2014年07月13日

徒然日々片々

本日はなぜか頭が重い。胃も重い。よってあまり根を詰めた記事を書けない。で、少し前の出来事を軽く記すにとどめる。5か月くらい前のことだったと思う。そのとき我が家は雪に埋もれて脱出もならず、食料の枯渇が先か、救援隊が到着するのが先かの状態にあった、と記憶する。
家のなかでぼーっとしているのもシャクなので、庭に積もった雪の整理(アッチへ持っていったり、コッチへ積み上げたり)などで鈍りがちな筋肉に活を入れる日々だった・・・と思う。作業をしているときは頭がヒマになる。で、いろんなことを考える。
そのときふと思い出したのは、半世紀近い昔の話。「そういえば知り合いで、放射線のことを熱心に勉強して、個人的な勉強会などを開催していた人がいたっけなあ。いまどうしているんだろう」
いささか美形の女子学生で、頭の切れ抜群、たしか放射線の勉強を通して、反原発運動にも理解があったような・・・。就職先も大学の放射線関係の部門じゃなかったかな。そのあたりの研究を続けて、いまでは大学教授になってると記憶にあるけど。それだったらいろいろおもしろい話が聞けそうだ。電話してみよう!
ということで、夜になって電話してみた。お決まりのあいさつののち、「生体の放射線被曝について、教えてほしいなと思ってさ」と切り出してみた。昔なじみの気安さで話したのだが、なんと彼女の返事はとても素っ気ないものだった。
「お話しできるような、そんなたいした研究はしていません」「あれっ?」と思った。ずいぶんツレナイなあと首を傾げた。ようするに大量の放射線を実験動物にバコンと照射して生体内の変化を調べる実験をしていたのであって、すごく大雑把だったからお役に立てない、と言いたいようだった。
「いや、それでもなんらかの知見がないことはないでしょ」などと食い下がったが、途中で「こりゃダメだ」と気がついた。どうも放射線を瞬時に大量に照射して生体の反応を調べる・・・つまり外部被曝の研究をしていたに過ぎないらしい。
それから先のことは推論になるからあまり突き詰めて考えないようにし、「あそう、残念だなあ。すみませんでした」と引き下がったのだが、電話を切ったあと、少し物悲しい気分になった。
外部被曝ねえ、時期が悪かったのかな、もう少しあとに研究していたら、もっと違った業績を上げたのかもしれないなあ、そうしたら今とは別の形で再会していたのかもなあ、いまとなっては彼女は触れてほしくないのかもなあ、エトセトラ。で、現実の彼女がどうなのかは分からないから、これから先は完全な推測であると断り書きをして続ける。
たぶん彼女は定年まであとわずかだろう。どこかで名誉職の教授になるかもしれないけれど、積み上げてきた業績の穴の部分を埋める作業は、やりたくてもなかなかできないのかもしれない。いや、まだバリバリに研究をしていたときでも、いつのまにかズレてしまった方向を修正するのは難しかったのかもしれない。でも、気づく機会はあったのではないか。気付いたところで人生の大転換を計る気力はなかなか出せるものでもないけれど、できればこれが最後の決断と、思い切ってやれなかったんだろうか、と思った。
その後、何人かの旧知の研究者・元研究者と出会って話したが、いずれも東京電力福島第1原発事故に強い関心・切迫した危機感を寄せているものは多くなく、知識もちょぼちょぼだった。
人生折りたたみの時期に近づいて、来し方の実績に満足してしまったのか、とても残念に思った。そして遠くから叫びたくなった。「奮起しろ、まだやることがあるぞ!」と。
posted by ガンコジージ at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

ARDUINOブートローダー書き込み

本日も円高が進み、株価は乱高下の予感。新聞ではヨネクラボンが原発事故現場を視察したそうな。タイベックを着ることができたのかね。はち切れちまったんじゃないのかね。と、心配するほどのこともないか。というわけで本日は、ガイガーカウンター製作に欠かせない電子工作の覚え書きを記すにとどめる。
以前同じことをやったけれど、手順がものすごく複雑で、記憶だけで再現は不可能。次は忘れないようにメモしておこうと思って2週間が過ぎてしまった。反省しつつ、ようやくメモを書く。参考にさせていただいたのは、「外付けAVRライターなしでBootLoaderを書き込む」というサイト。
以下は個人用メモ。記述に間違いがあっても責任は当方にあり、参考にさせていただいたサイト主さんとはまったく関係がないことを明記しておく。上記サイトを印刷して赤線と番号をつけて順番にやるのがいちばん。というわけで個人用メモを開始!
1)ARDUINO(ATmega168P)のX3とICSPをケーブルでつなぐ。(X3の1、2、3、4とICSPの1、3、4、5が対応するピン。ブレッドボードでやると楽。)
2)ソフトウェアのダウンロード
 1、FTDI Bitbang Driver 2、FTDI Bitbang AVR-Writer "avrdude-serjtag" 3、avrdude-serjtag用設定ファイル"avrdude.conf" 4、avrdude-GUIラッパー"avrdude-GUI(yuki-lab.jp Version)" 5、NET Framework 2.0以上
3)インストール
 1、FTDI Bitbang Driver=ArduinoをUSBに接続しないでCDM20xxx_Setup.exeを実行する。 2、FTDI Bitbang AVR-Writer"avrdude-serjtag"=serjtag-03.zipを展開し、生成されたフォルダ内のavrdude-serjtagフォルダをc:/Program Filesにコピー。コピーしたフォルダ内のsrcフォルダを削除する。 3、avrdude-serjtag用設定ファイル"avrdude.conf"=avrdude.confをc:/Program Files/avrdude-serjtag/binaryフォルダに上書きコピー。 4、avrdude-GUIラッパー"avrdude-GUI(yuki-lab.jp Version)"=avrdude-GUI-1.0.5.zipを展開。生成されたフォルダをc:/Program Filesにコピー。
4)設定
  c:/Program Files/avrdude-GUI-1.0.5内のavrdude-GUI.exeを起動する。 1、avrdude.exeの指定。=c:/Program Files/avrdude-serjtag/binary内のavrdude.exeを選択する。 2、programmerの選択=FT232R Synchronous BitBang(diecimila)を選択。 3、Deviceの選択= ATmega168、ATmega168P、ATmega328Pなど、自分が使うものを選択。=4、BitBangボードと速度の設定=Command Line Optionに「-P ft0 -B 4800」と入力。
5)マイコンとPCをUSBで接続。avrdude-GUIを起動し、ヒューズビットを読み込む。
6)ブートローダー書き込み
 1、Chip Erase をクリック。 2、Lock BitのReadをクリック。「3F」と表示されるはず。 3、ヒューズビットの値をセットする。=ffuse=DD,ifuse=ff,efuse=00 マイコンの種類によって違うから注意。 4、fuse欄のwriteボタンをクリック。 5、ブートローダーのhexファイルを設定。=Flash欄クリック。arduino00xx/hardware/arduino/bootloaders/atmega内のATmegaBOOT_168_diecimila.hexを選択。 6、書き込み開始。Erase Write Verifyをクリック。書き込み始まる! 7、ロックビット書き込み。Lock=0FとしてWriteをクリックして終了。うまくいったときの達成感っていいね!
posted by ガンコジージ at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

ジャンクノートでガイガーカウンター

新しく古いノートパソコンを入手した。なんだか変な表現なので書き直すと、中古ノートパソコンを新しく購入したのである。
GMCのフィールド用として、ラフに使っても気にならないやつ、および各種テスト用に弄くりまわして失敗したり壊れてしまってもかわまないのが欲しいと思ったわけで、条件は軽いもの、LINUXが動くもの、バッテリーがチョコッとでも使えるもの、なにより重要なのは安いこと。
福島行きのために大急ぎで新品のノートパソコンを入手した。新品だから使えることは使えるが、いつもの(お古で楽しむ)我が趣旨に反する気がして仕方なかった。
しかも、古いノートパソコンは譲ってしまって、手元には新品がひとつだけ。それではなんとなく心許ないので、やっぱりもう一台ごちゃごちゃイジクリ用がどうしても欲しかったのである。
不自由を感じていたが、オークションでずっと探していて、ようやくみつけた。ジャンク品というやつである。壊れていることを覚悟で買ってくれ、というものである。
本体価格2000円也、送料込みで3000円ほど。目的にかなっているならこのくらいの値段で充分。というわけで到着した荷物を開けてみると、でてきたのはなんとなく古めかしくない機械だった。つまり現役のようにぴかぴかではないが、中古感がそれほどないやつであった。
CPUはさすがにコアツーなんとかというのではない。メモリーも512MBでじゅうぶんとは言い難い。
HDDはついていない。USBメモリーから起動できない。内部バッテリーがオシャカらしく、いつもBIOSから起動しないといけない。でもこれらのことはなんとかなるさ。
長所はDVDドライブ付きで、重さが1.8キロほど。軽いとは言い難いが、重たいと感じる範疇ではない。で、さっそく試験してみると・・・。
HDDを取り付けてテストしたら、動かないんである。「なんじゃこりゃっ!」とがっくり。オークションの紹介では動きそうな気配があったのに、なんとカスをつかんじまったのか。あせった。
ジャンクなんだから動かなくて当たり前といえばそれまでだが、すごく残念。考えて考えて「動かないはずはない」と結論し、いろいろと動かし方を工夫してみたら、それなりの手順があって、それに従えばなんとか動くらしいことがわかった。やったぜ!
ジャンク品の買い物はこの瞬間がこたえられない。内蔵DVDドライブからなんとかLINUXをインストールし、GMC連動のアプリケーションを動かし、グラフが登場し、kmlファイル変換も正常にでき、ついでだからオープンオフィスや若干のゲームなんかもインストールしてちょこっといたずらしてみたり・・・。
で、すごい欠陥に気がついた。前の持ち主がかなりのタバコ呑みだったらしく、排気がすこぶるタバコ臭いのである。こちらは禁煙してもう10年以上になる。ほぼ煙は体内から出てるんじゃないかと思うが、このタバコ臭さにはマイッタ。
胸が悪くなるんじゃないかと思うくらい。昔はこんなにおいを周囲にばらまいていたのかなあと反省した。
タバコ臭は時間が経てば消えていく。だが、もうひとつの欠陥は最悪だった。バッテリーがぜんぜんナイのである!
これじゃあフィールド用にならない。どうすりゃいいかな。バイク用バッテリーの世話になるか。
というわけで、スッタモンダがいまも続いている。この顛末いったいどうなるやら、自分でも判らない。スッタモンダを楽しめばいいさと達観する日々なのである。
posted by ガンコジージ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

「私の声は声なき者たちの小さな声です」マラライ・ジョヤ

降り注ぐ放射性物質を「生活の便利さを失う恐怖」とか「莫大な札ビラ攻勢」とか「陰に陽に押し付けてくる各種の脅しや脅迫」に妥協して「忘れることに努める」か。そのために「あれは日本の狭い地域のできごとで、自分たちとは関係ない。いやなことをムリヤリ近くへ寄せないでくれ」と忌避し、押しのけて、耳目口そしていまは鼻まで塞いで逃げ惑うか。
それとも、恐ろしさにたじろいでもいい、しかし震える足をなんとか踏みしめて立ち上がり、おずおずとでもいいからコブシをあげ、小さくてもいいから声を嗄らして「もうたくさんだ!」と叫ぶか。
その分かれ道を選ぶのに、どれだけの犠牲を積み重ねる必要があるか。まだこれ以上に積み重ねないと、巻き起こる怨嗟の渦に身を任せる気にならないか。
もしかしたら分かれ道はとうに過ぎたかもしれない。しかし遅くはない。遅いことなど決してない。そのことを、遠いアフガニスタンでたたかう人びとは教えてくれる。そのことを我々に示すために、マラライ・ジョヤは世界を駆けめぐる。
彼女の立ち向かっている相手と我々が立ち向かおうとする相手とに、どれほどの違いがあるだろうか。違いがあるとすれば、抵抗するものを懐柔するための(札束という名の)手段をはるかに多く持っているということくらいだ。
我々から見れば湯水のごとく、彼らからすればほんのゴミみたいなものに過ぎないし、それも、庶民の懐からかすめとったなけなしの日銭を積み上げたものなのだが。

********全文掲載********

「マラライ・ジョヤとアフガニスタンの今 
   合衆国はそもそもの最初から、汚いシナリオをもってやって来た」
      インタビュアー ナジュアン・ダードレ 2011年5月16日

☆☆☆☆マラライ・ジョヤは、2005年に国会議員となったが、2007年半ば、戦争犯罪者が国会の場にいることを公然と弾劾したために、国会を追放される。最近、[自伝]「A Woman Among Warlords」(軍閥に囲まれた女)を出版、講演ツァーのため合衆国を来訪した。コネクション・ポイント・プロジェクトのマネージャー、ナジュアン・ダードレが、ワシントンDCのユニオン・ステーションでマラライ・ジョヤにインタビューした。マラライは以下のように語った。☆☆☆☆

私はマラライ・ジョヤ、人権活動家です。アフガニスタンでは、民主的な心を持つ活動家は多くの困難、危険、障害に直面しています。私とほかのアフガン人活動家の違いはただ、私が有名だということだけ。私たちはみな、マフィア同様の傀儡体制、そして占領と闘っています。私たちは祖国に、正義、平和、民主主義、女性の権利、そして人権をもたらすために闘っています。
今、私が重要だと思うのは、アフガニスタンの人々、とりわけ女性の政治的意識を高めることです。女性は人口の大きな部分を占めていますが、その大半は教育を受けていません。女性の人権について彼女たちと話をすることはたいへん重要であると思います。彼女たちは自らの立場について目覚める必要があります。続きを読む
posted by ガンコジージ at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

アンドロイド覚え書き

android.gifネットオークションで、NTTの中古アンドロイドを格安にて入手した。WDPF−701MEという、すこぶる評判の悪い機械だった。入手の理由は値段が魅力的だったということだけである。
購入する前にネットでいろいろ調べた。自在に使っている人たちの報告に接して、いろいろ教えてもらい、以下の結果になった。

1、そのままではすこぶる使い勝手がよくないが、ネットで教えてもらった方法を用いると、わりと使える良い機械になる。
2、手元にある5インチのアンドロイドは、ひ弱な感じがするが、NTTのものは7インチとしては少々重たいものの頑丈であった。
3、バッテリーの持続時間はたったの1時間しかない。これが最大の問題点である。
4、右側にある3つのボタンの感度が良すぎてとても邪魔である。
4、少し重いのとバッテリーと右ボタンの問題を除けば悪い機械ではない。約50種のアプリをインストールし、いまは5インチよりも重宝している。
5、重力センサーはついていないが、そんなものは不要である。新古品としては格安の値段に満足。

以上、そんなにコキ下ろすことはないじゃないか、という気分。次に覚え書きとして、アプリインストールまでの手順を記す。これは個人の備忘禄としての記録である。

1、TTA−20という接続コードを入手。(COWON S9ーUSBCable)
2、androidSDK(アンドロイドエミュレーター)をダウンロードし、XPにインストールする。(このエミュは使用しない)
3、エミュの追加でアンドロイド用のUSBドライバをインストール。(ようするにドライバが欲しいのだ)
「Android SDK and AVD Manager」の「Available packages」で、「Google Usb Driver package,revision4」にチェックを入れてインストール。
4、android_winusb.inf(あり場所は検索にて確認)に以下の記述を加える。
[Google.NTx86]
;WDPF-701ME
%SingleAdbInterface% = USB_Install, USB\VID_18D1&PID_0002&MI_01
%CompositeAdbInterface% = USB_Install, USB\VID_18D1&PID_0002&REV_0230&MI_01
5、NTTアンドロイドをXPにつなげる。
6、XPにてandroid_winusb.infでUSBドライバを指定し、インストール。
7、XPではアンドロイドマーケットでのダウンロードができなかったので、非マーケット系のアプリを探してXPにダウンロード。
たとえばSOFTONICというサイトはアプリが豊富であった。
8、ウィンドウズのDOS窓を起動する。
9、adbと名のつくexeファイルを探しておく。
10、c:¥adb install e:¥○○○○.apk
といった感じでダウンロードしたアプリケーションをNTTアンドロイドに送り込む。自動的にランチャーに登録されていく。(adbとapkの保管場所によって記述は少し変わる)

50種類ほどのアプリの中に独自の画面設定アプリがいくつかあったので、初期画面の表示を変えてみたら見栄えが良くなった。いまのところバッテリーその他若干の問題を除けば満足している。ネットでやり方を教えてくださった皆さん、ありがとうございました。
posted by ガンコジージ at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月10日

こんな記事があった(エジプト編)

ネットの記事には新聞やTVとは違った味がある。なんとまあ、とビックリする話を見つけた。これで怒らないのは不思議。これを大切に守っていたのがアメリカなんだから、恨まれて当然か・・・。

******ゲンダイネットより*****
☆ムバラク一族 どうやって5.8兆円も隠し資産を築いたんだ ☆
民主化を求める大規模デモに屈し、約30年間の独裁政治にピリオドを打ったエジプトのムバラク前大統領(82)。独裁政権下でため込んだ隠し資産はナント、約700億ドル(約5.8兆円)というから、ぶったまげた。米マイクロソフト創業者、ビル・ゲイツの総資産額(約530億ドル=約4.4兆円)をも上回る。つまり世界一の“富豪”なのだ。国民の4割は1日2ドル以下の生活を強いられているというから、民衆の不満爆発も当然である。
「ムバラクはスイスや英国の銀行に大口の秘密口座を持つほか、ロンドンやニューヨーク、パリに高級不動産、さらに金塊数トンを保有していました。一族にも資産を振り分け、息子のガマル1人だけで170億ドル(約1.4兆円)の資産を持っています。ムバラクがデモ拡大後も大統領の座にしがみついたのも、保有資産を隠す時間稼ぎ。チュニジアのベンアリ前大統領が亡命後にスイス政府に隠し口座を凍結されたのを教訓に、一族の間で緊急会議を持ち、追跡不能な海外口座に資産を移し替えたのです」(中東情勢事情通)

ちなみにエジプトのGDPは世界41位で日本の30分の1。日本人の感覚でいえば、170兆円もムバラクにかすめ取られたということだ。

●スエズ運河通行料の半分がファミリー企業に流れる錬金術●
どこに、そんな財源があったのか。エジプトの外貨獲得の大きな柱は、スエズ運河の通行料収入だ。通行料金は1回につき約25万ドル(約2100万円)で年間収入は約50億ドル(約4175億円)を超える。日本企業も原油輸送などのため、うち1割程度の通行料を負担してきた。
しかし長年、通行料がどこにどう流れたのかはエジプト国民には一切知らされず、やぶの中。海外メディアは、ブラックボックスと化した通行料の50%以上がファミリー企業を通じてムバラク一族に流れたと伝えている。
なるほど、年間25億ドルが30年間にわたって流れたとすれば、700億ドルの隠し資産とピッタシ計算は合う。
「日本政府が中東の外交拠点としてエジプトに拠出したODA予算もムバラクのフトコロを潤しました。外務省は約135億円の無償資金援助で、スエズ運河に『日本・エジプト友好橋』という全長4キロと世界最大級の斜張橋を01年10月に完成させたほか、この数年も『太陽光発電所建設』や『ピラミッド修復』などの名目で約205億円の無償援助に協力しています。こうした予算もムバラク政権の水増し請求などで、一家の裏金に消えた可能性が高いのです」(外交関係者)
強欲な独裁者にとって、お人よしの日本人など格好の餌食だった。

(日刊ゲンダイ2011年2月14日掲載)
posted by ガンコジージ at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月09日

リビアについてのトルコの報道

欧米はいまのリビアについて何を考えているのか、正直よくわからなかったが、トルコの報道記事を読んで、すこし感じることができた。直接イギリスやイタリアとかいったところからでないのが不思議な気分である。「日本語で読む中東メディア」から、すこし長いけれど、いっぺんに掲載する。
*****トルコの報道から*******
☆トルコ実業界はカダフィー政権継続に賭けている☆
2011年02月26日付 Milliyet紙

適切な人に、適切な時に、適切な質問を投げかけて、「間違った」結果になるとは。
2月17日に同紙に掲載されたコラムは、まさにこれを経験した。
リビアで総額20億ドル以上の請け負い事業を展開し、7箇所で建設工事を行っているルネサンス建築代表取締役のエルマン・ウルジャク氏は、コラムの中で、「リビアはエジプトやチュニジアとは違います。危機は感じません」と話していたが、読者がその翌日、テレビをつけてみると、そこではリビアで拡大した蜂起が報道されていた。リビアの状況に、ウルジャク氏だけでなく世界も驚いた。つまり、誰も同国で突如デモが起きることなど想像していなかったのだ。
リビアは世界の石油製造量の2%を担っており、その量はアフリカで第三位である。リビアの石油埋蔵量は460億バレルにもなるが、同国の戦略的な重要性は石油や天然ガスの豊富さだけではない。その地理的な位置も大きな意味を持っている。

■ウルジャク氏「カダフィー大佐の息子は知らない」
次のような比較をすれば、状況はより明確になる。すなわち、リビアと北イラクの石油埋蔵量はほぼ同量である。しかし、イラクはヨーロッパと離れている。一方リビアは、イタリアをはじめ、ヨーロッパの目と鼻の先に位置している。
リビアは、石油輸出の32%をイタリアへ、13.4%をドイツへ、10%をフランスへ行っている。
そもそも、リビアでの蜂起がまず影響したのは、予想通り石油の価格であった。1バレルあたり111ドルを超えた。
ウルジャク氏はまさにこの点において、「ヨーロッパから見れば、リビア掌握など簡単なことなのです」と言う。
カダフィー大佐の子息であるセイフュルイスラム・カダフィー氏は、先日CNNチュルクにてジュネイト・オズデミル氏の質問に答えるなかで、石油パイプラインが爆破されるといった発言を否定し、「石油はリビア国民のものです。爆破するなど決してしません」と述べた。
オズデミル氏のリビア首都・トリポリ訪問に際して便宜を図ったのも、エルマン・ウルジャク氏であることを、強調しておかなければならない。
ウルジャク氏に、「セイフュルイスラム氏をご存知ですか?」と聞くと、「いいえ、カダフィー大佐のご子息のことは知りません。リビアは身内同士で一緒に事業を行うような国ではありません」と主張していた。

■10万人が関わる
以下の発言は、リビアに関するウルジャク氏の「慎重な」見解を示している。
「トルコでは、リビアとの貿易により年間60〜70億ドルの経済が生まれています。10万人がリビア経済に直接関わっています。リビアに住む2万5千人のトルコ人のなかには、帰国したくないと言う人たちもいます。おそらく、帰国を決めたのは1万人ほどでしょう。場所によっては蜂起は鎮圧されましたし、銀行も営業しています。」
メフメト・シムシェキ財務大臣は、リビアで継続している請け負い事業の総取引額は153億ドルにもなると言っていた。
リビアでの損害がどのように賠償されるかという問題は、解決されないままである。トルコとリビアは1972年来貿易を行っているが、二国間協定において、「損害賠償」批准はなされていない。
シムシェキ財務大臣は、「やむを得ない理由を明確に示せば、各社が被った略奪事件による損害は、補償されます」と言った。
トルコ政府が各社のリビア撤退後、商業界を安心させるような何らかの決定を下すのは明らかだ。
ザフェル・チャーラヤン国務大臣のリビア会議出席前に、トルコ・建築業連盟のエルダル・エレン会長とお会いしたが、「まず命、次に愛」というような趣旨の彼の発言は、トルコのリビアに対する強い期待の証拠である・・・。

■改革計画開始
ウルジャク氏に改めて「カダフィー大佐の子息」の件を聞いてみる。
ウルジャク氏は、「セイフュルイスラム氏は、リビアにおける事業開発・改革のトップです。彼の下で十分に教育を受けた約150人の若者が、リビアを構築しています。リビアを管理しているのは『国民委員会』です。なので、ひとつの党や野党について引き合いに出すだけでは足りません」と答えた。
カダフィー大佐の8人の子息のうち、7人は男で、女はアイシェ氏ひとりだ。アイシェ・カダフィー氏は、アメリカ合衆国ブッシュ大統領に靴を投げたことでイラクを騒がせたアル=ザイディの弁護士団のひとりであった。
カダフィー大佐の子息ひとりひとりについて、ヨーロッパやトルコのメディアで伝えられたニュースを引き合いに出して触れる必要はないだろう。カダフィー大佐が「死んでも離れない」と言っていた、そのリビアにおいて、セイフュルイスラム氏は今日までに240人が亡くなったと述べた。しかし、各メディアの伝える情報によれば、死者の数はこの4倍にはなるだろう。
ウルジャク氏にこう聞いてみる。「民主主義への要望が高まっているこの危機状態の中で、カダフィーは武力を行使してもなお革命指導者として生き残ることができるのですか?」
ウルジャク氏は次のように答えた。「カダフィー政権はなくなりません。政治は民主主義化します。アメリカのイラク侵略計画は、リビアでは通用しないでしょう。」
リビアに関する推測は間違ったものが多いと言っておいたほうがいいだろう。
「命」ということについて言えば、トルコの建築会社の多くは自身の社員をトルコに帰国させた。ルネサンス建築は、リビアにいるトルコ人労働者1250人を、エジプトでレンタルした飛行機によりトルコに送った。
外国人労働者は、エジプトやチュニジアに避難させている。
トルコの建築業分野は、1970年以来関係が続いているリビア市場において、新たな経験を積んだ。
すなわち、世界的政治危機だ!
今、本当のことを言うとすれば、トルコはカダフィー政権継続に賭けている。建築業者は機械一式をリビア人に預け、仕事の「休憩中」のようなものだ。

(翻訳者:津久井優  記事ID:21642)
posted by ガンコジージ at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月02日

モタモタでもいい、望める方角を向いていれば

対中外交での菅首相の国会答弁を聞いていると、なんとなく政権がいま水面下で画策していることが見え隠れするようで、ときどきププッと笑いたくなってしまう。
なんだかいたずら坊主がいたずらしながら、いっしょうけんめい隠そうとして、だけど丸見えになっているといった状態みたいに思えてならないのだ。
野党しか経験したことのない人たちが、にわかに隠密行動をとるのだから、まだ修練が足りないのかも知れない。いや、こんなことに修練を積んでもらっても仕方ないか。
逆に言えば、「いまヘタクソな隠密行動をやってますが、だんだんうまい結果が見えてくるから、国民の皆さん、楽しみに見ていてね」なんて調子で、期待を持たせながらやってくれたら、それはそれでいいかもしれないと思う・・・のだが。
もしかしたらこういうやり方が民主党政権の隠密行動の基本形になるのだろうか。丸見え隠密行動。うん、それがいいかもしれない。前原外務大臣のズレまくり答弁を目くらましにして、よく見るとなにやら違うことが進んでいき、ふと気がつくと確かにもっとも望ましい展開になっている。それも悪くない、と思う。
屈辱外交だかなんだか知らない。とにかく、いまこの事態をうまく収めることのほうが、やたらに煽ってお互いの関係を抜き差しならないものにしてしまうより、よほどマシなことと思える。
そんなことで、だれになんの利益があるというのか。苛立ちとか憤懣とかをさんざん撒き散らし、妙なしこりを残して収束させるとか、もっと悪くて地域紛争を勃発させるとか、そんなことになっても、なんの意味もない。
庶民にとっては、潔い鬱憤ばらしのあとの生死に関わる混乱より、生温くて物足りないことおびただしい安穏のほうが、結果的にはよりマシの現実ではないのか。
この問題を先延ばしせずにうまいこと処理したら、この地域における領土紛争解決の模範となるだろう。と思いつつ、いまの政権にそんな巧妙で器用なことができるとも思えない。もたもたは、たしかに彼らの本当の姿なんだろうと思う。どんな顔をして、どっちを向いて進んでいったらいいのか、手探りしながら結局、蹴つまずいているのだろう。
それでもアベ氏やコイケ氏が庶民の心の隙間を狙うように不穏なことを煽り立てるより、いくらかでもマシであることを・・・モタモタしまくる菅政権の足取りを見ながらいまも切実に願うジージなのである。
「モタモタでもいい、あなたが意味ある未来を望める方角を向いていれば」とまあ、過大なことは思わず、そんなふうに願ったりしているわけで・・・。とにかく、ナショナリズムにからめとられるな。
posted by ガンコジージ at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

機知縦横、軽妙洒脱、グサリど真ん中

だいぶ前のことになるが、以下のようなおもしろい提言を、あるブログで見た。「日本貧乏党綱領草案」という。機知に富んでいて、洒落ていて、しかもしっかりと的の中心を射ており、いたずら心に満ちていながら、本気になってこんな党をつくりたくなる。そんな愉快な発想が輝いているのを感じて、思わず手を叩いてしまったものだった。
「これはいい、いつかこの文章をこのブログで紹介しよう」と思っていたのだが、なかなか果たす機会がなかった。ずいぶん時間が経過してしまったが、それでも紹介する意味が薄れるものではない。
それどころか、こういった自由で幅の広い発想がいままさに必要とされる時代になっているような気がしてならない。とまあ、前置きはそれくらいにして、全文を紹介させてもらう。現実のあれこれの組織がこんなふうに自由な発想を持っていたら、もうすこしおもしろい現在があるのかも知れない、なんて思ったりして・・・。

********************

日本貧乏党綱領草案
1.我ラハ日本貧乏党ト称スル。
2.我ラハ平等ニシテ自由ナル日本国ヲ建設スル。
3.ワガ党員ハ年収五百万円以下、資産二千五百万円以下ナルコトヲ要ス。
4.上記ノ制限ヲ超ユル所得・資産ヲ有スル党員ハ、ソノ超過部分ヲ党ニ寄付スルモノトスル。
5.我ラハイカナル個人・団体ニ対シテモ土地ノ所有ヲ認メナイ。
6.スベテノ国土ハ公共財デアリ、現行ノ所有権ハ、使用権ト読ミ替エルコトトスル。
7.土地ノ使用料ハ国ガ算定シ、国庫ノ収入トナル。
8.スベテノ為替取引オヨビ証券取引ニオイテ、所有権ノ移転ゴトニ取引税ヲ徴収スル。
9.全国民ニ健康デ文化的ナ生活ヲ保障スル「ベーシックインカム」ヲ支給スル。
10.所得税オヨビ相続税ノ最高税率ハ95%トスル。
11.法人税ノ税率ハ50%トスル。
12.スベテノ国民ハ、一定ノ年限、公務員トシテ勤務スル義務ヲ負ウ。
13.教育オヨビ医療ハ、スベテノ国民ニ無償デ提供サレル。
14.イカナル国トモ軍事同盟ヲ結バズ、平和外交ヲ旨トスル。
15.軍備ハ専ラ国土ノ防衛ニ当ル最小限度トスル。
16.天皇家ノ皇位継承ハ、天皇家ノ判断ニ任セル。
17.ソノ他定メナキ事項ハ、人間ノ基本的平等ヲ旨トシテ、ヨキニ計ラウ。
 大正九十九年七月十七日 日本貧乏党綱領委員会 

********************

以上、「志村建世のブログ 多世代交流のブログ広場」より引用。
posted by ガンコジージ at 07:07| Comment(1) | TrackBack(1) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月21日

儲けたこと、あったでしょ?

かなり前、新聞の川柳で以下のようなものを見たことがある。記憶なので正確ではない。「おっしゃるが 儲けたことも あったでしょ」。うーむ、なるほど、と思った。
「やたら損したと、うるさいなあ。あんたたち、いつも損したと言うけれど、儲けたときだってあるんでしょう。いいかげんにしなさい」という意味の、皮肉たっぷりの川柳だった、と思う。
なにしろかなり以前のことで、正確ではないのが残念。とにかく世間にはこのように思っている人たちがいるんだな、という話。確かにむかし身近にいた株の好きな仕事仲間は、なにかというと「損した、損した」と、うるさいほどぶつくさ言うのがクセだった。ジージにはいったいなにを損したのか、ぜんぜん見当がつかなかった。
一度だけ、心配になって話を聞いたことがあるが、なんだよ、「損した」というのはもっと儲けられるはずが売る時期がずれてしまったために少ししか儲からなかった、それで「あー、損した、損した!」というだけのことであった。
ジージはあきれて2の句が継げなかった。本音、勝手にしなさい、であった。同じ新聞のもっと過去の投稿で、仕事の昼休み時間になると即座に携帯電話で株情報を集めるおばさんがいて、儲けたの損したの、一喜一憂しているのがうるさくてたまらん、と言う記事があった。
儲け続けていれば「わたしはエライ。なぜなら濡れ手で粟の儲けをこんなに簡単にしているんだから」と鼻にかけるし、損(つまり儲けが減ったら)したら「損した、損した」で「自分くらい不幸なものはいない」みたいな顔をする。想像がつくなあ。
いやまったく、川柳の心境にもなるというものだ。「おっしゃるが 儲けたことも あったでしょ」。そばでごちゃごちゃとうるさく言うんじゃない。いつもうまい汁がほしいなんて、そりゃあ虫がよすぎるってものだ。損もあってちょうどいい。そう思えばいいじゃないか。
といいつつ、でもまあ退職後におぼつかない自己資金をなんとか増やそうと試みてたたき潰された人たちは、やはり気の毒である。そしてこうして、気分で流されているうちに、世の中はとんでもない方向へ流れていき、気分屋さんもそうでない人も、気がついたら奈落の底にいる・・・なんてことにはなりたくないものである。
これも正確な名称は忘れたが、「FX美女の会」といったような名前の会があって、FXでボロ儲けしてにわかセレブになった女性たちの豪華な集まりが、かつてあったそうな。彼女たちはいま、どこでどうしているんだろう。いまや儚い「荒城の月」かなあ。
posted by ガンコジージ at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

代理自民党に成り下がるべからず

琉球新報のガジェットに次のような記事が掲載された。興味深いところがあるので、全文紹介する。

「〈統一地方選〉名護市議選与党圧勝 「想定外」政府に驚き
2010年9月13日
【東京】米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する勢力が圧勝した名護市議選の結果について、移設を推進する政府内には大きな驚きと衝撃が走った。移設作業が停滞するとの見通しも出ており、移設作業に当たる責任者らは口々に「想定外だ。辺野古はより状況が厳しくなった」と驚きの言葉を重ねた。普天間の返還に向けた戦略の見直しも迫られそうだ。
移設作業に当たる政府のある担当者は「与党の圧勝だ。思っていた以上に地元の移設ノーの声が強いということだ」と、県内移設反対の世論が根強いことを再確認したと語った。5月末の日米共同声明以降、沖縄側の「反対熱」の冷却を期待していた政府側にとっては大きな誤算となった。
政府方針に与える影響について防衛省幹部は「(辺野古への)代替施設建設は容易には進まなくなった。滞るだろう」と作業の遅滞は避けられないとの見方を示した。一方で「だからといって政府としてすぐ県外を目指すということにはならない」と述べ、引き続き負担軽減や振興策の話し合いで沖縄側の理解を得ていく考えを強調した。
ただ「仲井真弘多知事も一時的にせよかじを切り、(辺野古反対を)強く言うことになるのではないか」と予想。11月の知事選の推移を見守る姿勢も見せた。
別の政府関係者は米政府への影響に言及。「米政府も名護なら現実的に進められるという思いがあり、今年に入って『辺野古』と繰り返してきた。今回の結果で難しくなったと認識するのではないか」と見通しを示した。今後は未定としながら、米側との再協議模索の必要性も示唆した。」

名護市議選与党圧勝ということは、とうぜん予測できたことだ。注目すべきは、想定外として政府が驚いた、という点である。
自民党政権ではあるまいし、地方にはお金をばらまいておけば納得してもらえるなどという考えがあったとすれば、もう民主党も末期ということか。そこのところを読み違える甘さは、度し難いものがあるといわねばならない。
「想定外だ。辺野古はより状況が厳しくなった」「思っていた以上に地元の移設ノーの声が強いということだ」などと、いったいいままでどこで地元の声を聞いていたのやら。
民主党が代理自民党に決定的に成り下がるかもしれない瀬戸際に立ったと言うべきか。本日・・・そのなかでの代表選。どちらが選ばれるにせよ、「名護市議選与党圧勝」を受けて、これ以上おかしな判断を積み重ねていかないように願う。
posted by ガンコジージ at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

ゴム被覆金属弾(いまパレスチナでなにが)

だいぶ前にYouTubeの画像をまとめてここに紹介した。そのとき背景がわからず割愛した画像のひとつが、どうも2年前にあった事件に関わるものらしいとわかった。というか、画像の下にある英文でわかった。
以下にその画像を紹介する。ニイリン村の少女が自宅の窓からビデオカメラで撮影し、ブツェレムに提供した映像である。
おなじようなことはいま、パレスチナのいたるところで行われているのだろう。そのひとつのかたち・・・。



08年のそのとき、ニイリン村とビルイン村はイスラエルが建設する「壁」によって村の農地約250ヘクタールが失われることに抗議して、抗議行動を行っていた。8月1日までに、2名の若者が殺されていた。
画像に関わる事件は、7月の抗議行動のときに撮影されたものらしい。イスラエルは8月6日に至ってようやく、現場の指揮官を処罰したと発表した。しかし、その後も抗議デモ鎮圧のために催涙ガス弾やゴム被覆金属弾を使用し続けた。
ところでゴム被覆金属弾とはいったいなんだろう。これを至近距離(ゼロ距離)から人体に撃ち込んだ場合、箇所によっては重傷を負うことはもちろん死に至る可能性もある。つまり、限りなく殺傷用の銃弾に近いもの、とジージは推察するのである。
この銃弾を撃ち慣れている兵士としては、対象の生死を意識してもいないことが、画像から感じられる。
画像を見ながら、ジージとしては、イスラエルはなんでここまでやるのだろう、と考え込んでしまう。この国は建国当初から両手に血を滴らせてきた。そして20世紀のほぼ全時期にわたって、圧倒的な軍事力で周囲の国や人々を押さえ込んできた。
20世紀が終わりに近づくにつれ事態に変化が現れ始めていることが背景にあるのかもしれない。第2次インティファーダを経て国内外の批判勢力が増大し、アメリカはイラク戦争で敗北した。そのうえアフガン戦争の泥沼化が濃厚になっていく現在、イスラエルは焦りの色を濃くしつつあるのだろうか。
断末魔になるほど凶暴化していくという決まりきった図式を、この国もまた例外なく辿っていくようだ。
関連していろいろネットを探していたとき、「ゴールドシュタインの虐殺」という事件のことを知った。「ヘブロンの虐殺」ともよばれた事件の顛末を知ると、この国の病根の深さを感じざるを得ない。
なんとかしなければ、この国の未来は真っ暗闇に閉ざされていくしかないのではないか、と思う。こんなやり方で未来永劫にわたって国家を維持していくなど、絶対にできることではないと思うがゆえに。
参考に以下の画像も紹介しておく。ゴム被覆金属弾は普通の金属弾より人体に食い込みにくいだけの銃弾である。肉を潰し、骨を破壊する、それくらいの能力はもっているのだということを、認識しておきたい。

Visual: Soldier fires at unarmed demonstrator in Bilin with rubber bullet

「This was flimed on March 14th 2008」と解説に書いてある。
posted by ガンコジージ at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月31日

機密と嘘:安保、イラク戦争での日本の役割と憲法

日本だけで物事を考えていると、世界がいまどう動いているのか、または動こうとしているのか、まったくわからなくなる。それで意味のない孤立感に取り憑かれたりするのは、意図して不勉強であったことのツケを、いつの日か背負わされることになる。
TUPから送られてきたのは、ディビッド・マックニールによる日本に関する詳細な論考「機密と嘘:安保、イラク戦争での日本の役割と憲法」である。
いつものようにTUP翻訳者による前文をここに掲載し、さらに末尾にPDFファイル化した翻訳本文を添付する。青色文字をクリックすると、翻訳本文を読める。

ーーーーーTUPの記事ーーーーーーーーー

「草の根運動こそ歴史を変えていく力」
          文と翻訳: 服部健(TUP)


自衛隊イラク派遣の検証作業に向けての取り組みにみられるように、日本でも市民の力によって少しずつ歴史が動かされてきました。民主主義の本質は日頃のそういった運動の中で直接行動に出る人々の努力の積み重ねによって生まれる変化の状態のことであり、数年に一度行われる選挙投票だけが民主主義の姿ではありません。

現に、昨年に選挙で多くの国民の支持を得て政権の座についた日本民主党は早くも行き詰まり、鳩山の突然の首相辞任、後任の菅による一方的な政策方針の転換で、結果、有権者の意志に背くかたちとなりました。そして、私たちの生活はさらなる日米軍事同盟の強化の過程の中におかれたままです。自民党政権時代から続いてきた政府によるこうした行為は民主主義を否定し、戦争放棄が理念である日本の平和憲法までもが長いあいだ違憲状態にあるということを物語っています。

しかし、9条が平和の意志の表れである以上、今こそ私たち一人一人がそれを体現しなければなりません。紙の上に書かれたその条文を、ただ眺めているだけの時代から脱却しなければなりません。そのためには、マスコミの政局報道に惑わされず、同じ問題意識を持つ仲間をみつけ、民主主義状態をつくり出し、その中に身をおき、時には政治を動かす力にもなるその草の根運動こそ、私たち自身の将来のための問題解決手段であると信じ、行動し続けることが大切です。

今年初めにジャーナリストのディビッド・マックニールによって書かれたこの記事は、それを思い出させるものです。なによりも、記事の中の活動家らが直面してきた困難は、同じ社会にいる誰もが直面することであり、私たちはこれまで以上にそのことを自覚するべきです。そして、ここから先に進むも後戻りするも私たち次第です。

最後に、記事の翻訳はいつものようにTUPメンバー同士が協力して行ったもので、そのことも一人でも多くの人に知ってもらいたい事実であり、少しでも平和運動の広がりにつながれば幸いです。


デビッド・マックニール「機密と嘘:安保、イラク戦争での日本の役割と憲法」
PDFファイル

posted by ガンコジージ at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

「三つの聖戦」 ハワード・ジン

TUPからメールマガジンが届く。いつも、この世の最先端でなにが動いているか、非常にタイムリーに教えてくれる。世界が動いていることがわかって、ジージの重たい腰も、もじもじと動きはじめるのである。
このごろは、アメリカの歴史学者であり反戦活動家であるハワード・ジンについての情報メールが多い。いつものやりかたで、彼の講演録をpdfファイルにして末尾に記載しておく。青字をクリックすると別ウィンドウでひらくことができる。

=====TUPからのメール======
歴史学者ハワード・ジンが反戦の学者としてその名を知られるずっと前から、FBIはすでにジンの潜在的影響力を探知し、大きな懸念を抱いていたようだ。今年7月29日に情報公開になった243ページにおよぶFBI監視記録によると、ジンに対する監視は第二次世界大戦直後の米ソ冷戦時代、彼がまだニューヨーク州立大学の学生だった頃から始まり、コロンビア大学で博士号取得に勤しむ間も続いた。60年代にはFBIはボストン大学に積極的に働きかけ、ジンを大学教授の職位から解雇するように求めてさえいた。黒人解放運動の中核となっていたブラックパンサー党員の逮捕・起訴についてジンが「政治犯を生み出している」と強く批判したことや、「アメリカは警察国家になってしまった」という発言などが当時のFBI長官エドガー・フーバーの機嫌を損ねたと言われている。 FBIによるハワード・ジンに対する監視調査は1949年から1974までの25年間に三度行われた。
今年1月、亡くなる直前に出版された論文で、ジンは「国家権力の暴力に対する最善の対策は、抵抗を続けること、その構造を暴露し続けることだ」と述べた。
歴史家としてのハワード・ジンは、アメリカの戦争の歴史と構造を階級闘争の観点から最も明確に分析し、分りやすく説明した数少ない人物だ。
2009年、アメリカの先進派雑誌『プログレッシブ』誌発行百周年記念会議で、ハワード・ジンは『三つの聖戦』という演題で講演した。この講演でジンは戦争という「国家事業」に悪用される「正義」という大義名分の構造を明らかにしており、特にアメリカの好戦的な歴史を批判した内容ではあるが、どこの国にとっても「正義」という物言いは戦争とは切っても切れない関係にある。敗戦後65年経った今、戦争の悲劇を語り継ぎ、反戦の知恵を綴っていく私たちにとっても、忘れてはならない真実だろう。
いつでも気軽に丁寧に質問に応えてくれたハワード・ジン。時々お茶目な冗談やつっこみも交えながら、反逆精神と市民運動の連帯の喜びを教えてくれたハワード・ジン。あの名調子がいつまでも耳の奥に残っている。

翻訳:宮前ゆかり(TUP)
===================

三つの聖戦:『プログレッシブ』誌百周年記念集会での講演

posted by ガンコジージ at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

グーグルのやっていること

だいぶ前、ストリートビュウについて、友人と話したことを思い出す。「あれは危険なものだねえ」と。
実際、個人で所有できるHDD容量がテラバイトの領域に達し、ちょっと金をかければ世界中の個人情報をだれでも集めるのが不可能ではない時代になってきている。そう思ったのはジージだけではなかったはずだ。
なにやら恐ろしい時代の足音がする。世界中の個人情報をまるごと収集し、蓄積し、分析する、超効率的で巨大な監視システムができあがろうとしている。そんな恐ろしいことが現実となる時代が近づいている。
以下は、TUPから配信された月刊『世界』(岩波書店)8月号掲載の記事である。冒頭の文章を紹介し、残り全文をpdfファイルで保存した。クリックすると別ウィンドウで読めるので、参照してね・・・!
********************
◎クラウド・コンピューターと諜報・産業複合体
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『1984』というジョージ・オーウェル著の名作小説があります。
第二次世界大戦後まもない 1949年に出版された本で、全体主義が極端に進んだ 1984年の仮想世界が小説の舞台です。そこでは、国家によって情報は徹底的に統制され、国民一人一人の生活の隅々まで 24時間監視された日常が描写されています。

『1984』が書かれた当時は、言うまでもなく国民全員を24時間監視するのは単純に技術的に想像をはるかに超えた状況でした。だから、
『1984』は架空の世界を扱った、という大前提が成り立って、興味深く面白い風刺「小説」たり得たと想像します。

さて、60年後の今、技術革新ははるかに進みました。実はそのため、ある意味で恐るべきことに、『1984』の世界は少なくとも技術的には現実味を帯びていると言えそうです。自由民権、平等といった概念が 60年前よりずっと世界に広がっている現在、これは皮肉な状況と言えるかも知れません。現在のところ、少なくとも公に認められた形では、『1984』に描写された全体主義の恐怖社会は実現してはいません。ただし、技術的には可能になりつつあるという現実には大いに注意を払っておくべきでありましょう。

以下、クリストファー・ケッチャム、トラヴィス・ケリー共著の諜報・産業複合体を論じた記事を邦訳しました。
月刊『世界』(岩波書店) 8月号に掲載されたものです。
この記事では、インターネット界の巨大企業として今や知らぬもののないグーグル社が、技術的に何が可能で、実際に何をしてきたか
(たとえば諜報・軍事企業との協力関係)、そしてそれが個人や社会に与える影響について、豊富な実例や証拠とともに解説、議論されています。ここで槍玉にあげられているのはグーグル社とはいえ、これは原理的に同社一社だけに根ざすような単純な問題ではない、つまり、グーグルを使わなければいい、という問題ではないと確信します。この 7月末に「Yahoo! JAPAN の検索サービスにおけるグーグルの検索エンジンと検索連動型広告配信システムの採用、ならびに Yahoo! JAPAN からグーグルへのデータ提供」の提携が結ばれたことが発表された[*]のは、その端的な例でありましょう。
[*] http://i.yimg.jp/images/docs/ir/release/2010/jp20100727.pdf

結局、究極的には、この高度に技術が発展した、そしてさらに発展しつつある現代社会においては、それら技術とどう向き合い、何を利用し、その代償として何をどこまで切り捨てたり犠牲にすることを許容できるか、という課題が、私たち市民ひとりひとりに否応なく突きつけられている、と言えそうです。気がついたら『1984』の世界になっていた、ということのないように。

〔翻訳: 坂野正明(前書とも)/TUP〕

「グーグルは何をめざすのか クラウド・コンピューターと諜報・産業複合体」
(全文pdfファイル)

posted by ガンコジージ at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

思いやり予算こそ最大の武器!

TUPからメルマガが送られてきた。「米国のゲーツ国防長官、防衛予算に関して発言」(演説全文)である。ゲーツ氏の演説に危機感がみえる。しかしアメリカはすごい。ここまで本音を口走っても、自分たちの優位が揺るがないことを熟知している。で、演説全文は長いので、まずは抜粋を試みる。本文全体はうしろの「続きを読む」で表示できる。
********抜粋**********
冷戦終結後、合衆国の戦闘艦隊の規模は縮小していますが、重要なのは、世界の他の海軍はそれ以上に縮小しているということです。つまり、相対的に言えば、米海軍はこれまでと変わらず強力です。(*中略*)現状況を確認しておきましょう。
☆ 米国は11隻の大型原子力空母を保有する。大きさと攻撃力において、1隻でも同レベルの艦船を保有する国は他にない。
☆ 米海軍は、ヘリや垂直離陸ジェット機用の海上基地の役割を果たせる10隻の強襲揚陸艦を保有する。米海軍以外でこのような強襲揚陸艦を保有するのはすべて、米国の同盟国あるいは友好国の海軍であるが、3隻より多く保有する海軍は無い。米海軍は、米国以外の国々が保有する合計の2倍の艦載機を海上輸送できる。
☆ 米国は57隻の攻撃及び巡航ミサイル搭載原潜を保有し、それもまた、他の国々が保有する数をすべて合わせた数よりも多い。
☆ 79隻のイージス艦は、およそ8000基の垂直ミサイル発射装置(ミサイル・セル)を搭載する。全体のミサイル攻撃力では、米国はまず間違いなく、米国に続く世界最大の20カ国の海軍の合計より勝っている。
☆ ある最近の推定では、総艦隊能力としての米国戦闘艦隊の排水量は、総じて 米国に続く少なくとも13カ国の海軍の総計を超えており、そのうちの11カ国は米国の同盟国あるいは友好国である。
☆ さらに、20万2千人の頑強な海兵隊員は、世界に存在する同種の軍隊の中 で最大の軍事力であり、その規模は世界中のほとんどの陸軍に勝る。
わが国は公海の上空で、海上で、海中で凌駕するもののない立場を保っています が、やはり、今後のための準備は必要です。
********抜粋終了********
とんでもない軍事力である。むかしアメリカは、どこかの国を「ハリネズミのように武装した危険な国」と非難したものである。いま見ると、ハリネズミはいったいどっちやら。
軍事力というものは無限に肥大し続けるものだということが、彼の言葉からわかる。
******またも抜粋*********
国防総省の計画では、2040年までに11の空母打撃群を保有することになっており、すでに予算に計上されています。確かに、世界の海に我々の軍事力を誇示する必要性が無くなることは決してありません。けれども、わが国がすでに他を引き離して圧倒的に優勢であることを考えてみてください。また、敵が持つ対艦能力が向上していることも考えてみてください。2つ以上の空母打撃群を保有する国が他に無い状況で、今後30年間に11の空母打撃群を持つことが、ほんとうに必要でしょうか?
*******抜粋終わり********
そして、彼の結論はなにかといえば、以下のTUPメルマガの表題に集約される。
「続きを読む」をクリックすると、ゲーツ氏の演説全文を読むことができる。アメリカはいま肥大し続ける国防予算に悲鳴を上げている。日本にしてみれば「これぞアメリカの弱点。思いやり予算を武器に、普天間撤去へ突き進め!」じゃないかなあ。

「米国のゲーツ国防長官、防衛予算に関して発言」(演説全文)
膨らむ防衛予算に防衛のトップが危機感を表明

続きを読む
posted by ガンコジージ at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月30日

ハイチについての訴え 3

昨日に続いてシャバン・ジャン・バティストへのインタビューを掲載。今回で終了。

======インタビュー続き======

シャバン・ジャン・バティスト : 私たちは農民と家族農業を増強し農村地域で食物を生産するためのプログラムを立ち上げることができます。現在は人口の40%が食べられるほどをやっと生産していますが、ハイチの国土には、全国民に十分な食糧を生産し、あまつさえ輸出もできるほどの潜在力があります。これにはハイチ人に土地を利用する権利を与え、治安をまかせ、そして、有機農法、いわゆるアグロエコロジーを発展させる支援から始めなければなりません。

これらに必要な政策は食糧主権の所有です。まず家族のために次いで地域市場のために作物を育て、さらには次世代の母となる地球と環境とを尊重する形で健康的な食物を育てていくために、国が独自の農業政策を決定する権利を持つことです。
現在、ハイチは本質的に農業国であるにしても、ドミニカ共和国に完全に依存しています。ほとんどの鶏卵、バナナや他のものもドミニカから手に入れています。同じ新自由主義(グローバリゼーションの自由貿易政策)をとっていても、ドミニカ共和国には確固たる自治権があります。たとえば、ドミニカは米の自主生産を決定し、マイアミ米(輸入米)と古着の輸入を拒否しました。そうなるような方策を実施しました。私たちはといえば、自由貿易政策により輸入品で自らの市場をあふれさせました。農業は破壊されてしまいました。

私たちに必要なのは食糧問題を扱う農民組織です。課題は牧牛や統合水管理、そして有機殺虫剤および有機肥料生産を含む農業生産です。そういうことを続けていくつもりですが、たった今現在は都市からの避難民に食糧を提供し世話をしているため、直近の優先順位はいくつか変えなければならないでしょう。

私たちはシードバンク**を設立し、クレオールの種子を貯蔵できるサイロを持つ必要があります。土地固有の有機的な種子は食糧主権の根幹の一部です。現在、アメリカ大陸の国々からの、特にモンサント社***が遺伝子操作した種を生産するためにすでに開発した大農場を持っている米国、ブラジル、アルゼンチンからくる危機があります。もしこれらの種子がハイチに送られはじめたら、それは200年以上も前に独立し自分たちの種を守ってきた農民の死を意味します。ハイチ人にとって、地元の種子を購入するのが喫緊の課題です。農民たちは3月15日までにマメと野菜の種を購入しなければならないと言っています。
黒エンドウなら、二ヶ月で食べられるようになります。

**[土地固有の種子を収集し保存するシステム]
***[種苗会社として世界最大の巨大企業。 近年では自社製除草剤ラウンドアップに耐性のある遺伝子操作種ラウンドアップ・レディのトウモロコシなどで知られる。モンサント社製の除草剤を大量散布しても、その除草剤に耐性のある種のみが枯れずに育つという仕組み。農家は除草剤と種子の両方を購入しなければならない。ベトナム戦争時に、ジャングルに潜むゲリラを見つけるためと大量散布された枯葉剤を生産した企業としても有名]

私たちが直面している危険とはなんでしょう。それは米国国際開発庁(USAID)や他から受けている食糧援助が国内に投げ込まれている事実です。この現在の危機の間は食糧援助が不可欠であることには異論ありません。早急に食糧を得なければならないという緊急事態ですが、同時に食糧生産にとっても緊急事態です。6週間後には収穫を始める野菜をお見せできるでしょう。6ヵ月以内に食糧援助を減らし始める必要があり、そうすれば農民の生産で国民を食べさせることができます。もちろんそれには灌漑への多くの支援を必要をします。

不可欠なのは農民が自分の土地の主となり管理者になれるような農業改革です。アメリカ人、フランス人、またはスイス人がハイチの土地の大区画を所有しているので、それは不可能です。土地は、そこで働く農民によって所有されなければなりません。そして彼らが死ぬときには子孫に残すことが可能であるべきです。土地と共に、信用取引、技術補助、そして生産物を売るための市場が必要です。

もし食糧でハイチを助けたいと望むみなさんには、ぜひ農家の生産に関することで援助してくださいと伝えています。我々には水管理が、貯水槽が、道具類が、技術的な支援が、地方に大学を持つための援助が必要です。そして自由貿易政策を変える必要があります。しかし、4〜5年で我々は食糧生産の主権者となれるはずです。

ーーーーーインタビュー終了ーーーーーーー

ビバリー・ベルは政策研究所(the Institute for Policy Studies)の準研究員であり、エコノミック・ジャスティス・グループ・アザーワールドの主催者です。
http://www.otherworldsarepossible.org/~otrom/beverly-bell-bio
posted by ガンコジージ at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月29日

ハイチについての訴え 2

いよいよシャバン・ジャン・バティストへのインタビュー開始。

======インタビュー開始======

シャバン・ジャン・バティスト : 私たちはこの大惨事を機会と捉えて「時計はリセットされた」と主張する必要があります。以前のハイチとは全くことなる新しいハイチを建設しなければなりません。政治的主権、食糧主権を行使するハイチ。その実現は農業を築くことから始まらねばなりません。
私たち農民は200年以上にわたり犠牲者でした。独立を得るために戦った奴隷は植民地主義者から土地を得るためにも戦いました。しかし独立を得たとき、ハイチ軍の将校たちは奴隷は奴隷のままにしておき、入植者の土地の代わりに自分たちの土地で働かせるという発想を持ちました。そのため、都市で生活する者と田舎で暮らす者とに、また豊かな者と貧しいものとに二分されることになりました。そして小さな国の中で、ポルトー・プランス共和国*と「その外部」の共和国という二つの国ができました。「その外部」とは人口の80%をさします。

*[ポルトー・プランス Port-au-Princeはハイチの首都]

出生証明書まで二つあるのです。ひとつは農民のものと、もうひとつは街の人々のものです。アリスティード大統領の第一期のとき、それを一つにするように要望しました。

ほとんどすべての行政業務がポルトー・プランスに集中していました。パスポートが必要なら、身分証明証が必要なら、子どもを大学に行かせる必要があれば、行くところはポルトー・プランス共和国でした。皆が仕事を探しにくるところもまたそうでした。「外側」にはいることができないからです。「外側」には何もないからです。そうやって3百万人の都市になり、谷間に建てられた家々と、排水施設もない、ここそこに秩序なく人々が築いた一つの大きなスラムができあがりました。その結果を私たちは1月12日に見ました。よその国ではもっとひどい地震があっても数人を失うだけです。MPPでは災害で5人の若者を失いました。彼らはポルトー・プランスにある大学にいたからです。教育を受けたかったがために命を失いました。

徐々に、国家は地方を見捨て、農民者は選挙で票が必要なときにだけ利用される周縁に追いやられた階級として取り残されました。
そしていま私たちには、ハイチを国際社会に支配されたモデルにする、ビル・クリントンの再建計画があります。彼らがほどこす援助は我々が望む援助ではありません。計画は、ハイチを国際輸出市場とし、自由貿易圏の労働者市場にするものです。彼らは相対的な利点について語りますが、その意味は、ハイチは単純労働力だということです。食糧援助を送ってくれるあいだはハイチ人は労働を搾取される工場で働くことになっています。この計画は私どもの農民運動計画に相反するものです。

これでは国の開発などできず、国民の80%を除外したもう一つのハイチをつくることになるのは明白です。だからこそ、我々MPPの目標の一つは、ジャガイモの皮むきをして働くためにポルトー・プランスに行かなければならない代わりに、地方を人々が住みたくなる楽園にすることです。
農村環境での雇用を生む、農民を中心にした開発は若者を地方に引き止めるでしょう。また、地震の後に農村地域へ大量に移動した人々の一部を留め置くでしょう。彼らの多くは「留まりたいけれど、働かなければならない」と言います。ポルトー・プランスの一極集中を廃し、農業を確立することで、それは実現可能です。田舎にできることが他にもあります。たとえば、地震にみまわれた場所は再建しなければならず、建設資材は農村部門でまかなうことができるでしょう。電気があれば、学校があれば、ここで働くことができるなら、ポルトー・プランスに行かなければならない理由は誰にもありません。

            以下、明日で終了
posted by ガンコジージ at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

ハイチについての訴え 1

TUPからのメルマガである。かなり前にいただいていたが、掲載の仕方を考えているうちに時間が経ってしまった。
内容はいまだ現在進行形なので、反省を込めて大急ぎで掲載する。(わかりやすくするために、表題の並び順などをちょこっと移動してある。本文は、もちろん変更してない)

(翻訳と前書き:金 克美(キム・クンミ)/TUP

===前書き====震災を機に、ハイチに真の意味での主権を!=========

食糧主権という言葉がある。自分たちの文化を尊重し、社会的、経済的に自律する農業を営み、国内で消費する食料を自らがコントロールする権利、という意味だ。先進国が推し進める自由市場主義からの脱却をめざして、南米やアフリカ諸国を中心に食糧主権を憲法に明記する国々も増えてきた。日本では、食料自給率は約40%程度。全国民が消費するカロリーの半分以上を外国からの輸入に頼っているのが現状。食は人間が生きていく基本であるのに、半分以上をよその国に頼らないといけないという状態では、残念ながら日本は食糧主権を保持している国だとは言いがたい。

今年1月に大地震にみまわれたハイチは、諸外国の支援をうけて復興のさなかにある。米国からはハイチを自由貿易市場にし、経済を復興しようという計画もでてきた。しかしその経済復興は果たして誰のための経済復興なのだろうか?
いま、自由市場が支援という美しい衣を着て新たな餌食を我が物にしようというそのまっただなかで、ハイチの農民運動が声を上げている。いまこそ、ハイチに食糧主権を主張するときだ、と。

======ハイチについての訴え(本文)======

時計はリセットされた(原題 The Clock is Set at Zero)
 シャバン・ジャン・バティストへのインタビュー第一部
         著者 ビバリー・ベル
           2010年3月4日

 原文は、マイケル・ムーア・コム
http://www.michaelmoore.com/words/mike-friends-blog/clock-set-zero
に2010年3月4日に掲載された
            
========以下、翻訳本文の始まり===============

シャバン・ジャン・バティストはパパイ農民運動(Movman Peyizan Papay、クレオールの頭字語でMPP)の事務局長であり、パパイ議会国家農民運動(Mouvman peyizan Nasyonal Kongre` Papay、[略称]MPNKP)のスポークスマンである。
先月、セントラル・プラトゥーの広大で肥沃な耕作地帯の一角にあるMPPのトレーニングセンターでこのインタビューを行った。ここでは農民たちが環境によい農作を演習したり、食糧主権について学んでいる。食糧主権は小規模農家運動がハイチおよび世界中で提唱している地産地消プログラムである。食糧主権には、食品輸入の際に関税をかけることで国内市場を保護するとともに、土地改革、在来種、そして技術と環境のサポートを必要とする。また、貿易と開発政策の形成に、市民の民主的な参加が必要である。

=================導入が長くて当ブログの原則である「一回の掲載量原稿用紙換算4枚程度まで」を大幅に越えるので、シャバン・ジャン・バティストへのインタビュー本文は明日へ続く。ゴメン!ところでマイケル・ムーア・コムってのがあるんだと知った。あの人、がんばってるなあ。えらいもんだ,と思った。(ジージの個人的感想)
posted by ガンコジージ at 07:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月26日

「爆撃」という本

君はハワード・ジンを知っているか?
====TUPのメルマガです====
(TUP:岸本和世)
八月三日にハワード・ジン著『爆撃』が岩波書店から「岩波ブックレット」788号として刊行されることをお知らせいたします。日米同時刊行の企画として、原書は同月米国シティライツ社から出版されます。広島と長崎の被爆六五周年記念のためにハワード・ジン教授が出版の準備を整えながら、今年二〇一〇年一月二七日に八七歳で急逝されたために遺作となった『爆撃』の翻訳を皆さんにお届けできることを光栄に思っています。

この遺著の編纂にあたったグレッグ・ルジエロさんの前書き「大小の反逆行為」に触れられているように、本書の「序」は、ジン教授が亡くなる一か月前に書かれた、まさに彼の最後の文章となりました。

卓越した歴史学者であると同時に、抑圧され続けている民衆と常に共に生き、平和と正義のために闘い続けた活動家として、多くの人々からの尊敬を集めて来たジン教授の書かれたもののいくつかは、わたしたち共訳者が参加しているTUP(平和を目指す翻訳者たち)の「速報」でも読むことができますので、ぜひご覧ください。さらに、ごく最近TV放映された『アメリカで最も危険な男 ダニエル・エルスバーグとペンタゴン・ペーパー』のエルスバーグが記した「ハワードの思い出」(TUP速報八四六号)もぜひお読みください。エルスバーグさんはインタビューアーの問いに答えて「わたし自身のヒーローはまず第一に“ハワード・ジンだ”」と述べています。彼があのペンタゴン・ペーパーを持ち出して預けたのは、このジン教授だったのです。

ジン教授の数多い著作の内、十数冊が邦訳出版されていますが、その代表中の代表である著書『民衆のアメリカ史』は、ルジエロさんの前書きにもあるように、原著の販売数が百万冊を超える評判の大作です。ただし、それの邦訳本は題名が「アメリカ史」というわたしたち日本人にとっては外国の歴史に関する書物と見える上に、上下巻二冊で約一四〇〇頁という分量と値段も手伝ってか、日本ではその書もジン教授の名前もあまり多くの人に知られているとは言えないように思えます。

しかし、「ベトナムに平和を!市民連合」(「ベ平連」)の吉川勇一さんが記された追悼文にあるように、ジン教授は一九六六年、米軍の全面的な参戦によってベトナム戦争が本格化して間もなくの六月、北海道から沖縄までの連続縦断講演旅行や東京での「ベトナムに平和を!日米市民会議」を通して、ベ平連のみでなく、当時のベトナム反戦運動に関わった人々に最大の影響を与えた米国人でした。ジン教授が帰国直後に書かれた『魚と漁師 日米反戦講演旅行について』には、この旅行での諸大学で行った学生や教師たちとの対話やそのほかの人々との出会いを印象深く報告され、当時日本に湧き上がったベトナム反戦への高まりを米国のそれの低調さと比較し、(さらには、今日もいまだに続いている沖縄基地問題にも暗に言及しながら)、米国民衆の目線に身を置きつつ「われわれ(米国人)は日本人のように一度も、自分自身の行為を認め、頭をたれ謝罪し、平和な生活を約束したという経験がないのだ。ことばを換えて言えば、われわれは一度も悪事をとがめられたことがないのである」と記されている言葉に、今日のわたしたち日本人がいつの間にか陥っている経済人間の平和ボケに対する預言的な警告を聴き取りつつ、本書を味わいたいと思います。

一九九四年に出されたジン教授の自伝的回想録『動く列車の上では中立でいられない』(邦訳『アメリカ同時代史』明石書房)は、あの九・一一の悲劇直後に「序文二〇〇二年」という四頁の文章を加えて再版されたのですが、わたしたちにとって気が付いた特に印象深いことは、その最初の二頁で六三行の中に一三回も「BOMB(爆撃)」という、本書の題名になっている文字があることです。もちろん、なぜ「爆撃」が題名とされたのか、そのわけは本書を読まれれば直ちに了解されるでしょうが、ジン教授がご自身の体験をとおしてまさに次のような思いを込めて、アメリカの人々のみでなく、為政者を含む世界のすべての人への遺言とされたと言っても過言ではないでしょう。それは、ある近刊書でオーストラリアの歴史学者テッサ・モーリス・スズキが「彼(ブッシュ)がやったのは、『わたしたちは素晴らしい自由をもってますから、爆弾を落としてあなたにも自由を与えます』」と言っているような、世界の権力者たちが常に抱いている幻想を打ち破ろうとする爆弾宣言の書だと思っています。

皆さんに広く読んでいただけますように。

書名:爆撃
著者:ハワード・ジン
翻訳:岸本和世、荒井雅子
出版:岩波書店
発行日:2010年8月3日
価格:560円(税込み588円)
ページ数:72ページ
協力:TUP
posted by ガンコジージ at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

選挙結果で考えた

沖縄比例区でもっともたくさんの票を獲得したのはどの党か。なんと社民党である。それはもっともなことと言わなければならない。普天間問題でいちばん筋を通したのは、共産党を除けば社民党だけであったのだから、この結果はある意味当然だろう。順番に並べると以下のようになる。

政党名ーー比例区得票ーー選挙区得票
社民党ー120064ー215690
民主党ー118915
自民党ーー93385ー258946
公明党ーー94905
共産党ーー36155ーー52448
みんなーー31720
国 民ーー14078

なるほどなあ、とジージは思う。この票の動きを見ると、沖縄においては、筋を通した社民党への評価がきっちりと出ているような気がする。そして、民主党への期待もそれほど減っていないんだとも思う。
また逆に、全国の評価がこれとまったく一致していないことに、ある種の不満を感じざるを得ない。つまり、沖縄以外の地域にとっては、普天間基地の問題は票を動かすポイントにならなかったということではないか、というふうに思う。
沖縄県人が感じる疎外感の元が、こんなところに現れているようだ。沖縄にとっての死活問題が、他地域においてはローカルなものとして認識されてしまう、このあまりにやるせない落差。他人事感覚の無責任さ。

選挙区の票の動きを見ると、また別の見方ができるような気がする。比例区での自民党の人気のわるさは際立っているのだが、選挙区において大量得票につながってしまうこの不思議。
ひとつには公明党のバックアップが強力だったことを物語っているし、みんなの党の票がおおむね自民党へ流れたこともみてとれる。これは沖縄の経済が基地に大きく依存していることの反映でもあろうか。
また同時に、社会党と共産党が一致して統一候補を擁立していたら、別の結果が出てきた可能性にも気づかされる。これは昔からあったことだが、この数字を足したら保革が入れ替わっているのに、という切歯扼腕の実例であろう。
まあ、そんなことをいわずとも、民主党がもうすこしちゃんとしていたら、こういう結果にならなかったのは、この結果から見ても明らかなのだと思う。
なんとももったいない話であった。で、昨日に引き続いて、ジージの個人的スローガンを一発。

菅政権よ敗退を恐れない左翼政権たれ!
その向こうにこそ、君らのほんとうの未来はひらけている!
くれぐれも分裂縮小なんてしないでくれ!

このままヨタヨタしながら野党に舞い戻っていったら、自民党は浮かれまくって大型右旋回を敢行し、それこそ民主党の未熟さのために、庶民の生活はボロボロになってしまったということになる。

拝啓、民主党殿。負け方にも責任の取りようがあるってことを、骨身に滲みて感じておいてください。国会対策もさることながら、庶民への目線を忘れずに・・・。
posted by ガンコジージ at 09:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

普天間飛行場の実態

沖縄県宜野湾市が「米軍普天間飛行場の危険性」について詳細したPDFファイルを作っていた。2009年4月のことらしい。
ジージはそれを知らなかった。知らなかったのは恥じなければならないが、知ってのち活用しないのも恥だと思う。PDFファイルの所在は以下のところにある。

米軍普天間飛行場の危険性

また、遅ればせながら、ファイルの一部をJPG化して、このブログでも紹介しておくことにする。
futenma1.jpg


なるほど、このように示されていると、実態がよくわかる。
ブログ紹介の画像のうち、2枚目は飛行場の周辺に所在する学校など各種施設と、民家の密集状況を示している。

futenma2.jpg


3枚目の画像は米軍機の飛行ルートを示したものである。このような人口密集地上空を、軍用機が我が物顔で飛びまわっている。

futenma4.jpg


こういう具体的なことを、ジージは感覚的理解で済ませていたのかもしれない。いまあらためて、そのことを反省しているところである。ともあれ、詳しいことは上記のところからPDFファイルをダウンロードして参照されたい。
posted by ガンコジージ at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月29日

D.S.LinuxでEーMobileを使う

ジージの使っているノートパソコンは以下の性能である。
CPU Pen3 500MHz
メモリ 128MB
HDD miniSDカード 2GB
液 晶 11、2インチ
FDD なし
CDROM なし
製造年は1999年。いまから11年前につくられたものである。このあいだネットオークションにて1200円で購入した。メリットは重量1、2キロというところ。デメリットはバッテリーが劣化し、持続時間が30分ほどであること。記憶装置はSDカードたったの2GB。
このように非力であるので、LINUXでもかなり軽量なものをインストールしないといけない。E−Mobileを使いたいので設定ができるだけ簡単なのがよかったのだが、相性が悪いのかいちばんのお気に入りのEcoLinuxがインストールできなかった。そこで選んだのが表題のDSLである。
最新のバージョンが標準で117MBしかない。これなら2GBのミニSDでも十分にインストールできる。これだけでインターネットも文字入力もできるから、文句はなにもなかったのである。心配はE−Mobileができるかどうか。
多くの先人がネットで公開しており、ジージはそれを参考にしたに過ぎない。だから、そのやり方について、知ったかぶりして解説するつもりはない。実際すごく簡単なのであるが、そのやり方を理解するまでジージはものすごく時間を必要とした。
DSLのバージョンは4、4であった。バージョンアップするにつれて、いつか、設定はより簡単になっていくのかもしれない。あれこれ試みて、以下の結果となった。
インストール後、まず起動すると、なぜかUSBが認識されていなかった。それで、(Xセットアップ)にてUSBを使えるように設定した。
その後、ターミナルを起動し、SU入力。root権限で以下の通り書いて実行。これは先人のサイトで教えてもらった。
modprobe usbserial vendor=0x12d1 product=0x1003
最後にコントロールパネルからダイアルアップを起動し、Configを設定して、E−Mobileを起動すると、なんとか動き出した。バンザイ!
以上、たったこれだけなのに、すごく時間がかかった。正直な話、この歳になるとひとつのことをやり遂げるのに信じられないほど時間がかかる。しかし、やり遂げたときの快感は、いつものことながら気持ちいい。
ジージの超非力なノートパソコンが、いまようやく現役復帰となった。ちかごろ世の中が重ための状態であるから、たまにはこういうふうに頭がすっきりする日も欲しい。というわけで、やったぜ。あーよかった!
posted by ガンコジージ at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

太陽光発電の威力

我が家の屋根には太陽光発電装置が取り付けられている。晴天時はすこぶる快調。最大で4キロワット/時以上の発電量を誇る。
だが、設置した直後はものすごく後悔したものだった。なんでこんな高価なものに手を出しちまったんだろう。魔が差したなあ、なんて具合に悔やんでいた。
とくに雨の続くときや雪の日などは、延々と続く発電量ゼロ表示にため息がでたものだった。また、このあたりは台風並の強風が、普通の日でもよく吹き荒れる。そのときは屋根が飛ばされるんじゃないか、なんてヒヤヒヤしたりもした。
知り合いが「太陽光発電やってるの。うちでもやろうかな。どうなの調子は」なんていうのを聞くと、いかように返答すべきか、迷ってしまったものだった。「高い屋根だと、掃除が難しいしねえ」なんて、大変さのほうを強調したりして・・・。
年中天候不順なときなどは悲惨もいいところだったので、当初マメにつけていた発電量と使用量の収支決算表はいつのまにか記録をやめてしまった。
この10年は、年間で収支ほぼトントンの実績であったから、やはりちょうど20年くらいで元が取れるかなあと思っていたものだ。環境にやさしくといっても、なんとなく張り合いがないのが最大の欠点であった。
そのうち、いろんなことに気づくようになった。たとえば、梅雨時の長雨とか真冬の積雪は、発電パネルに積もったゴミやホコリを取り除く役割を果たしてくれること。パネルの下に雀が巣をつくり、チュンチュクとうるさいこと。多少の天候不順なんか、長い間隔でトータルすると、差し引き目を剥くような損失にならないこと。そのほかいろいろ、エトセトラ、エトセトラ。
新聞で地球温暖化の記事が頻繁に目に付くようになり、ヨーロッパなどの先進的な試みを知るにつけ、「せめてこれに近い状態になればいいのにね」などと思うようになっていったものだった。
いまはもう、発電量の過多に一喜一憂はしていない。そういうものだという気持ちで向き合っていれば、モトがとれたかどうかなんてことは、どうでもいいのである。
パネルの下に住む雀たちがチュンチュクうるさく鳴き叫ぼうが、屋根の上にフンをしようが、それでどうなるってことでもありゃしないのである。
家を揺るがすような強風が吹き荒れても、屋根はなんとか持ちこたえている。パネルもろとも、ドロシーの家がオズの国まで飛ばされるような、そんな悲惨はめったなことではないだろう。
安全に屋根の上にあり続ければ、いつかはモトのとれる話。そう考えれば、太陽光発電も健気なやつと思えるわけで・・・。雨や雪や風は、パネルの掃除人。このあいだだって、ザンザか降りの雨の音を聞きながら、発電量なんてちっとも気にならないで、パソコンをいじくりまわしていたのである。
環境問題、まああんまりシャカリキにならない程度に真面目に、日常的に取り組むのがいいのかもしれない、と思うわけで・・・。
posted by ガンコジージ at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月05日

こんなものでパソコンが動く?

ふと思いついて、いま奇妙なことに挑戦している。ノートパソコンのHDDをあまり電気を食わない道具で置き換えてみようというのである。
流行のものとしてはSSDというはなはだ金のかかる道具があるが、これがちょっとした中古パソコンを何台も買えるほど値が張るので、ジージ的にはまるで興味がない。そんな金食い虫を使わないで、SDカード、それもマイクロSDカードを使って1000円台のノートパソコンを動かしてみよう、という話なのである。
我が家にはカメラ用とかデータ保存用とかでけっこういくつもお手軽メモリーがあまっているから、それをなんとか生かしたい、と思うわけで・・・。
HDDコネクターとそれらメモリーをつなぐアダプターのたぐいは、調べてみるとじつにいろんな種類が出回っている。複雑な構造をしていてかなり値の張るものもあれば、ただ接続のラインをあっちこっち引っ張りまわしただけの簡単な構造のものもある。
まずタダで入手したのが、HDDコネクターにCFカードをつなぐアダプターである。それがタダであったのはいいのだが、CFカードを調べたら、これがけっこう値が張るものであった。
で、さらにCFカードとSDカードをつなぐアダプターを入手した。これはまあ格安の1200円也。これくらいならまあいいか。それに、マイクロSDカードを普通サイズのSDカードに変身させるアダプターは、すでに手元にある。
それでようやく品物はそろった。マイクロSDカードからSDカードへ、そしてCFカードに変身させてHDDコネクターへ、というマワリクドイ道をたどったのは、ひとえに余剰の道具を生かしたいがための苦心惨憺だったのである。
マイクロSDカードの容量はたったの2ギガバイト。これでインストールできるOSは、LINUXしかない。それもできるだけ軽量のもの。
いまいちばんいいものを探して奮闘中なのである。SLAX、EcoLinux、UBUNTU、DSL、Knoppix,PuppyLinux、BerryLinux、eLearnix、Flanixなどいろいろと試しているのだが、手持ちのノートパソコンにぴったりするものが、なかなかない。
それでも、かろうじて動くもので試験するとこれがすごく調子がいいのである。まず完全無音。動いているのかどうか判らないほどなのだ。
そして、消費電力がすこぶる少ない。だから劣化してきたバッテリーの持続時間が、ちょびっとだけ長くなる。
機能的に満足できるようになるまで、まだ若干の工夫が必要なのだが、さて、ジージの古ぼけてきた頭でこの試みを完遂できるかどうか、いまちょっとばかり自信がなくなりつつあるところなのである。
昨日はノートパソコンの分解組み立てで、ネジをどこかへやってしまったし、机の上はバラした機械だらけで、マイ奥さんに怒られるし・・・エコな生活とはいいながら、困ったものなのである。
posted by ガンコジージ at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

ニオイについての一考察

加齢臭とかオヤジ臭とかいう言葉がある。なんだか知らないけれど、独特の異臭があるということらしい。するってえと、ジージなんかは加齢臭の固まりというべきか。
でもなあ、これって、どういうもんだろうねえ。臭いのない人間ってどこにいるの、と思うんだけどな。たとえばジージの小さな頃、アメリカ軍の関係者が町を闊歩していた。そのとき、たしかに彼らは臭ったものだ。なんとなくバター臭いにおいが・・・。
バタ臭いという言葉は、外国かぶれを揶揄する言葉としてあったと思う。そのとき、父が言ったものである。「アメリカ人はバターを食べるからバタ臭い。そりゃあたりまえだ。おれたちが豊かになって、飽きるほどバターを食べられるようになったら、おれたちの臭いはバターのにおいになるんだ」
ジージはなるほど、と思った。そして父に聞いてみた。「アメリカ人からすると、ぼくらはどんな臭いがするのかな」すると、父はしたり顔で応えたものだ。「そりゃあお前、ウンコの臭いに決まってる。高級なものはなんにも食っていないしな」「なんで、ウンコなの?」「ご飯の臭いを嗅いでみろ。ウンコの臭いを薄めたような感じがするぞ」で、ジージは炊きたてのご飯の臭いを嗅いでみた。するとたしかに、ウンコの臭いを薄めたような・・・というか、これを濃縮したらまちがいなくウンコの臭いになるぞ、と思った。
幕末の頃、大勢のヨーロッパ人が日本へやってきた。そこでの彼らの感想。「日本という国はウンコ臭い。でも、国民は清潔好きである」で、日本人はどうのたまったか。「あいつら、ケモノ臭い」自分たちを無臭と思っていたもの同士の、第一次接近遭遇であった。なるほど、いまの風俗をそのまま物語っているような気がするなあ。

話を元に戻すと、加齢臭とかオヤジ臭とかのたまって嫌悪する。でも、臭いのない人間はいない。つまり男にも女にも老人にも若者にも子どもにも、だれかれの区別なく、臭いは存在するのである。いちばんの問題は、人間は自分の臭いについては、基本的にムチャクチャ鈍感であるということ。
若い男の体臭がものすごくきついときがあることを、たぶん若者たちは知らない。若い女の体臭が、ときに刺すように刺激的で耐え難いことを、たぶん若い女性は知らない。それは、おじさんと老人が自分たちの臭いに気づかないのと同様のことである。
おばさんの臭いも然り。おじさんと老人の臭いのみをことさらとりあげて嫌悪するのは、自分たちの臭いがどんなものなのかにまったく無知であるためにほかならない。極論すればみんな臭いのである。ときに耐え難く臭いのである。
ニオイはあるものだ。耐え難いほどに感じるのは、炊きたてのご飯の匂いが過剰に集積してウンコの臭いになるように、過剰な集積がニオイの質を変化させるからだ。いや、人間の嗅覚に異常を起こさせるからだ。
香水の匂いが濃縮されるとどんな臭いになるか、調香師たちは知っている。出来合いを使うことで事足れりとする使用者の側が、そのことを知らないだけなのである。
加齢臭やオヤジ臭を嫌悪するのなら、自分の臭いを周囲にふりまくのを嫌悪する必要がある。それは加齢臭やオヤジ臭と同様に、周囲を不快にさせているのだから。
とまあ、ジージはそのように思う。そしてさらにいうなら、つまんないことで他者を忌避するな。そんなことしているあいだに、自分が忌避されていく下地を創ってしまうものだぞ。できればそのことを早急に知ったほうがいい。それがジージの結論である。
だからといってことさら居直ることもないとは思いつつ、多少は配慮しつつ、仲良くやればいいんじゃないかなあ、なんてね。
posted by ガンコジージ at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

演劇「神聖喜劇」上演

シアターX(カイ)というところから、このブログの記事に、コメントが送られてきた。
(「神聖喜劇」と「沖縄戦に生き残る」)という記事の関連である。だいたい、「神聖喜劇」というのはものすごく長大で、ものすごく密度の高い文章が特徴で、読み通すのにはかなりホネがおれる。それをきちっと解釈して演劇にした若者たちがいるというのだからすごい、とジージは思った。
それで、コメントとして置いておくのはなんだかもったいないような気がしたので、こちらで勝手に紹介してもいいのかしら、なんて思いつつ、コメントをブログ本文として全文載せてしまった次第。とりあえず、以下のようにご紹介!
機会があればジージも行きたいと思っているが、さて、行けるかなあ・・・。

*******Xのコメント******

前略 大西巨人「神聖喜劇」。この大作に日大芸術学部の学生らが挑戦。昨年上演した作品を60分に短縮して東京・両国 シアターΧ(カイ)で再演します。
 現代の若者らが戦争をどう捉え、どう表現するのか、興味は尽きません。
 シアターΧでは2004年より花田清輝の「泥棒論語」を継続上演し、本年はシアターΧ恒例『花田清輝的、きよてる演劇詩の舞台』春祭り2010を開催。大西巨人の「神聖喜劇」をフィナーレの中で上演します。
 詳細は下記の通りです。

フィナーレ バラエティ『花田清輝的、きよてる演劇詩の舞台』春祭り2010

花田清輝×大西巨人
「軍隊・地獄めぐり」の神聖喜劇
花田清輝×大西巨人 容赦なき小説 容赦なき批評。
【鼎談】 小沢信男(作家)+木下昌明(映画批評)+大西赤人(作家)
【パフォーマンス】 『神聖喜劇』原作 大西巨人、脚本 川光俊哉、出演 日本大学芸術学部演劇学科有志


花田清輝(1909〜1974年)
 文芸評論家、小説家、劇作家。戦時中に書き、戦後一年目に刊行した『復興期の精神』は戦後の評論界に衝撃を与えた。主な評論『錯乱の論理』(47)『アヴァンギャルド芸術』(54)『さちゅりこん』(56)『近代の超克』(59)など。小説には『鳥獣戯話』(62)『小説平家』(67)『室町小説集』(73)など。戯曲には処女戯曲の『泥棒論語』(59)『爆裂弾記』(63)『ものみな歌でおわる』(64)など、『首が飛んでも ─眉間尺』(74)が遺作。

公演日程
2010年3月28日(日)14:00 ※開場時間は 30分前

チケット
一般:1,000円 高校生:500円 (全席自由)

[チケット取扱] シアターΧ(カイ)http://www.theaterx.jp/  info@theaterx.jp
posted by ガンコジージ at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

受け身形の使い方

近ごろTVのニュースなどを聞いていて、ときどき「あれっ」と思うことがある。受け身形で語らねばならないときに、能動形で語ることがしばしばあり、聞いていてなんだか違和感を感じてしまうのである。
たとえば、と例を思い浮かべても、なかなか適切なものが出て来ないが、あえて強引に例示すると、「○○が開幕しました」というコメントが聞こえてくるときなど、「あれっ、なにがなにを開幕したって?」と首を傾げてしまうのである。
「開幕する」の正確な使い方・・・かどうか知らないが、ジージの感覚では「AがBを開幕する」または「(Aによって)Bが開幕される」というのが正しい使い方に思えるのである。決して「Bが開幕する」ではないような気がするのだが・・・。
いやいや、ジージとしても頭がこんがらがってきていて、考え込んでいるあいだに、さらに「あれっ」と思うこともしばしばであるから、あんまり自信がない。
いろいろ考えていると、なんとなく玉虫色の使い方の領域があるような気もしてくるし、これはもしかして時代があいまいさを押し進めてきているのかな、と思ったりもする。
それにしても、ジージ自身がふにゃふにゃとよろめいているのを実感しつつ、でもあえて指摘してみたい気がするのである。
これは、世の中全体が「自己中」そのものの風潮になってきているからではないか、なんてね。自分を受け身の位置において、ちょっと下がってみるというスタンスの取り方を忘れてしまい、いつのまにか自分を中心に言葉がまわっている感覚に陥っているんじゃないか。いいながらかなり大げさかもしれない、と思いつつ、そのようにあえて考えてみるのである。

ジージは「自己中」という言葉が大嫌いである。これはあきらかに、個人から自己主張の権利を剥奪し、どこかいちばん要領のいいやつの周囲に群れさせるための、こねくり倒した言い回しだと思うが故に・・・。
群れるものが離反しないように相互監視させるのにも、これほどいい言葉はない。隣組的監視システムのひとつと言ってもいいだろうか。そして、群れ集まってくるものたちの中心でウハウハ笑っているのが、じつは最も自己中なやつであるわけで、こいつは自分を棚に上げて他人を批判するのに、「自己中」という言葉を連発するのである。
この群れ集まる集団は、大きなものから極小のものまで、いろんな種類がチマチマとしたかたちで存在する。いや、片方で群れ集まるものの輪の中にいたものが、他方では輪の中心で他人を「自己中」よばわりする。
そういった、いわばバブルみたいにはかない輪の連なりの中で、本当は「自己中」だらけの個人が大量生産されているんじゃないか、なんて考えるのである。
それが、最初に例示した「開幕する」に見られる「受け身形」の乱れにつながり、いまや本当に正確なのはなんであったのかさっぱりわからなくなりつつある・・・テレビニュースのコメントでさえ混乱し切っているいまのような風潮になってきているのではないか。
やや強引な論の展開かと思いつつ、なんとはなしにこのように考える、近ごろのジージなのである。

ちなみに「開幕する」には「を」が必要である。しかし「幕を開ける」にはすでに「を」がついている。[Aが開幕する」と「Aが幕を開ける」では、同じようでいて違う用法の気がする。じつは、ジージはここのところでこんがらがってしまったのであった。国語の先生なら、このあたり詳しいだろうと思うんだけどなあ。・・・残念。
posted by ガンコジージ at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月03日

「痩せ」をもてはやす風潮

新聞にものすごく奇妙な写真が載っていた。やせたモデルが、身体の線にぴったりした薄手の服を着て、ポーズをとっている。それだけならどうということはないのだが、よく見ると彼女の腰のくびれ部分は顔の幅と同じくらいに細いのである。
ジージは最初、気がつかなかった。そんなもんかなあ、という普通の感覚であった。しかし、その記事の見出しを読んで、あっと絶句してしまい、彼女の腰の異常な細さに気づかされたのであった。
たしか「痩せ過ぎはわたしじゃない」とかなんとかいう表題であったと思う。いくらなんでも顔の幅並に細い胴体なんて、現実にはほぼあり得ないスタイルである。それがいかにも現にありうるような顔をしてまかり通っていることの異様さ。
写真として目の前に提示されながら、それを指摘されるまで異常と気がつかないでいる、ジージのうかつさかげん。いや、これはまさに洗脳というものの具体的なやり方ではないのか。
敵対する特定の国家の専制的体質を浮き彫りにするために、この言葉がよく使われる。しかし実のところ、ジージたちの身の回りでここまであからさまに、当のそのことをやられていることに、指摘されるまで気がつかないでいた。
こんなつまらない日常の出来事で、ほんの一瞬ではあるが気づかされたこと。もしかしたら、もっと大きな部分で気分を誘導されているかもしれないその恐怖。
ジージは流されない自分というものを維持することの困難さを、このつまらない写真から教えられてしまったような気分であった。

人間というものは、いま自分が所属している社会とまったく別個に自分の軸足を定めておくなんてことが、じつはほとんどできない。できっこないのである。
自分がいるこの社会がなにかおかしいかもしれない、と知るのには、個人の努力だけでは限界がある。やはり、多くの目を集めた複眼的な視点を持たないと、いつのまにか流されているしかなくなるのかもしれない。
気をつけようと思った。同時に、ひとりの視点ではなく、集められ複眼化した視点を追求しよう、と改めて思ったのであった。
このごろコンピューターの世界で流行している方法に、クラウドコンピューティングというのがある。安物のコンピューターでも、たくさん集めて相互に関連づけたら、全体としては見違えるほどの力を発揮するという。
そういうやり方があるのを知っていて、コンピューターだけにやらせるばかりが利口なやり方とはいわないだろう。人間みずからも同じようなことができるように、意識を切り替えることを考えついてもいいのではないか。
ジージはそんなことを、単純な新聞の写真から、ふと思ったのであった。

あっ、そういえば、潔癖感をやたらに強調させるCMなんかにも、ジージは異様なものを感じるなあ・・・。けっこう多いようだぞ、そういうのって。
posted by ガンコジージ at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

CPM86というOS

近所の知人が、年代物のワープロが壊れたのでデータ処理ができなくなった、と訴えてきた。見たら、かなり古いワープロであった。
フロッピードライブが故障しているらしい。この種のフロッピードライブは、本体は他機種と変わらないが、コネクターが製造会社でイロイロなのである。
したがって、同種の専用コネクターを持つドライブが別にあればいいが、それ以外は修理はほぼ不可能と言える。オークションなどで同形機種のジャンク品を入手し、故障部品を取り替えればうまくいくこともあるが、ぜったいにできるとは保証できない。
それで、ウィンドウズなどのパソコンへの移行を勧めた。もちろん、そのためにはフロッピーに貯まっている膨大なデータをウィンドウズ用に変換しないといけない。それが、かなりやっかいであった。
CPM86と言って、MSDOSシステムが主流になる前のOSで、そのうえ該当機器独特のファイル形式になっていて、そのままではパソコンでデータを読み込めない。結局、かなり苦労してなんとかMSDOSのTXTファイルに変換したが、ジージとしては次に続くことを考えてしまった。
知人はジージよりさらに高齢であった。となると、いまからパソコンを習うのは、かなりの困難を伴う。いちおうTXT変換はやったけれど、あとのフォローが難しいかもしれないと思わざるをえなかったのである。
そして、世の中には彼と同じように、古い機械を大事に使ってきた人たちがたくさんいるのではないか、ということに思い至った。
古い機械が壊れる。データが継承できない。そのために彼らの蓄積してきた貴重なデータが散逸してしまう。それはもったいないことだ、と思った。変換サービスをする会社はあるが、フロッピ−1枚あたりの変換単価が高い。また、そんなサービスを知っている人たちだったら、古い機械をこれほど大事に使ってはこないだろう。
ジージは思った。技術がどんどん進歩していくのはいいが、過去の遺産についてちゃんとフォローする努力もやっていってほしい。たぶん、パソコン用の最新ワープロソフトの機能のひとつとして、各種文書変換機能をひっそりと組み込むことだったら不可能なことではないだろう。若干ではあるが、そのようなやりかたを残しているソフトもある。そういうきめ細かさが欲しいなあと、つくづく思うジージであった。
新聞に、経済は慎ましい生活を奨励していては順調に発展しない、と書いてあった。多少は贅沢に野放図に暮らしてもらわないと、停滞してしまうのだと・・・ジージにはそれについては異論があるが、少なくとも、いくら野方図でも過去をどんどん捨てて前に進んでいくというやり方をしないでほしい、と思った。
posted by ガンコジージ at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする