから、そんな仮定は無理なものなのだ、とも思う。
死の一側面としての醜悪さを遠ざけ、死と不可避的につながった生の美しさを描こうとしたとき、じつは作者は意図せずに死を遠ざけていたのではないか。
現実に対する確固とした向き合い方を求めたとしたら、この作品はこれほどまでに読まれることはなかっただろう。内向きに閉じていく世界での生の再生を描いているからこそ、これだけの読者を獲得したともいえる。
死はどこから見ても醜悪なものである。ときに人間そのものが作り出す醜悪さでもある。それを遠ざけておくには必然的に内向きに閉じていかざるを得ない。
作者の世界観は、もとから家庭内調和を基本とするものであった。その限りにおいてこの作品は確かに成功を収めていると言えるのではないか。ジージはとりあえずそんなふうに思った。
そして、だがどうだろう、という疑問が頭をもたげてきたのだ。それではこの作品が時代の空気の一部を反映したものでは有り得たとしても、時代を創造する気鋭に満ちたものではなかったこと、作品の限界を示しているに過ぎない、ということにならないか。
この作者の力量なら、また最初の設定がもう一歩進んだものであったなら、確実に後者の要素を持った作品を生み出す可能性があったのに、そのあたりもったいなかったと言わざるを得ない。
いや、彼女の作品がここまで到達したということは、さらにその先へと続く作品が、またどこかから現われる可能性を示しているのかも知れない。
そうだとしたら、日本文学もまだまだ捨てたものではない、と思ったりするのである。したがって「西の魔女が死んだ」は、ふたつの道の分かれ目にある、貴重な作品ということになるだろうか。
それにしても、実存的な試みが、この作品に隠されていたとは、おそらく作者自身も気がつかないことではあろう。
思想性とはもともとそう言うものだ。理論のようにこね回し工夫されて外部注入的に表現されるものではなく、個人の来し方行く末にわたる経験のすべてが、個人の内部に形成する想い、理念の総体が思想性というものだと思う。
読み手の多くは作品に表れた作者の思想に触れて、感覚的にせよ論理的にせよ、その思想性のエキスを汲み取り、ときには共感し、ときには感動するのである。
この作品は、そのような意味を理解するひとつの参考書になったという点でもおもしろいものだった、と言わせてもらうことにしようと思う。
とまあ、本日はとても疲れちまった。ここまで書くのでもすでに、ジージの論理能力をはるかに超えてしまっている。
頭がぼやぼやに疲れてきた。まあ、これくらいがいまのジージの力の限界、関の山というところ。
とても人気があって、なにはともあれいろんな評論が書かれているのだから、そんなのとはチョビッと違う視点の批評があってもいいか、という軽い気持ちで書いてしまった暴論である。許してちょ〜!
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2009年09月26日

2回連載の1 「西の魔女が死んだ」について・・こういう見方は?

あの小説はなんていう題名だっけ。カミュだかサルトルだかの作品で、主人公が道ばたの木の切り株を見てその醜さに気づき、激しく嘔吐するやつ。
あ、そうだ。「嘔吐」というんだった。あれは、サルトルの小説だったかな。いやなんとも若き日々は遠き日々になってしまった。ここまで思い出すのにずいぶん時間がかかったのだから。
醜くねじくれた切り株に、主人公は実存を見たっていうわけ。で、どうだっていうのそれが。
サルトルが実存主義について書いた本で「存在と無」というのがある。存在と存在とのあいだには果てしない無の深淵がある、ということをやたら難しい言い回しで書いていたっけな。ジージには一知半解。
醜くねじくれた切り株というのは、関わりを持たなかった互いの存在が無の深淵を超えて関わりあった一瞬を示していた、のだったかな。そして、あまりの醜悪さに気がついて、主人公は嘔吐してしまった。
そう言うことだったと思う。違っていたらごめんなさい。なにしろいまは、この本が我が家の書庫のどこにあるのかわからなくなっているんで、確かめようがない。当らずとも遠からず。ま、そんなもんでしょう。
なんでそれを思い出したかと言うと「西の魔女が死んだ」で感じていた、作品に対する奇妙な距離感を、家の窓から庭の樹木を眺めていて思い出したからだ。あ、もしかしたら、この小説の設定は「嘔吐」と一緒じゃないのかな、と。
「存在と無」の概念を「生と死」の概念に通じるものとして考える。生と死のあいだにある無の深淵を超えて、生者が死について認識する。
それを媒介するものはなんであったか。「西の魔女」の場合は日常的なあれこれの小物であったり、おばあさんの存在であったり、となりの家の醜悪なおっさんであったり、原っぱの穴ポコであったりするのだが、それら少女にとって異様と感じられるものや近寄りがたい醜悪な存在が、遠ざけながらなおも主人公に避けられない圧迫感を持ってにじり寄ってくる。
「西」の主人公は「嘔吐」の主人公よりも激しく、処女の過激な潔癖感でそれらのものを忌避し、あくまで遠ざけようとした・・・のかもしれない。それをついにつなげてしまうのが、おばあさんというわけだ。
西の魔女は自らの死によって、生と死のあいだに横たわる超えがたい深淵を、主人公の少女が飛び越える(新しい認識に至る)橋渡しをするってわけで。
「嘔吐」の場合には、深淵を超えたところに存在したものは、日常的まなざしで向き合っているときにはそれと認識できなかった、対象の醜悪さだった。しかし、「西の魔女が死んだ」においては、醜悪さを表すものは対象とのあいだにあって、それの認識をあるときには妨げもするもろもろの現実存在であったといえないか。
それらは実のところ、はじめから自分の周囲にあった対象の一側面を表現しているものであったのだが、少女の過剰な潔癖感がそれを否定させ、遠ざけていたのではないか。
おばあさんはだから対象である「死」のもうひとつの側面を彼女に示そうとした、と見ることができるのではないか、なんてことを、ジージはふと思ったのだ。
もうひとつの側面とはもちろん、死の美しさなどではない。たぶん、死と不可避的につながった生の美しさだろう。いや、できればそういうふうに作者は表現したかったのではないかと思う。
問題は作者のそのような設定が、作品においてうまく機能したかどうかである。それを実証するのは、おばあさん以外の媒介物の最終的な処理がどうなったかにかかっているのだと、ジージは思う。
隣の醜悪なおっさんや原っぱの穴ポコは、死とつながった生の存在感の前でどのように変化していったか。それらは美しさを取り戻した生の側にもどって、同じように美しくなったであろうか。
それとも醜悪な死の側面を象徴するものとして、けっきょくは美しい生の存在感に押しのけられ、遠ざけられてしまっただろうか。
ジージが感じた違和感の行き着く先は、ラストのガラス窓のかすかな感触である。実際のところ、その場面では、おばあさんの存在はあまりにもおぼろげで、かつ危なげで、それほど確固とした感触を与えられていないように思う。
そして、そのあまりにもかすかな感触の向こうに、それまで醜悪なものとして認識してきたものたちの醜悪なままの存在感が、厳然として残っているように見えて仕方ないのである。

というところで、続きはあした。
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2009年09月25日

原爆小説名作選「何とも知れない未来に」 所収・山代 巴「或るとむらい」

これは集英社文庫「何とも知れない未来に」に納められた一編である。この作品を読んだとき、ジージは被爆者のその後の過酷な運命にわずかであるが触れた気がして、戦慄を覚えたものだった。
こうの史代「夕凪の街」で、原爆スラムからの立ち退きを迫られる中、時代の変遷に取り残されながらなお、なにゆえ住人たちは強制立ち退き反対を叫んだのか、詳しい事情はわからないものの、(決して全体ではないが)その一部をこの小説から感じることができたような気がした。それで、ずいぶん前に読んだものを本箱から探し出して再読したのである。
作品はそれほど長いものではない。初出は昭和26年12月とある。ストーリーをかいつまんで書くと以下の通りである。
************
被爆してすべてを失った祖母、母、娘の3人が荷車をひいて村へやってくる。炭屋をやっていたのだが、ピカで店も亭主も婿もみんな灰になってしまったのだという。
古い藁屋の納戸に住み、組にはいり、寄り合いや勤めごとへも参加して暮らしはじめる。しかし、些細なことからすれ違いが生じ、祖母はピカババーと呼ばれて蔑まれる。
祖母が死んで葬式を出すことになるが、誰もが面倒がって労役に出たがらない。それでも近隣にメンツが立たないと、ようやく数人がしかたなしに労役に出ることになり、そうなると準備はてきぱきと進んでいく。
準備といっても、主として酒食の宴を張るための準備のようなものである。喪主である母親から金をせびり、たっぷり過ぎるほどの食膳の準備を整え出すとそのとたん、メシにありつこうと人々が集まり出し、寄ってたかっておこぼれをむしり取っていく。
わずかにやってきた親戚数人と母娘と坊さんでお斎の膳を囲むが、それに出される品々は準備されたはずのものとはくらべものにならないほどみすぼらしい。
棺は読経が終わらないうちに勝手に運び出され、喪主の母親はあわてて走って後を追う始末。焼き場から戻るとただちに銭金勘定に移る。そしてさらに酒宴が始まる。なんとそこで出される膳のものは、先ほどのお斎の膳とはうってかわって豪華だ。
台所担当の主婦たちもむさぼるように余り物にかぶりつく。喪主である母親は、いっしょうけんめい酒宴の酌をしてまわる。
酒宴さ中、村役が墓を貸さないと切り出し、親戚は渋面となりそそくさと帰っていく。焼き場ではまだじゅうぶんに焼けたかどうかわからない仏が残されたままだが、夜が更けて酒宴が終わると村人はみんな帰ってしまい葬式の後始末をするものは誰もいなくなる。
深夜、母親はたったひとりで焼き場に出かけて、仏の焼け具合を確かめないといけない。
********
長々と書いたが、作品ではこれらがまことにリアルに描かれていて、やり切れなさで胸がいっぱいになる。そうなのか、こういう背景があったのか、という気持ちにさせられる。
そしてすぐ、これはこの国のどこにでもある風景なのだ、と思いつく。大都会の一部を除いてそれなりの濃淡はあったとしても、いまでも厳然として存在し、人々の日常に陰に陽に関わってくるやっかいなシロモノたちである。
被爆によって肉体的に、精神的に、社会的に凄まじいダメージを受け、こういうふうにして生きることを強いられた人たちがいた。そして、たぶんいまも、これからも、ともすればこういうふうに生きなければならない人たちを拡大再生産してしまう風土がこの国にある。
ジージにはそのことがつらかった。どうしたら、これを克服していけるんだろう。よく考えるとまだ誰もその答えを出せていないのかもしれない、という気にさせられた。いや、どこかに糸口はあるはずだ、とささやく声もどこからか聞こえた。
この小説の場合、封建制にまみれた農村社会にあって、みずからもその汚濁にどっぷりつかりながら、もっとも底辺におとしめられている存在、つまり女性たちの中に、わずかな救いが描かれている。
もちろんラストの描写はそれがいまだ萌芽にも至っていないことを暗示していっそう切ないのであるが・・・。
「それは不幸なものを焼いた煙なのだが、アサ代の心には、今夜の喪主が焼き場の半焼を見にいく時、一緒にいってやろうという親切もまだ湧いては来なかった。」
おそらく、このような状況もまた、現在のこの国の実像に一致するのではないか、とジージはあえて思ったりするのである。
原爆スラムは昭和52年に消滅し、いまは緑地になっているという。「夕凪の街」の70ページにその変化が描かれている。
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2009年09月24日

こうの史代「桜の国」の作品世界

連載の3 物語は積み重なりながら進む
「桜の国」の主人公たちは昭和60年代の東京の住人である。マンションの2階に住んでおり、表札によれば石川旭(父)、七波、凪生、平野フジミの4人暮らしである。平野フジミは皆実の母親の名前であり、なぜか皆実の名はない。
どうなってんのと思いつつ読んでいくと、広島へ出かけた父親の後を追って七波が墓地で見たのは、なんと皆実の名も刻まれている墓標であった。と、これは「桜の国」(二)でわかることである。(ようするに迂闊なジージは、ここまで読まないと皆実が死んでいることに気づけなかったのだ。ドジ!)
ともあれ墓碑銘によれば、皆実は昭和30年9月8日に死んでいる。つまり、打越さんとの結婚はならなかったのだ。
ジージは自分の迂闊さに愛想を尽かしそうである。そういえばそれなりに暗示する場面はあったじゃないか。これ、どういう意味かなあ、という不可解なシーンが・・・。
それは「夕凪の街」のラスト近くで真っ白な意識の中で続くモノローグの場面である。そのあと皆実は死に、打越さんは失意のうちに堤防にたたずんでいたのだった。
「ひどいなあ/てっきりわたしは/死なずにすんだ人/かと思ったのに」
畳のうえにのばされた手ににぎられているハンカチ。
「いまのハンカチ/返さんのよ?」
と、打越さんに問われて、皆実は、
「うん・・・/ありがとう」
と、応えたのだ。そのハンカチを握りしめて皆実が死んだのは、ようやく心が通じ合えたと信じたわずか1ヶ月後のことである。
そうだったのか。どうしてオイラは迂闊なんだろう。ジージは反省しきりであった。
「夕凪の街」の白紙一枚隔てた次のページにあった、バラックでの母娘の幸せな風景は現実ではなかった。皆実の遠くなる意識のなかに刻まれた夢みる日々のイメージであった。
そうなのか〜。ジージ、絶句! まあ、巻末解説で、作者が「説明不足でした」と書いてくれてるんだけどね。

さて、話を表札に戻すと、石川旭は皆実の弟であることがわかる。皆実が死んで一人暮らしとなった母親フジミの元に、大学生となって戻ってきたのである。
そして、そこで結婚した人とはまたも死別。おー、ややこしい、と思いつつ感じるのである。
原爆は「何度夕凪が/終わっても/終わっていません」ということなのだ。いつまでもとめどなく人間を蝕み続ける。
いや、「桜の国」(一)で登場した七波の姿が、超えていく世代の存在を暗示しているのではないか、とジージは思う。
ラスト、父親との会話が染みてくる。
「今年は父さんの/いちばんあとまで/生きてた姉ちゃんの/50回忌でな」「それで姉ちゃんの/知り合いに会って/昔話を聞かせて/貰ってたんだよ」「七波はその/姉ちゃんに/似ている気が/するよ」
その父の言葉を聞く七波の目は、厳しくまっすぐに事実を見つめようとする目である。

追加で言うと、解説によれば、原爆ドームは昭和41年に保存が決まったと書いてある。つまり、ジージが鉄柵をつかんで覗き込んだものは、廃墟のまま打ち捨てられようとしていた、崩壊しつつある建物だったということになる。鉄柵は保護するためにではなく、危険だから立ち入り禁止とする、そういう目的のためにあったのだろう。
なんとなく裏寂れた雰囲気であったと感じたのは、ジージの感傷だけではなくて、事実そこがいまにも崩れ落ちそうな場所であったことを示していたのだ。そういえば、そんな看板がかかっていたような気もするが・・・。
関連すれば、原爆スラム「相生通り」にあった「立ち退き絶対反対」の張り紙は、昭和30年にはすでに、街が消滅の危機にさらされていたことを明かしているわけだ。
父親が広島の街を歩く。それは立ち退きのあと、あちこちにちらばった人たちの足跡を訪ねる旅であった。そして最後に出会った老人とは、スラムのあったその場所で話し、食事をして別れるのである。
そこまで考えたとき、なんでか知らないが、ジージの胸がちょびっと熱くなるのを感じたのだった。そして、描かれた一コマ一コマにそれぞれの人々の人生を感じて、小さくて見えにくい彼らの表情を、食い入るように見つめてしまったのだ。
そして、このようにして市井の中でしっかりと過去を踏まえて立ち、連綿と生きていく意志を持った人たちがいる、それがこの国「桜の国」の底を流れる力なのだと、声高にではなく語りかける言葉が、この作品からにじみ出てくるのを、ジージはじっくり感じさせてもらったのであった。
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2009年09月23日

こうの史代「夕凪の街」の世界

連載の2 終わりのない物語
昼過ぎの事務所で女性職員が洋裁の仕上げをしている。夏なのか、みんな半袖。そのなかでひとり、平野皆実だけは長袖のまま。というのは2度目に読むとわかるけれど、はじめのうちはぜんぜん気がつかない。
作っているのはノースリーブのワンピースである。一着できあがって、型紙を渡された皆実は、ノースリーブの肩口を見て、「うちはええよ」と遠慮する。これも、2度見てようやくわかる微妙な心理表現で、ジージのニブさかげん露呈の図。
弁当をつつんでいた竹の皮をもらって帰ることの意味も、街をてくてくと歩く道すがら、原水爆禁止世界大会の立て看板がさりげなく登場するのも、どういう道具立てなのかまるで感じないまま、ジージはすらすらと読み進んでいく。
皆実はなんとなくタテカンに対し、斜交いに背を向けているようだ。靴を途中で脱ぎ、川沿いの路地へはいっていく。街の風景がいっぺんにかわり、バラック建ての家々の並ぶ界隈へと移る。
ここにきてようやく、作者の緻密な計算が作品の隅々に張り巡らされていることを、ジージは感じるのである。表通りの喧噪や整いつつある町並みと対比されるように、バラックの町並みは雑然としている。
原水爆禁止のタテカンはなく、そのかわりに立ち退き反対の張り紙が目立つ。そしてよく見れば、電柱の到達するところも、入り口までらしく、電線はそこですっぽりと切れている。
もちろんどこからか屋内に配線はされているらしい。皆実の家でも、裸電球がひとつ灯っている。ちゃぶ台のうえにハガキが一枚。
雨漏り、屋根修理、打越さんの訪問、「ヨメさん」という言葉への反応。みんな予定された一点へ集中していくための伏線である。それらは銭湯の場面でひとつのまとまりに絞り上げられる。
「ぜんたいに/この町の人は/不自然だ/誰もあのことを言わない」
幸せに見える家庭の風景にも、その向こうに誰も触れようとしない「あのこと」がパックリと暗い口をあけて覗いている。そのことをみんな知っている。
「あのこと」の向こうへ抜けていこうとすると、無数の無惨な死が自分を押しつつみ、お前のいる世界はそちらではない、お前はこちらの存在だ、と耳元に呼びかける。
それを越えてようやくつかむ自分自身。打越さんから打越氏になった彼に「おまえ」と呼ばれ、ようやく全身から力が抜けていく。安心して存在できる場所を見つけ、そこで感じた脱力感。
ラスト、第1回原水爆禁止世界大会が終わって、破れたビラが風に流されていく。だが、大集会は終わっても、彼らの物語には終わりはない。あとでわかるのだが、皆実はそのおよそ1ヶ月後、死ぬ。そして、
「このお話は/まだ終わりません/何度夕凪が終わっても/終わっていません」
空白のページを置いて、つぎに描かれているのは、母となった皆実が幼子の髪を解くシーンである。それは皆実の、果たされなかったささやかな願いである。

ジージは「3丁目の夕日」の世界が好きではなかった。なぜなら、そこに描かれた平和な古き良き時代の雰囲気というやつが、とてつもなく嘘っぽくて、やりきれないものを感じたからだ。
なにが嘘っぽかったのだろう。その答えがこの漫画にあったような気がする。昔そこになにかがあって、いま生きている人たちの中にまちがいなくなにかを残していったのに、そんなのなんにもなかったみたいに捨て去って顧みようとしなかった。そういう時代があった。そういう時代こそ、「3丁目の夕日」の世界であった、とジージには思えてならないのである。
打ち捨てられて生きざるを得なかったものたちは、自分でそこから抜け出す算段をしなければならなかった。ともすれば負けそうになる気持ちをなんとか支え、ちょっとずつでいいから、幸せの種を育てていった。
そういう人たちが生きていたことを見逃さない作品。この漫画は「3丁目の夕日」に対抗する答えのひとつになっているのかもしれない、そんなふうにジージは思った。
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2009年09月22日

漫画 こうの史代「夕凪の街 桜の国」

連載の1 相生通り
いまから45年前というと、ジージがまだ学生であった頃のことだ。気が小さくてあんまり行動的でないジージとしてはめずらしく、一念発起して中国四国地方をヒッチハイクしようと思い立った。
リュックに若干の着替えと寝袋を詰め、大阪の下宿先からとにかく歩き出したのは2月末だった。トラックに乗せてもらったり、野宿したり、一泊70円の蚕棚ベッドに寝泊まりしたり、けっこう艱難辛苦の末に広島にたどり着いたのは数日後。
夕暮れ近く、原爆ドームの前に立ち、ぼーっとしていた。人の気配もない、本当に静かな雰囲気の場所だった。毎年ここで大規模な集会が開かれるなんて、想像もできないほど静かだった。
現在の原爆ドーム周辺を知らないので比較できないが、記憶の中の原爆ドーム周辺は意外なほど寂れた場所で、もしかしたら大集会のとき以外はほとんど顧みられないところなんだろうか、と思ってしまうほどの場所に思えた。
予備知識もなくただ周辺をほっつき歩き、橋を渡ったところでふと左を向いて、びっくりした。ジージがいっぱいに両手を広げたら両側の家の軒先に届いてしまいそうな、細い道がずうっと続いていたのだ。
川に面しており、車も通れるかどうかわからないほど細い道があり、その両側に軒の低い小さな家がくっつきあって並んでいた。ジージには、原爆ドームの周辺が、誰も顧みないほどに静かである理由が、ここに象徴されているような気がして、複雑な気分になったのだった。
こうの史代「夕凪の街 桜の国」の70ページに、立ち退き後の状況と昭和30年頃の街の風景が対比的に描かれている。ジージが訪れたのは昭和40年頃。だから、漫画に描かれているのと、様子はかなり違っているのかもしれない。
それでも、広島の発展から取り残されたように、ほんとうにひっそりと静まり返って、街はそこにあった。いや、原爆ドームと一体になってただそこにぽつんと置き去りにされているような、寂しげな雰囲気につつまれていたのである。
27ページに描かれているように、原爆ドームの周囲はそれほど高くない鉄柵に囲まれていたと思う。雑草が茂る内部を、ジージはその鉄柵に両手の指をからませ覗いていたが、なんとなく虚しくなって、とぼとぼとそこを立ち去ったのだった。
夕方で、とりあえず寝場所を探す必要があった。リュックを背負ってあてもなく街をさまよい、途中で屋台のうどんをすすった。それからさらに数時間後、原爆ドームからそれほど遠くないところにあった小さい公園の隅っこに適当な空き地を見つけて寝袋にもぐり込んだのは、夜遅くなってからだった。
場所はどこだったのだろう。何本か流れている川のどれかの横に、置き忘れられたようにあった、全体が空き地同然の、なにもない小さい公園だった。繁華街のネオンが、川の反対側に遠く望めた。
その晩はものすごく寒かった。寝袋の薄い綿を通して、地面の冷たさがじわじわとお尻にしみて、なかなか眠れなかった。
「相生通り」・・・「原爆スラム」とも呼ばれ、原爆や街の復興計画で家や土地を失った人々が多く住んでいた、と「夕凪の・・・」の解説にあったが、やっぱりこの寒さはそこに住む人々全体に襲いかかっているのだろうな、と思いながら、短いまどろみの時間を過ごし、早すぎる朝を迎えた。
解説では昭和52年に消滅し、現在は緑地になっているとある。その後、ジージは友人たちから広島の8・6集会へ行かないかと何度もさそわれたが、なぜかどうしても行く気になれなかった。
集会と街の雰囲気がうまく意識の中で整合しなかったのである。そしてその意識はずっと続いてしまい、さらに現在はいっそう遠方に住んでいることもあり、いまだ再訪する機会を得られないままになっている。
というわけで、前置きがかなり長くなってしまったが、あしたはこの漫画の中身について触れていきたいと思う。
関連する本として、井上光晴の小説「地の群れ」を思い出した・・・。
posted by ガンコジージ at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする